罪深い「ひのえうま」の迷信について 5696
昨日は終日地元でご挨拶まわり。昼は藤が丘「びすとろ 和芯」へ。コロナの影響もあって、旧知の板さんがこちらの厨房に入ったとの話を耳にし、挨拶も兼ねてランチ。美味しかったです。
年恰好はほぼ同じの板さん。確かな修行を経たベテラン。料理も雰囲気もいい味出してます。
そういう私は「ひのえうま」。人口が少なく、クラスも少なかった学年。しかし、入りやすかったはずの大学受験に失敗し浪人。翌年、あえて爆発的に出生した皆さんと争うことに。何とか滑り込みました。
先日、日経新聞が「『ひのえうま』迷信の罪深く」と題して記事を掲載していました。
「懸念が現実化したのは1966年夏である。
「今年はずいぶん、赤ちゃんが少ない」。そんな驚きを伝える報道が目立ちはじめていた。年初来の出生数の落ち込みが、くっきり浮かび上がりつつあった。
原因は「丙午(ひのえうま)」の迷信だと、ほぼ断定できた。60年に1度、この年に生まれる女性の気質をあげつらう根拠なき言い伝えが、かねて流布していたのだ。
登場する東京都墨田区の病院では「例年、月に三百件のお産を扱うんですが、ことしは二百件前後なんです」。保健所による迷信打破の啓発も奏功していないと記事にある。
66年の日本の出生数はその後も回復することなく、結局、前年より46万人ほど少ない約136万人となった。じつに25.4%の減少だ。合計特殊出生率も2.14から1.58へと急落した。
ちなみに、平時にこの数字を下回り、いわゆる「1.57ショック」に見舞われたのは89年だ。
心配はしていたが、これほどの産み控えが起きようとは……。多くの専門家が嘆いた。「月世界への旅行がはじまろうとする時代に中世の亡霊があらわれたような感がする」と人口学者の村井隆重は記している(「ひのえうま総決算」)。
亡霊は、前年の初めごろからメディアを徘徊(はいかい)していた。
メディア通じ増幅
その特集は、講談社が出していた女性週刊誌「ヤングレディ」65年1月25日号に載った。
「60年に1度の危険」「来年赤ちゃんを産むあなたに警告します!」「丙午の赤ちゃんを産んだらたいへん」――
「ひのえうま」の到来まで1年。マスコミに関連記事が登場しはじめていたが、多くは啓蒙的な内容だった。前回1906年まれの女性たちが迷信を笑いとばすといった企画も散見される。
そんななかで、この記事はかなり露骨だ。来年生まれる子が女児なら「その子は一生、丙午という烙印(らくいん)を背負って、生きてゆかねばなりません」。
特集はそう前置きしたうえで「ひのえうま」をめぐる議論を紹介し、話題は「男女の産み分け法」に至る。「産んだらたいへん」の見出しは新聞広告にも躍った。
罪深い内容だが、世間にはもともと「ひのえうま」への漠然とした不安があったに違いない。それをメディアがすくい取り、亡霊は市井で大きくなっていく……。
約1カ月後。こんどは「週刊サンケイ」3月1日号に、「来年はヒノエウマ いまなら間に合います」という思わせぶりな記事が載っている。
いわく「いまなら間に合う」という言葉が「深く、静かに、ひそやかに、ささやかれている」。出産が「ひのえうま」にかからぬためには「ギリギリいつまでに受胎を完了すればいいか」。
これもまた、世の中のホンネや「ささやき」をあえて可視化した記事だろう。いまなら、その役割の多くをSNS(交流サイト)が担う。次の「ひのえうま」は2026年である。
なお強い同調圧力
戦前の慣習が残っていた昭和40年代とは違い、さすがに次の「ひのえうま」に人々が動じることはない――。そう考えたいが心配もある。
「日本人が気にするのは共同体への『迷惑』です。たとえば、友引に葬式を出す人は少ない。世間から奇異の目で見られたくないのです」。こう語るのは同志社大教授の太田肇(67)だ。「だから『ひのえうま』現象の再来もありうる。新型コロナウイルス禍を経て、日本に『ヨコの同調圧力』が強まっているのが気になります」
66年の「ひのえうま」の翌年は出生数が一気に約57万人も増える回復ぶりを見せた。しかし、こんどこの現象が起きた場合はどうなるのか。
国立社会保障・人口問題研究所副所長の林玲子(56)は「晩婚化、晩産化が進むなかでは、次の年にすぐ回復するかどうか微妙だ」と指摘する。「1年ずらすことで出産のタイミングを失う可能性もあります」
2021年の出生数は過去最少の約81万人。そんな時代に、この迷信の罪はいよいよ深い。
もっとも、その年の子どもの数が少なそうだという情報が、かえって出産を促すかもしれないという。「保育園に入れるのだって楽になりますからね。SNSの影響は大きいでしょう」
「ひのえうま」をめぐっては、話題にすること自体を避ける空気が、かねてある。しかしどう封じても60年に1度、顔を出す厄介者だ。直視して、その非を社会で共有したいものである。」
納得の一文。また、マスコミの影響力と、日本人の同調圧力。コロナ禍で改めて感じた力でした。