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公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

貞観政要「諛臣(ゆしん)」について 5271

未分類 / 2021年4月14日

IMG_0378昨日は市が尾駅前での街頭演説の後、行政機関での各種打ち合わせ、市民相談対応等。

諛臣(ゆしん)という言葉があります。「主のいうことはみな良しといい、主のなすことはみな可という。ひそかに主君の好みを調べては、これを奉る。 よって主君の耳目を快くし、つねに迎合追従し、主君とともに遊んで、後の差しさわりを顧みない。 こうした者を諛臣(ゆしん)という。」とのこと。先月ご紹介しました、北条政子、日蓮大聖人、徳川家康、明治天皇も座右の書としたとされる、唐の二代皇帝・太宗の言行録「貞観政要」に出てくる言葉。(佐渡御書などにも出てきます)

国家運営の要が人材登用・活用にあり、「組織づくり」は「人づくり」とした上で、「六正六邪」、すなわち「六人の正しい臣」と「六人の邪悪な臣」。この基準に従って、正しい人材登用と任官を行なえば、君主は安らかとなり、人民は治められると説いています。

諛臣(ゆしん)は「邪悪な臣」の第二に書かれています。7世紀ごろに書かれた話ですが、今も変わず、どこにでも存在します。

世界にきな臭い話が広がっています。いくつかの国々で、衝突があり、罪のない人々が命を落としています。

私が留学した地域もかつてそうでしたが、暴君は一人にしてならず、周りによって作られる。気に入らない者がいたら思うままに排除する暴君。甘言を用いて取り入り、恣意的に振る舞う茶坊主。暴君とそこに寄生する者以外は不幸に貶められる。何もしなければ暗黒の時代は続く。挑戦と応戦が歴史の常ですが、残念ながら、大なり小なり、利己的独善の歴史は繰り返す。人類の学習効果はいかなるものかと訝しく思います。

大事なことは「何のため」。過程において、どれだけの人が幸せになり、不幸になったのか。厳しく見て行かねばと思います。

世の人のためなのか、自分のためなのか。

短い人生。自分に噓はつけない。自分の中で、後世に輝く、価値ある人生なのかどうか。

「旅の恥はかき捨て」なのか。「立つ鳥跡を濁さず」なのか。

分かれ道のような気がします。