安全・安心の横浜へ 「何を言ったかでなく、何をやったか!」

公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

「何を言ったかでなく、何をやったか!」について 5745

未分類 / 2022年7月31日

3昨日は県本部での会議の後、地元に戻りご挨拶まわり。今週号のタウンニュースに市政報告掲載。ご紹介します。

<小児医療費助成 所得制限撤廃の推進>

長年にわたり公明党が推進してきた「小児医療費助成事業」。現在、中学3年生までが助成対象となっています。我が党は、30年前の1992年、横浜市会で初めて乳幼児の医療費自己負担の無料化について提案。粘り強く主張を重ね、時の市長との激しい議論の積み重ねを経て、95年0歳児を対象とする医療費助成制度の創設を実現。

その後も、子どもを安心して産み育てられる環境を整えるために制度拡充に取り組み続け、19年4月に助成対象を中学3年生まで拡充し、21年4月には1,2歳児の所得制限の撤廃を実現しました。

現在、本会議、委員会などで、今の時代は子育てを社会全体で支えていく、社会で育てる取り組みの重要性を訴え、所得制限撤廃と一部負担金廃止し、すべてのお子さんが分け隔てなく助成の対象となる制度とすべきと、党を挙げて主張を続けています。

先の財政ビジョン特別委員会の質問に対し、山中市長は「小児医療費助成事業は、子育て支援策として、最も重要視している施策の一つ。議会の皆様と議論を深め、取り組んでいきます」と答弁。まずは中学3年生までの所得制限撤廃を目指します。

最終目標は、対象年齢を18歳まで引き上げ、所得制限撤廃、一部負担金なしの全額助成。引き続き全力で取り組みを進めます。

<公園の清掃・整備>

美しが丘西の保木公園遊水地グラウンドにて、地元町会、スポーツ関係者、サッカー協会、土木事務所の皆さんとグラウンド整備実施。間を取り持ちました。約70人の大人がスコップで側溝に固まった土を掘り上げるなど、泥だらけになりながら終わりなき戦い。大変ですが、大事な健康増進・スポーツの場。次回もよろしくお願いします。

<地域トピックス>

榎が丘小坂上、田奈町との交差点に「速度おとせ」路面標示が完成。少しでも安全な道となりお喜びの声を頂いています。

「不思議な少年」について 5744

未分類 / 2022年7月30日

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昨日は来週開催される公明党五大市政策研究会の打合せ。その後、市民相談の現場。夜は地元の会合へ。

先日、マーク・トウェイン著「不思議な少年」を読みました。その昔、アニメとなった同氏の「トムソーヤの冒険」を毎週楽しみにしていました。

米国のユーモア作家、楽天主義を代表するとされ、「トムソーヤの冒険」「ハックルベリフィンの冒険」などで有名なマーク・トウェイン。しかし、晩年は真逆のペニシズム(悲観主義)、暗い人間不信に彩られます。「不思議な少年」はその時期の代表作とされています。

1890年代に訪れた米国の西部開拓時代の終わりといった環境の変化、また彼の周辺に続いた不幸がペニシズムとなった原因ともされ、本作では「人間とは何か」「人間存在の機械的決定論(それぞれの人生の結末は生まれたときから決まっている)」を表現しています。

オーストリアの田舎にいた3人の少年。その彼らの前にサタンが現れ、不思議な現象を次々と起こしていく。その中で人間の欲望をあぶりだし、醜さを表現していきます。

サタンは少年に言います。「ぼくは人間ってものをよく知っている。羊と同じなんだ。いつも少数者に支配される。多数に支配されるなんてことは、まずない。いや、絶対にないと言った方がいいかもしれんな。感情も信念も抑えて、とにかく一番声の大きな一握りの人間についていく。声の大きな、その一握りの人間というのが、正しいこともあれば、間違っていることもある。

