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公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

「金メダル」女子ソフトボールについて 5381

未分類 / 2021年8月3日

IMG_0373 1真夏の日々、うちのひまわりも満開の日々。そして、オリンピックの感動が続きます。先日の女子ソフトボールの金メダルには感慨深いものがありました。

1991年、私が会社に入社し、研修期間を終えて配属されたのが高崎工場。敷地に入るとソフトボールの練習風景が目に入りました。宇津木監督、上野投手らが所属する現在の「ビックカメラ高崎」の前身は「日立高崎」。宇津木妙子監督のもと、宇津木麗華選手(当時は中国籍で名字は任さん)を中軸に常に日本一を争う強豪チーム。関連会社含め約2000人が勤務していた工場で行われるレクレーションのひとつはソフトボール大会。そこで優勝すると、女子ソフトボールチームと試合ができるというのが特典でした。唸るようなストレート。「ぶつけられたら明日は年休」と言っていたのを思い出します。

日経新聞コラム「春秋」が記していました。

「2000年のシドニー五輪のソフトボール日本対米国の決勝戦。延長タイブレーク八回裏、米国選手の打球がゆるやかな弧を描いてレフトに飛んだ。捕れる。ベンチは確信した。ボールはグラブに収まったかに見えた。が、転倒しこぼれ落ちた。サヨナラ負けを喫した。

左翼の選手が更衣室でうなだれていた。チームを率いた宇津木妙子監督は、長く後悔するひと言を発してしまう。「いつまで泣いているんだ。おまえのエラーで負けたんだろ」。励ますつもりだったが、言い過ぎてしまった。ナインの気持ちを代弁し、主砲の宇津木麗華選手が声をあげた。「あれは、みんなのエラーです」

「ソフトボール・マガジン」8月号で妙子さんが述懐している。「選手のせいにした自分が今でも恥ずかしい」「なんて情けない監督なんだ」――。監督は、こうと決めたら最後まで迷わずにやりきるしかない。それで負けたら、責任はすべて指揮官にあるのだ。東京五輪のスタッフに、自分の経験と反省を伝えたい、と。

宇津木麗華監督が胴上げされた。北京出身。妙子さんに憧れ、反対する父親を説得して、日本に帰化する。日本代表で金。自身の夢と、中継にくぎ付けになった人々の願いを、冷静な采配でかなえてくれた。試合後、エース上野由岐子投手を「神様」とたたえ、周囲に頭を下げていた。「2人の宇津木」の物語が完結した。」

「2人の宇津木」はもとより、飛び立った選手たちは、皆さん大変立派で、尊敬を集める人が多かったです。

コロナ禍の厳しい中ではありますが、スポーツの力。いい意味で、人にも社会にも大きな影響があると思います。