「パラが教えてくれる」について 5409
熱戦が続く東京パラリンピック。ブラインドサッカーを見ていると「本当に見えてないのか?」と感じます。圧巻の迫力がスポーツの力を伝える一方、2012年ロンドン大会が、英国の「障害に対する人々の意識を変え、社会認識を変えた」とされます。パラの社会への影響は大変大きいものがあります。それ故に、閉塞感と利己主義的なものが広がる社会にあって、コロナ禍ではあるものの「子どもたちに現場で見せたい」と思う方も多いのだと思います。
障害があろうがなかろうが、人種も、家庭も、誰にでも、人には違いはあります。支え合う力が求められている今、自らの満足のために、他人を犠牲にする愚かな為政者などがいますが、「差別」こそが人類の敵だと思います。
先日、日経新聞コラム「サッカー人として」に、元日本代表、横浜FC・三浦知良選手の「パラが教えてくれる」と題した寄稿が掲載されました。
「1月2日恒例の初蹴りに障がい者サッカーの方がきてくれたことがある。動きもシュートもすごくて、どこかが不自由であることを忘れてしまうほどだった。
サッカーでは身長2メートルに近い人がいる一方で、そうでない人にも活躍の道がある。あのイニエスタだって背格好は特段、目を引かない。ジーパンにTシャツ姿だったら「普通の人」に紛れてしまうかも。それでもスーパープレーができる。
「多様性を認め、誰もが個性や能力を発揮して活躍できる場を」というパラリンピックのテーマはサッカーにも通じるものだよね。個性があり、それが束ねられて豊かなアンサンブルになる。均質な11人より、多様な個性がバランス良く交じる11人の方がチームとして強いんじゃないのかな。
いろんな人がいるのはピッチ上でも同じだよ。僕が19歳のころ、先輩にドゥンガがいた。相部屋でプロの心得を温かく教えてくれたと思ったら、ピッチでは一変して「この日本人、もう帰っちまえ!」とどなる。こんな人とやっていけるのかなと、思いましたよ。
でも、そう思うだけで終わるのではダメなんだね。言い返せるくらいでなければ成功もしないと感じた僕は、自分も意見を持ち、発し、それに行動が伴うよう心がけるようになった。ある個性に触れたことから、「物言う選手」という自分の個性も育まれたと思う。
横浜FCにはこの夏、外国人選手が次々加わった。前からいる選手は自分の立場が脅かされるわけで、心中穏やかじゃない。でも今は、新しくできた競争状態も含めて様々なことに打ち勝とうぜと、みんなの意識が一つになっている。新しい選手は変化をもたらす。既にいた選手も「やらなければ」と変化していく。交じり合うことの前向きな効果が生まれているんだ。
ブラインドサッカーはボールの中の鈴の音と「ガイド」の声をもとに動くという。普通のサッカーより数段も深いコミュニケーションがなされているはず。音や気配をつかむ鋭敏なセンサーで、僕らが感じ取れないものを彼らは感じ取れる。学ぶべきことがあるんじゃないか。
何かが欠けたとしても、伸ばせる何かがある。そこに長所も、可能性も隠れている。発見やヒントをパラスポーツが教えてくれる。」
選手のそれまでの人生の歩みまでも見入ってしまうパラリンピック。学ぶことが多いです。