だが、そんなことはどうだっていいんで、とにかく大衆はそれについていくのだ。

元々大多数の人間ってものはね、未開人にしろ、文明人にしろ、腹の底は案外優しいものなんで、人を苦しめるなんて、殆どできやしないんだよ。

だが、それがだよ、攻撃的で、全く情け知らずの少数者の前に出ると、そういう自分を出し切る勇気がないんだな。考えてもごらんよ。もともとは温かい心の持ち主の人間同士がね、お互いスパイし合っては、心にもないひどい悪事に、いわば忠義立てして手を貸してしまうんだな。わざわざ心がけてだよ。

その辺、ぼくはよく知っているから言うんだが、ずっと昔はほんのわずかな狂信者どもが、はじめて魔女狩りなんて馬鹿げたことを煽り出した時にもね、まず100人のうちの99人までは猛烈に反対した。そして今でもだ、ずいぶんと長くつまらん偏見やバカげた教えが続けられてきているわけだが、それでも、本当に心から魔女狩りをやろうなんて考えるものは、せいぜい20人に1人くらいだろうな。そのくせ、表面だけを見ると、まるですべての人間が魔女を憎み、殺したがっているかのように見える。

だが、いつの日にかだよ、ごく一握りの人間でいいから、もし魔女の味方になって立ち上がり、大声でわめきたてるとする。いや、大きな声の持ち主で、勇気と決意のある人間なら、一人だっていい。反対を叫びだせばね、おそらく1週間もすれば、羊の群れは1頭残らず回れ右をして、その男のあとについていくに決まっている。魔女狩りなんて、あっという間になくなる。

君主制も、貴族政治も、宗教も、みんな君たち人間のもつ大きな性格上の欠陥、つまり、みんながその隣人を信用せず、安全のためか、気休めのためか、それは知らんが、とにかく他人によく思われたいという欲望、それだけを根拠に成り立っているんだよ。そりゃそうした制度は、永久に続くだろうさ。つづくどころか、いよいよ栄え、いよいよ君たちを圧迫し、侮辱し、堕落させることだろうよ。

だが、それは君たちが相変わらず、いつまでも少数者の奴隷になっているという、ただそれだけのことが原因なんだな。そうした制度に人民の大多数が心の底から信服している国なんて、決してなかったからね。」

少年が言い返す「羊呼ばわりされるなど、私としてはおもしろくなかった。そこで私はいってやった。『羊なんかじゃないつもりだよ』と。」

サタン「いや、立派な羊なんだよ。しかも、仔羊なんだ」「例えば戦争の時など見ろ。全く羊そっくりじゃないか。馬鹿馬鹿しい!」「戦争を煽る奴なんてのに、正しい人間、立派な人間なんてのは、いまだかつて一人としていなかった。僕は100万年後だって見通せるが、この原則の外れるなんてことはまずあるまいね。」

「いつもきまって一握りの連中が、戦争、戦争と大声で叫ぶ。すると、さすがに教会なども、はじめのうちこそ用心深く反対を言う。それから国民の大多数もだ。鋭い目を眠そうにこすりながら、なぜ戦争などしなければならないのか、懸命になって考えてみる。そして、心から腹を立てて叫ぶさ、『不正の戦争、汚い戦争だ。そんな戦争必要ない』ってね。すると、また例の一握りの連中が、いっそうわめきたてる。」

「それは長くは続かないね。なにしろ扇動屋の方がはるかに声が大きいんだから。そして、聞く者もいなくなり、人気も落ちてしまうというわけだよ。すると間もなく奇妙なことが始まるのだよ。まず戦争反対の弁士たちは石をもって演壇を追われる。そして狂暴になった群衆の手で言論の自由は完全にくびり殺されてしまう」

「ところが面白いのはね、その凶暴な連中というのが、実は心の底では相変わらず石をもて追われた弁士たちと、まったく考えは同じなんだな。ただそれを口に出して言う勇気がないだけさ。そしてそうなるともう全国民、そう教会までも含めただが、それらがいっせいに戦争、戦争と叫びだす。そして、あえて口を開く正義の士でもいようものなら、たちまち蛮声を張り上げて、襲い掛かるわけだね。まもなく、こうした人々も沈黙してしまう。あとは政治家どもが安価な嘘をでっちあげるだけさ」

