安全・安心の横浜へ 「何を言ったかでなく、何をやったか!」

公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

「路傍の石」について 4949

未分類 / 2020年5月26日

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緊急事態宣言解除。昨日の横浜市は新規感染確認0人。息子の通う横浜市立中学校から6月1日学校再開との連絡あり。また、長男が勤めるラーメン屋も営業時間延びる。経済活動も動き出す。只、第二波は避けなくては。影響が大きすぎます。専門家が指摘するように、薬ができるまで、急激な感染増加とならないよう、低い山を乗り越えていかねばと思います。

ところで、先日、久々に山本有三の代表作「路傍の石」を読みました。「真実一路」もそうですが、実直な主人公が困難に立ち向かっていく姿に、いつも感動を覚えます。

コラム「名字の言」が「路傍の石」について記していました。

「その少年は学年で首位の成績だが、家計が苦しいため奉公に出ざるを得なかった。それでも向学心に燃える少年は、郷里を離れる選択をし、東京で働きながら学ぶ。山本有三の小説『路傍の石』の主人公・吾一である。

父は家庭を顧みず、母も亡くなってしまう。人生の辛酸をなめつつも周囲の大人に支えられ、吾一は顔を上げて生きていく。東京での生活が行き詰まった時には、こう励まされた。「人間はな、人生というトイシで、ごしごしこすられなくちゃ、光るようにはならないんだ」。

『路傍の石』は昭和12年(1937年)に、新聞小説として連載を開始。翌年、「新篇」として雑誌で連載されたものの、検閲によって内容の変更を迫られた。山本有三は信念を曲げることを断固として拒み、連載の中止を選んだ。

戦争は小説完結の機会を奪った。『路傍の石』は未完のままだが、戦後、何度も映画化されるなど、多くの人に生きる勇気を届けた。作品は今なお、不朽の輝きを放っている。

吾一少年は大人の励ましもあって、自ら出版事業を起こすたくましい青年へと成長した。「心」を磨くのは「心」。私たちの「励ましの心」こそ、後継の友を光り輝かせる「砥石」である。」

コロナ禍ではありますが、大変な時だからこそ、SNSなども使いながら人とつながり、励まし合うことの大切さを感じます。

他方、1930年代にアメリカを皮切りに世界的に起こった深刻な経済恐慌「世界大恐慌」。多くの国で1929年に始まり、1930年代後半まで続いた、20世紀の中で最も大きな恐慌。「路傍の石」の時代背景でもあります。

大恐慌の後、世界的にも国家による経済介入が拡大し、帝国主義的な領土拡大のための戦争がはじまり、第二次世界大戦へと進んでいきます。

どの国においても、大多数の犠牲者は、戦争など願ってもいない民衆。

歴史は繰り返すとされますが、絶対に繰り返してはならない暗黒の歴史です。