「一味」について 5747
藤が丘駅近くのファミレス「ジョナサン」からスーパー「三和」へ向かう道路。側溝が危険とのご指摘を頂き現場へ。土木事務所と協議。このほどアルミのフタを取り、コンクリートで整備。お喜びの声を頂いています。
昨日は人間ドック。その後の食事は刺激物を避けました。
先日、日経新聞コラム「春秋」が記していました。
「悪党の一味」などと使われる一味とは中世の古い儀式が由来という。一味神水――。一揆や戦におもむく人々が、神前にそろって水を飲む。そうやって結束を誓った。「同じ釜の飯を食う」のもまた、同じ場所でともに「一味」を味わい集団のきずなを深める行いだ。
原田信男著「『共食』の社会史」に教えられた。こうした飲食は、現代の社会でも盛んだ。芥川賞受賞が決まった高瀬隼子さんの小説「おいしいごはんが食べられますように」に出てくる会社もそうだろうか。上司の口ぐせは「飯はみんなで食ったほうがうまい」。なかば強引に部下を昼飯に引き連れるのである。
弁当持参の人だっているのに。その様子を冷めた目で眺める主人公は、カップ麺が常食の若者だ。そのほか仕事はほどほどに手作りスイーツを配ってまわる女性社員、余計な小言を言わずにはいられない年配のパートさんら、どの職場にもいそうな面々が登場。食を通して、仕事や人生に対する思いのズレがあらわになる。
年代も価値観もちがう人間だ。イライラもするだろう。会社員でもある高瀬さんは、こんな考えもあるんだな、と受け止めて、と話す。一味はやがて悪事の集団をいうようになったと辞書にある。コロナ禍を経て、あえて飲酒しないソーバーキュリアスなる生活様式も生まれた。一味よりも多様な味。そんな時代になった。」
「ソーバーキュリアス」とは、「しらふでいたがる」というニュアンスの言葉だそうです。
「一味よりも多様な味の時代へ」
時代の流れにあらがうことは、空に向かって「雨降るな」と言うようなもの。
社会が変化し、求められる人材像も変化していることを感じます。