「そのうちには、正義の戦争ででもあるかのように信じ込んでしまい、誠に奇怪な自己欺瞞だが、そのあとではじめて、ぐっすり安眠を神に感謝するわけだな」

人としての道を求める著者の何かを感じます。

読み進めるうちに西洋的な著者の命の捉え方と、東洋的なものとの違いのようなものも感じました。

夏の一冊に、よろしければどうぞ。

「あきらめないことが大事」について 5743

未分類 / 2022年7月29日

13昨日は青葉台駅前での街頭演説の後、市民相談対応、広報紙関連の打合せ等。それにしても、低劣な週刊誌がまたありもしないデマを垂れ流しています。抗議して訂正記事を掲載させるのは当然ですが、デマであっても簡単にもとにはもどらない。ウソやデマは「言論の自由」とは異なります。無責任が社会をどんどんと悪化させる。厳しく対処すべきかと思いますが、こうした売るためには手段を選ばない、「他人の不幸の上に自らの幸福を築こう」とする輩は、遠い昔からいるわけで、大事なことは放置せず、その愚行を明らかにしていくことかと思います。あきらめは、悪の放置と同意です。

あきらめないこと。次元は異なりますが、先日、公明新聞コラム「北斗七星」が記していました。

「普段から友人や近所の人との付き合いはあるか」「階段を手すりなどをつたわらずに上れるか」。こう問われたら「はい」と答えられるだろうか? これは名古屋市のフレイルテストの一部。公明党の提案で作られた。

フレイルは「虚弱」を意味する英語。老年医学では要介護状態の手前を指す。原因の一つが生活不活発。体を使わず「動かない」でいると「動けない」体になっていく。

「使うこと」の大切さについてレオナルド・ダ・ヴィンチは述べた。「鉄が使用せずして錆び、水がくさり、また寒中に凍るように、才能も用いずしては損なわれる」。立命館アジア太平洋大学の出口治明学長の著書『人生の教養が身につく名言集』(三笠書房)にある。

出口氏の健康法の一つは「錆びないように体と頭をよく『使う』こと」。特別なことは不要。働くのもいいし、家事をしたり、人に会ったりするのもいいと述べる。

フレイルは予防・改善できる。鍵は社会とのつながり、運動、栄養。「年だから」とこもるのではなく「年だからこそ動こう」との意識が健康をつくる。多くの学校が夏休み。子どもたちに負けないぐらい、頭と体を使おう。新型コロナと熱中症に注意して。」

「あきらめが大事」という言葉がありますが、それは時と場合によりけり。

健康は「あきらめないことが大事」かと思います。

世代間交流拠点「フレミラ」について 5742

未分類 / 2022年7月28日

13昨日はこども青少年・教育委員会の超党派の視察で兵庫県宝塚市へ。宝塚市立大型児童センター・老人福祉センターの複合施設「フレミラ宝塚」の取り組みについて伺いました。

現場に到着した時、開場を待つ高齢者の列。「少子化か」と思いましたが、すぐその列の後ろに中学生の列。その後、勉強している子どもたちの横で、ご高齢者が新聞を読むという姿となりました。阪神淡路大震災の甚大な被害。それをきっかけに未来を担う子どもたちがいきいきと成長できる街を目指し、子育て支援拠点としてスタート。

平成14年(2002)に老人福祉施設の老朽化・建て替えを契機に、老人福祉センターと大型児童センターの複合施設へ発展。高齢者と児童が「ふれあい」と「みらい」を築く世代間交流の拠点に。(開所時間9:00~21:00)「学習・文化活動」「仲間づくり」「交流」の場を提供。社会福祉法人・宝塚市社会福祉協議会が指定管理者として管理・運営。相互に交流を深めることを目的に様々な事業を展開。

