昨日は市民相談対応の後、市会で横浜市中期計画の勉強会、質問調整等。今日、安倍元首相の国葬が行われます。「賛否はあってもプーチン大統領も呼んで弔問外交をすべき時ではないか」「対話の場を作らないと、(戦争は)いつまでも終わらない」とは一昨日お会いした保守系政党の先輩議員の言葉。平和を願う人が考えることは同じだと思いました。
先日、日経新聞「経済教室」に「権威主義との闘い(下)体制間対立より現実主義」と題し、九州大学の益尾知佐子准教授が寄稿されていました。深い洞察力。「自由」と「平等」を最重要とする民主主義を手放すわけにはいかないと思うものの、それがなくても「問題解決能力があった方がいい」とする国もある。各地各様の姿に対し、想像や憶測ではなく、現実を知って評価することの大事さを改めて感じます。経済教室ですので短文ではありませんが、よろしければどうど。
「ロシアによるウクライナ侵攻以降、西側の「民主主義」と中国、ロシアに代表される「権威主義」との体制間対立をあおる論調がはびこっている。しかし中国外交の研究者から見ると、新冷戦とも言われる現在の状況を「民主主義対権威主義」の対立軸で捉えるのは危険である。
なぜならこの対立軸には、「善対悪」の価値観が埋め込まれている。そしてこうした見方は将来、私たちを十字軍的な「正義の戦い」へと駆り立てかねない。
今日の日本では、中国は「権威主義の悪の親玉」扱いを受けている。しかし中国国民の政権への満足度は高く、ハーバード大学の2020年の発表では95.5%に達した(調査は16年)。この数字は驚異的だが、中国政府が汚職撲滅や環境美化、貧困対策などに尽力してきたのは確かだ。ほとんどの国民は政権の問題解決能力を評価しており、これを悪政とはみていない。
むろん中国共産党政権は党や漢族の安全や権利を過度に重視し、しばしば人権抑圧などの問題を引き起こす。しかし民主主義を掲げる日本も男女平等の度合いを示すジェンダー・ギャップ指数で世界116位と低迷し、非正規雇用がまん延している。若者は結婚できず、自殺率も高い。
日米中3カ国に住んだ筆者の実感では、民主主義の方が優れた体制とは言い切れない。中国は批判を受けるのに、同じアジアのシンガポールの権威主義が非難されないのも不自然だ。つまり現在の世界情勢における問題の本質は、民主主義と権威主義との体制間対立ではないのだ。
では何が問題か。国際政治の基本は力の対立だ。現実主義の祖であるギリシャの歴史家トゥキディデスは、民主主義のアテネと権威主義のスパルタの間で起きたペロポネソス戦争の30年を記録した。長年の分析の結果、彼が指摘した戦争の根本原因は政治体制の差ではなかった。いわく、「戦争を不可避にしたのは、アテネの台頭、そしてそれがスパルタに引き起こした恐怖だった」(「戦史」)。
国家はときに栄え、ときに衰退する。国家間の勢力均衡図は組み替えを繰り返すが、いったん定まればある程度安定的になり、国際秩序の基盤を提供する。ゆえに国家間の力関係が大きく変化するとき、各国は新たな構造の中で利益を確保しようと動き、情勢は流動化する。戦争や外交的手段を通し、主な関係国間で利益配分の再調整が済むまでこの状態は継続する。
各国は自らと利害関係の異なる強者が生存を脅かしていると認識すると、軍事や外交上の対応措置を増強する。それを見た相手は他方の力の拡大に恐怖心を募らせ、自らを守ろうと新たな措置をとる。双方の関係は相互作用でさらに緊張し、軍拡が起き、武力衝突のリスクが高まる。おのおのの恐怖心が生む全体的な悪循環は、「安全保障のジレンマ」と呼ばれる。
(中略)
新たな勢力が台頭するとき、国家間では利益配分の再調整が必須だ。だが対立があまりに激化すれば、調整は軍事的衝突でしか行えない。西側諸国の現在のやり方は、中国と外交的に組み合う選択肢をほとんど残しておらず、中国側の脅威感を不必要に高めている。
先日亡くなった安倍晋三元首相は在任時、ニュアンスに富んだ実務外交を展開した。インド太平洋構想を掲げ、中国に対する外交・安全保障上の備えを確保しながら、経済面では中国との共存を模索した。ルール構築の重要性も掲げ、日本の戦略的価値を高めることに成功した。そうした安倍外交は、欧米だけでなく中国からも高く評価された。
諸般の条件は一変したが、私たちはもう一度、安倍氏の現実主義を想起すべきではないか。」
安倍元首相の「地球を俯瞰する外交」は、「会って話をする」外交だったと思います。立場も考え方も異なる相手に対し、通り一遍の杓子定規な話ではまともな会話にはならない。対話する。その先にあった外交の成果だったと思います。
離れたところにいて、憶測と噂話をもとに「どうしようか」と考えるのは、国家も、個人も、いい方向には進まないように思います。
平和への対話を願っています。