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公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

「西郷どん!」について 5225

未分類 / 2021年2月27日

IMG_0379 1 1昨日は予算特別委員会・都市整備局の局別審査に、公明党から竹野内猛議員(金沢区)が質問に立ちました。

私も担当する最終日の総合審査に向けて準備を進めていますが、当局とやり取りする中、お名前を伺うと幕末を感じる方がいます。横浜市役所には時々唸るような名前の方がいます。

先日、林真理子著「西郷(せご)どん!」を読みました。2018年のNHK大河ドラマの原作小説。

西郷隆盛に関する本はいくつか読んだことがありましたが、一番真実味を感じました。後編の最後には、歴史学者の磯田道史氏と林真理子氏の対談を掲載。これが実に面白く、「明治維新をだれが動かしたのか」との見出しの部分。これも唸りました。ご紹介します。

「林 西郷の屋敷は、とても質素だったそうですね。新政府の元勲たちは江戸の大名屋敷を自分のものにして、お妾さんまで住まわせていたのに、大久保もそうだし、伊藤博文もしても。

磯田 今の感覚で言うと、みんな月収で数千万円もらっていました。年収で三億円を超えるわけです。

林 いまセレブと呼ばれる方の多くは、明治維新で財産を作った人の子孫ですからね。西郷はそれを捨てて下野したというのも、日本人の心に響きますね。

磯田 僕は、中曽根康弘さんの回想録の聞き手として15回ほど通った時期がありますが、さすがに旧制高校世代の教養はすごいと思いました。あるとき、

「小学校の時に先生が『君は西郷隆盛に似ている』と言ってくれたことが、政治を志し、普通じゃないことをする人間になろうと思った最初なんだ」

と言って、棚から一枚の紙を取ってきて僕の前に置いたんです。それは木戸孝允が明治9年に作った「偶成」という漢詩でした。<年は流水の如く去って返らず 人は草木に似て春栄を争う 邦家の前路容易ならず>というもので、新政府のあり様を嘆いています。中曽根さんが「維新の政府って、こういうところがあったんだねえ」とポツリと言ったのを思い出しますよ。

何か、維新派きらびやかで近代化によって日本人を救ったかのように言われるけれど、実際に起こったのは役職とお金の分捕りでした。明治の初めに芽生えたあの体たらくについて理解しておかないと、日本人は国民と国家の関係を誤るような気がしますよ。当時も呆れた人たちはいて、その筆頭が西郷です。

林 そうですね、ほんとに。

磯田 歴史の必然偶然を考えると、この人間がいたかいないかで決まってしまうことが、歴史にはしばしばあります。明治維新をだれが動かしたか、一人だけ挙げるなら絶対に西郷です。西郷がいなければ、武力で江戸幕府が倒されることはなく、おそらく徳川慶喜も入れた形で地方分権的な象徴天皇制国家になっていたでしょう。

林 嶋津斉彬がもうちょっと長生きしていたら、絶対にそうなりましたね。

磯田 はい。日本中の武士も大名も、武力倒幕など考えていなかった。薩摩藩でも少数派の意見だったのになぜ引っ張っていったかというと、西郷が異様な決意をして、大久保が賛同し、幕府を倒したい長州が乗ったからです。長州はもう幕府の敵になって、交戦状態にありましたからね。

林 武力倒幕は、龍馬の視野にはなかったと思いますか?

磯田 龍馬は、大政奉還で緩やかに移行できれば、武力倒幕を避けてもいいと思っていたはずです。西郷も、大政奉還は否定しないんですよ。大政奉還した幕府のほうが、しない幕府より潰しやすいからです。そこは龍馬にやらせておいて、最後は絶対に武力でとどめを刺すと決意していました。

一方で、西郷は、維新革命をやりながら最も懐疑を抱いた人です。誤解なきようにいつも言うのですが、西郷の物語は明治維新を賛美しているわけではありません。維新の功罪両面を最もよく見た男だというところが西郷の深さです。」

よろしければどうぞ。