世代間交流はひとつの目的。高齢者が先生となり、囲碁・将棋、陶芸、お茶会などを学ぶ教室。復習を中心に学習の場、数学、英語などの「おさらい塾」を開催。また、夏休みに入ったこともあり「宿題かたづけ隊」も設置。そこの先生は、その昔に同館を利用した大学生たちでした。

館長は「フレミラに来る子どもは限られている。まだ来場する子どもはいいが、根の深い問題を抱えた子どもたちをどうするか。一人でも多く人に来てもらいたい。それが課題」と語られていました。

「居場所」は重要。新たなハコを作ることは現実的ではありませんが、横浜にはケアプラザも地区センターもあります。ケアプラザの機能には子育て支援も含まれているものの、十分でないものを感じます。

今後に生かして参ります。

「脳トレ」を生かした中高一貫教育と「こども発達障害支援センター」について 5741

未分類 / 2022年7月27日

13昨日はこども青少年・教育委員会の超党派の視察で兵庫県小野市及び伊丹市へ。

小野市では、市内全校区で小中一貫教育を推進中。そのきっかけは、平成16年、市内の学力低下問題、心の教育問題のクローズアップ。脳科学と教育の観点から東北大学の川島隆太教授(脳トレで有名な先生)を教育行政顧問として招聘。学力の育成、心の育成を目的に子どもたちの教育のため各教科の「おの検定」を作成。大きな成果をあげている。

9か年の教育目標「15歳の姿」を共有し、発達に応じた一貫した教育を展開し、児童生徒の学力向上、生徒指導のより一層の充実を図るとしています。

一方、市教委の学校定例訪問の廃止(市教委の権威主義の破壊—pptそのまま)、市の研究指定の廃止(学校の自主性に邪魔)、学校独自の研究活動のための自由裁量予算(年間1校50万円)、教員の定例教育講演会の廃止、卒業式の告示の廃止等、他の自治体ではあまり見ない、前教育長から始まった教育委員会「改革」が大きな推進力。興味深いものがあります。

同市の取り組みのポイントは次の通り。

121.「夢と希望の教育」を展開する「16か年教育」の一環としての小中一貫教育

義務教育を修了する「15歳の姿」をイメージし、「キャリア教育」の視点を大切に、子どもたちの夢と希望をかなえる教育を展開。

2.脳科学理論を生かした前頭前野の発達を踏まえた小中一貫教育

教育行政顧問・川島教授の脳科学の研究成果を生かし、前頭前野の発達を踏まえた各成長段階に応じた9か年一貫した教育を展開。音読、コミュニケーション、自分の言葉で伝える言語活動の充実等を生かし、脳を活性化させながら成長させていく。

※9か年、発達に応じて、一貫した系統立てた教育を行うことにより、連続性のある教育を蓄積し、子ども達の学力向上や生徒指導の充実を図るとしています。

小野市における9か年のとらえ方は、脳科学理論による前頭前野の発達も踏まえ、「4・3・2」の各成長段階に応じた9か年一貫した教育を展開。

1.義務教育第1期(生きる力の基礎養成期)1~4年生では、児童が受容的で、生活・学習の基礎を固める重要な時期(学級担任制)であり、じっくり生きる基礎を習得・定着 「わくわく感」のある意欲的な学びを推進

2.義務教育第2期(大人への変容期) 5~7年生 ※小中一貫で重点的に研究 自立した考え方を始める時期。教科内容が難しくなり、心理的にも揺らぎやすい時期。「10歳の飛躍」おとなの脳へ発達 「知的好奇心」に基づく主体的な学びを推進

3.義務教育第3期(夢と希望に向かう自立期) 8~9年生 将来に対する目標をもち、夢と希望の実現へ向かう時期。思考力・創造力が大きくアップ 「目標意識」を大切に自立した学びを推進するとしています。

