「コロナ禍が示す国民の行動様式」について 5318
昨日、顧問を務めさせている女子サッカー・日体大FIELDS横浜のU‐15「ビーネ」の勉強会へ。山田告人監督率いる強豪へと進化を続ける同チーム。その陰には保護者も交えた日々の努力の積み重ねがあります。昨日は同チームを支える栄養士の小西先生によるアスリートのための食育勉強会。「心技体、いずれも欠かすことなく伸ばしていく」との監督の強い思い。日頃のチームの行動を見ていて、しつけを含めた人間教育が全体に浸透していることを感じます。
先日、日経新聞コラム「大機小機」が、「コロナ禍が示す国民の行動様式」と題した示唆に富む寄稿を掲載していました。
「先日発表された2021年1~3月期の実質国内総生産(GDP、季節調整済み)の成長率は年率換算でマイナス5.1%だった。米国の6.4%とは対照的である。前年1年間の成長率も日本がマイナス4.7%、米国は同3.5%でこちらも日本の落ち込みが激しかった。
また国際通貨基金(IMF)の4月の世界経済見通しによると、今年は全般に回復し、日本の成長率は3.3%、米国は6.4%という。日本経済の復元する力は弱いと見られているのである。
一方で新型コロナウイルスによる直接的な人的被害は、現在まで日本は格別に少ない国だ。新型コロナによる死亡者数は4月末で1万人を超えたが、米国は足元で59万人、イタリアやフランスは10万人以上である。
日本は人的被害に比べ経済的損失があまりにも大きい。原因は種々指摘されているが、基本的にはリスク回避的な日本人の行動特性から説明できるのではないか。
行動経済学や社会心理学の分野で「独裁者ゲーム」という実験がある。2人でペアを組み、そのペアは主催者からお金をもらう。1人はお金を「分ける」役割、もう1人は「分けてもらう」役割を分担する。
社会心理学者の故山岸俊男氏によると、日本人は「分けてもらう」役を選ぶ人が多いという。分けることには責任が伴う。日本人はそれを嫌う傾向が強いのではないか、と指摘している。さらに、日本人は「自立心をもって自己責任で行動することが苦手で、用心深く自己防衛的」とも分析している。
最初の緊急事態宣言が出た昨年4月以降、欧米のロックダウン(都市封鎖)のような強制措置がなくても日本国民は町から姿を消した。他国に比べて人的被害が少ないのに経済的損失が大きい理由はここにあるような気がする。
このことは広く社会的、公共的な課題より目先の自分の問題に目が行き、長期的で戦略的な発想に乏しいことにつながる。新型コロナワクチンの開発の遅れや接種体制の不備の根本原因はここにあるのではないか。
今回のコロナ禍は、政策決定や長期戦略に向けた企画立案のありかたを考えるには、日本人の行動原理への理解が不可欠であることを教えてくれている。」
ワクチン開発や接種体制整備に関連するかはわかりませんが、「自立心をもって自己責任で行動することが苦手で、用心深く自己防衛的」との指摘にはとても共感しました。
「自分の意見を言わない会議に意味はない」「意見には責任が伴う。不満に意味はない」とはシンガポールに駐在していた時に現地の同僚が語っていた言葉。こうした傾向は、海外では共通のような印象があります。
「意見は言わないが不満は言う」というのは悩ましいものがあります。
そうならないよう、気を付けようと思います。