安全・安心の横浜へ 「何を言ったかでなく、何をやったか!」

公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

「ドカベン」について 5555

未分類 / 2022年1月24日

IMG_0370 1 ()

昨日は市会から朝の座談会リモート参加、来年度予算関連の準備等。早めにブログを書き終えたところで、市役所内のラーメン店へ。調子に乗って「葱めし」を追加して食べ過ぎました。

私が小学生の時(40年以上前の話ですが)、週刊少年チャンピオン、ジャンプ、マガジンなどは大体150円程度だったと思います。友達とそれぞれ買ってまわし読み。当時、連載が始まったばかりの「キン肉マン」「こちら葛飾区公園前派出所」などと共に人気だったのが「ドカベン」。明訓高校が甲子園で活躍していたころまで見ていましたが、その後に主人公の山田太郎がプロで活躍するまで続くとは思ってもみませんでした。因みに、山田太郎は横浜市出身。明訓高校は横浜にある私立高校。架空の学校ですが。

ドカベン、あぶさん、野球狂の詩の生みの親、水島新司さんが今月亡くなりました。享年82歳。

日経新聞コラム「春秋」が記していました。

「優れたキャラクターが登場する漫画はね、時代を超えるんです」。かなり前のことだが、水島新司さんに話をうかがったことがある。人気漫画が長く読み継がれる理由をお聞きした。おととい届いた訃報で、電話越しの熱っぽく、優しい口調が耳の奥によみがえった。

言葉の通り、水島作品の登場人物はみな個性の塊である。それでいて試合の描写はリアルだった。代表作「ドカベン」の連載開始は1972年。今よりずっと多い野球少年の心をつかんだのは当然だろう。そこかしこの空き地や校庭で、自称「山田太郎」や「殿馬一人」が走り回っていた。以来、連載は半世紀近くに及ぶ。

自身も野球に夢中だった。地元の新潟で高校野球をやりたかったが、家業を手伝わねばならず進学を断念した。その後両親の反対を押し切って漫画の道へ。己の才能を信じて夢の舞台に向かっていく歩みは、一流のプロ野球選手と重なるようでもある。もちろん人知れず素振りを繰り返した下積み時代もあったに違いない。

「いくら書いても飽きない」と口にしていたが、一昨年暮れに突然、漫画家らしからぬ「引退」を宣言してファンを驚かせた。当時81歳。胸中では書き抜いたという達成感と、創作への未練が交錯していたのではないか。それから1年後の悲報である。満員のスタジアムを後にする背中に向け、惜しみない拍手を送りたい。」

今日、ブログが5555回目。「背番号5、誰だったかな?」と思えば岩鬼正美でした。

わかる方にはわかる「花は桜木、男は岩鬼」。

ご冥福をお祈りします。