これらの取り組みの結果、基礎基本の定着により、満点合格者が増加。学習意欲が高まり、間違いやすいところを赤色で囲むなど工夫して学習する児童が増加。家庭学習の充実により、計画的に学習する児童の増加、自主学習をする児童の増加。家庭への啓発により保護者の協力が拡大しているとのこと。

一方、検証の結果、スマホの過度な利用は、学習効果が下がることも証明されたとの話も。

ICT活用の効果より問題解決型学習の方がはるかに重要。ゲームについては、小野市の子どもは全国平均より1日2時間ほど少ない。最近スマホの利用時間が増加傾向。そこまで調査して、具体的な対策を打つことを考えている点は、市教委のモチベーションの高さを感じます。

行政、学校だけでなく、保護者の協力が大きく、子どもたちが自分で考え、勉強する自主学習が定着していることが印象的。

また、読み聞かせは「心の脳」を育む。読み聞かせは親子の心と心のふれあい。脳科学から証明され、それを生かした子育ての力との話もありました。

目的は子どもたちの「自立」。勉強になりました。

その後、伊丹市立こども発達支援センター「あすぱる」へ。発達に支援を要する子どもたちが地域で安心して成長できる社会環境を作るため、総合的かつ一貫したサービスを提供。子どもたちの未来(あす)と大切な友だち・仲間(ぱる)を育む施設をイメージして作られた施設。子どもたちの健やかな発達を支え、子どもたちをはじめ多くの方々に愛される施設を目指すとしています。貴重な情報交換をさせて頂きました。

「デュアルスクール」について 5740

未分類 / 2022年7月26日

13昨日はこども青少年・教育委員会の超党派の視察で徳島県庁へ。同県が推進する「デュアルスクール」について伺いました。

冒頭、徳島県教育委員会事務局長から、人口減少が始まって久しい。都市と地方どちらの問題というものでもなく、都市部と地方の新たな関係の構築が大事になっている旨のご挨拶から始まりました。

「デュアルスクール」とは、地方と都市の2つの学校の行き来を容易にし、双方で教育を受けることができる新しい学校のかたちのこと。地方と都市の交流人口や「関係人口」の増加による地方創生と少子化への対応、子どもの豊かな体験機会の提供の視点から、地方と都市の学校を結ぶ教育環境を創造することによって、地方と都市双方の視点に立った考え方のできる人材を育成するとともに、「二地域居住」や「地方移住」を促進することを目的としています。首都圏等3大都市圏からの児童・生徒が対象。途中、横浜からの制度利用者の話もありました。

現行の学校教育制度では、2つの学校に籍を置くことは認められていませんが、デュアルスクールは、「区域外就学制度」を活用することによって、都市部に住民票を置いたまま、保護者の短期居住(数週間程度)にあわせて本県の学校に学籍を異動させています。また、1年間に複数回の行き来も可能としています。

そして、学籍を異動させているので、受入学校での就学期間も住所地の学校では欠席とならず、受入学校での出席日数として認められる。また、受入学校には非常勤の「デュアルスクール派遣講師」を配置し、当該児童生徒の学習や学校生活の支援を行うとともに、都市部の学校との連絡調整業務を行うことで、受入学校をサポートしています。

デュアルスクールがもたらす効果として、児童にとっては、地方と都市双方での生活を体験することによる多様な価値感の醸成ができることとされています。

保護者にとっては、新たな働き方やライフスタイルの実現、子どもと過ごす時間の増加、将来的な二地域居住や移住に向けての子どもの教育に関する不安の払拭が挙げられていました。

また、受入学校・児童生徒にとっては、新しい人間関係づくりの体験や学校の活性化、地方と都市の違いを知る機会の創出や我が町・我が県の良さの再発見。受入地域にとっては、交流人口や関係人口の増加による地域の活性化や移住の促進とされていました。

これらの取り組みは全国知事会先進政策大賞受賞、また「デュアラー」がリクルートのトレンドワードとなり注目されているとのこと。

一方、課題としては、認知度が不十分のため説明に時間がかかる。手続きを簡略化する業務改善が必要等、挙げられていました。

ワーケーション、サテライトオフィスなど、ロケーションだけでは北海道、沖縄にはかなわないが、デュアルスクールがあることで、勝負できるとの話も。今月、読売テレビ「バンキシャ」の取材を受け、8月放映の予定だそうです。

子どもたちにとって、多様なものに触れ、学ぶことができ、とてもいい経験になる事業。様々な質疑のある中、私からはこの事業に対する国の熱量について質問。まだ事例が少なく、コロナ禍の影響もあり、まだまだこれから。教育的な効果を含め、事例を積み上げ広げていきたいとのことでした。

横浜市でも紹介していければと思います。

「世界の分断、避けるには」について 5739

未分類 / 2022年7月25日

13昨日は市民相談対応、市政報告作成等。途中、玄海田公園グラウンドへ。

ウクライナ産の小麦などの輸出が滞っている問題で、ロシアとウクライナ、仲介役のトルコと国連は、ウクライナ南部の港から農産物の輸出に向けて安全に船を航行させる手順などで合意しました。世界的に食料不足への懸念が高まる中、今後は合意内容が確実に履行され食料供給の安定につながるかが焦点。政治家は色んな理由を並べますが、普通の生活者の日々を奪う戦争。分断は不幸の元凶です。

先日、日経新聞「復眼」に、元欧州復興開発銀行総裁・ジャック・アタリ氏が、「世界の分断、避けるには」と題して寄稿されていました。

「私はいまのところ世界は深刻な分断には至っていないとみているが、その可能性はある。いまは国際協調に前向きなバイデン米大統領がいて、欧州は結束しており、日本もすぐそばにいる。しかしロシア経済は機能していないし、中国経済もコロナ対応をみるとうまくいっていない。

すべては2024年の米大統領選にかかっている。トランプ前大統領が戻ってきた場合は問題が生じる。彼が今米大統領だったら、ロシアへの制裁やウクライナ支援もうまくいかなかっただろう。

長い目で見れば、世界の分断は起こらないと信じているが、短期的には2年後の米大統領選の結果、米国が民主主義国家でなくなることがリスクだ。

ロシアによるウクライナ侵攻は、欧州にとっては目覚ましコールのようなものだった。(エネルギーや食料のロシア・ウクライナなどへの依存にみられるように)輸入の25%以上を1つの国に依存してはいけないということだ。

欧州連合(EU)は大きくなり、潜在的な成長力もある。EUはコロナ禍への対応やウクライナ危機でも一致団結している。欧州は裕福で民主的という意味で世界でも例外的な地域だ。

米国が創設した米英豪の安全保障の枠組みのAUKUS(オーカス)は、太平洋地域に関心を持つフランスを除外しており、良い方法ではない。米国は、EUとも協議して民主主義国家による同盟にすべきだ。

北大西洋条約機構(NATO)よりももっと大きい民主主義国家による軍事力の裏付けのある政治同盟をつくることが必要だ。非民主主義国が民主主義に移行するのを支援すべきだ。

格差など国内の社会的な分断を回避する一番良い方法は、次の世代の生活が今よりも良くなるという感覚を人々に与えることだ。

私は「命の経済」という考え方を提唱している。健康、教育、デジタル、クリーン・エネルギー、民主主義、安全保障、良質な食品と農業などの分野に焦点を当てるべきだ。これらの部門は現在、国内総生産(GDP)全体の4割未満だが、これを7割に引き上げるのが私の夢だ。」

「分断を回避する一番良い方法」は「次の世代の生活が今よりも良くなるという感覚を人々に与えること」とのこと。

日本に求められていると思います。

「心に響くコーチング」について 5738

未分類 / 2022年7月24日

20220723春季大会 (3)3昨日は2022年度(第54回) 青葉区春季少年少女サッカー大会の決勝・3位決定戦。全6試合を観戦し、表彰式に臨みました。フィールドでプレーする選手だけでなく、ベンチ、運営、審判、そしてスタンドが一体となっての大会。暑かったですが、見ていて楽しかったです。スポーツの力を感じます。

先日、日経新聞コラム「サッカー人として」に、サッカー元日本代表の三浦知良選手が「心に響くコーチング」と題して寄稿されていました。

「ハットトリックを決めた試合で、出迎える監督の一言が「おまえは得点王になりたくないのか?」だったことがある。「きょうなら6点は取れたぞ」と。この憎たらしい監督に負けてたまるかと、良くも悪くも、仲間ともども闘争心をかき立てられたものだった。

練習メニューが選手を飽きさせない、テンポもいい、その人の人間性も表れる。そういうコーチの下だと選手は乗っていける。概していいコーチは、やろうとすることが50あったとしても、選手の状況次第では30に、足りないとみれば60へ、臨機応変に変えられる。

監督である兄と僕が、日本代表戦の話をすると、同じ試合でも見方はだいぶ異なってくる。僕は選手目線でプレーを見るし、兄は監督の視点で試合の変化や采配に目を向ける。それほど捉え方が違うわけだから、僕ら選手が指導者の真意をどれだけ分かっているかとなると、心もとない。逆もまた、同じじゃないかな。

監督が「きょうは最高の練習ができた」と達成感に浸るとき、選手側は擦り切れてボロボロ、最高だとは感じられないのはよくあること。指導される側の気持ち、指導する側は知らず。

ただ、監督は選手の心情を分かりすぎても仕事はしづらい。情を挟みすぎると決断に差し支える。選手が、自分に交代を告げる監督の気持ちを理解しすぎてもあまりいいとは思えない。

ある教育を早くから受けてこの学校に入れば、必ずいい人間になれる。そんな教育はうさん臭いように、「これをすれば勝てるコーチング」も疑わしい。どんな形であれ暴力は許されないのは絶対として、権限の行使を伴う指導が良いものになるかどうかは、そこに愛といえるものがあるかないか、じゃないかな。指導する側でなく、される側や周りの人間が「ある」と感じられるかどうか。心に炎を、受け取れるかどうか。

ある行為を、痛みと感じるか気持ちよいと感じるかは人それぞれ、場面によりけり。日本代表の長友佑都選手に向けられる批判はある種の暴力といえるけど、本人はそれを力に変換していると聞く。特殊能力? いやいや、人の心の奥底はそう簡単には分からない。働きかける側もかけられる側も、そういうデリカシーを持ち合わせていたいね。」

カズさんの指摘する通り、心に火が付けばいいですが、受け取る側が「どう捉えるか」。

上に立つ人の役割として、「どう伝えるか」。

スポーツに限らない話かと思います。

日頃から「対話」ができる関係、環境づくりが大事かと思います。

「安全第一の夏」について 5737

未分類 / 2022年7月23日

12昨日午後、息子の高校の先生とリモートで保護者面談。高2ですので夏休みの過ごし方というより、ほとんど進路の話。4人目ともなると「なんとかなるだろう」という裏付けのない「妙」な感覚の一方、教科書などの周りにカードゲームの山。「お前、大丈夫か?」といった感じです。

横浜市立学校も約40日間の夏休みに入りました。毎年この時期になると行楽地等の事故のニュースをよく目にするようになります。

先日、日経新聞の社説が記していました。

「警察庁の統計によると、昨年7~8月の山岳遭難の件数は533件だった。遭難者は597人で、うち死者・行方不明者は46人。コロナ以前より減ったとはいえ、登山ブームを背景になお高い水準にある。

遭難者で目立つのは中高年だ。50歳以上が6割超を占めた。長引く自粛生活により、身体能力が衰えている人もいるだろう。自分の体力や技術を過信することなく、無理のない計画や行動を心がけるべきだ。

近年はインターネットやSNS(交流サイト)の弊害を指摘する専門家もいる。仲間づくりや情報共有に役立つ一方で、ネット上の情報をうのみにして初心者が難しいルートに挑戦したり、不十分な装備で登ったりして、遭難するケースがあるという。

低山や比較的易しいとされる山でも、天候などにより危険は一気に増す。地図や雨具、ヘッドランプは必ず携行する。遭難時に発見されやすいよう登山計画書を提出する。基本を徹底したい。天候の悪化や疲労を感じたら早めに引き返す決断が身を守る。

水の事故にも注意が必要だ。昨年7~8月の水難者565人のうち、2割が中学生以下だった。小さい子どもから目を離さず、子どもだけでの水遊びも避けるよう気をつけたい。

今夏は3年ぶりに海水浴場を開設した地域もある。運営する関係者は、危険箇所や救助態勢をあらためて確認しておくべきだ。

自然の中での活動は心身の健康維持に役立つ。新型コロナの感染防止にも気を配りつつ、夏の野山を満喫したい。」

お気を付けください。

箱根駅伝「全国化」について 5736

未分類 / 2022年7月22日

6昨日は青葉台駅前での街頭演説の後、市民相談対応、行政関連打合せ等。駅では夏休みに入ったからか、父子でサッカーボールを持って改札へ向かう姿を目にしました。一方、「新銀河系軍団」とされるサッカーチーム・パリサンジェルマン来日中。夢のような布陣で魅了しています。

先日、日経新聞コラム「スポーツの力」に、「箱根駅伝の全国化 続けて」と題したコラムが掲載されていました。

「関東の大学生の大会である箱根駅伝が2024年正月の第100回大会で全国の大学に門戸を開く。関東学生陸上競技連盟は23年秋に開催する箱根駅伝予選会の参加資格を、関東だけでなく「日本学生陸上競技連合」の男子登録者にすると発表した。

大学の規模や運営方針などによって環境や条件が違う学生スポーツで横並びで日本一を争うやり方には抵抗も感じるが、このニュースはうれしかった。101回大会以降も続けられるようなら、全国のジュニアランナーの可能性を広げ、高速化が進む日本の男子マラソンのレベルアップにもつながると思う。

予選会はタスキのリレーはなく、各大学の選手が一斉にハーフマラソンを走り、上位10人のタイムの合計で競う。従来通りの出場枠なら前回大会の上位10校と予選会の上位10校が本大会に臨む。だが、現在の力関係では、24年正月に地方の大学が箱根を走る可能性は低い。

高校駅伝の強豪校は全国に存在するが、有望ランナーはこぞって関東の大学を目指す。進学して陸上を続けるなら彼らの次の夢は正月の箱根を走ること。箱根駅伝の人気が高まるほど、陸上中長距離で関東と地方の大学の実力差は広がった。地方から出場を目指せるようになっても、追いつくには5年以上はかかるだろう。

対照的なのが野球。プロ野球にはソフトバンクの柳田悠岐(広島経済大)、広島の菊池涼介(中京学院大)ら、地方の大学出身の大物選手が目立つ。秋田・金足農から日本ハムに入団した吉田輝星も当初は青森・八戸学院大に進学する予定だった。

以前は東京六大学、東都、関西学生など関東と関西の伝統リーグと地方リーグの実力差は大きかった。だが、高校野球の地方の逸材の受け皿となって地方大学のレベルは上がり、全日本大学野球選手権で伝統リーグの代表を破っても波乱ではなくなった。

逆に大学駅伝では関東への有望ランナーの集中が続いている。その陰で、家庭の事情や経済的な問題によって関東の大学への進学が許されずに陸上をあきらめてしまった高校生ランナーも少なくないだろう。

第100回大会の予選会は全国の大学が出場できるが、それ以降はこれから検討するという。はっきり言って、関東の学生ランナーにとって本大会出場のライバルが増えるだけでメリットはない。関東の大学が運営し育ててきた大会であり、全国に門戸を開く義務も責任も彼らにはない。

それを承知の上で、ファンとしてはそれでもオープン化を続けてほしいとお願いしたい。」

同感です。母校・創価大学の活躍を願いつつ、オープン化、続けて欲しいです。