北先生お別れの会と「日本野球という文化」について 4710
昨日、八王子にて創価大学名誉教授で私のゼミ教授だった、故・北政已先生のお別れの会が行われ参加しました。享年74歳。開学1期から44期までゼミを持ち、世界各地、各分野で活躍する出身者は690名。(私は16期生) 昨日はゼミ生をはじめ数百名が集いました。創立者からの万感こもるメッセージ。1年生の時に北先生が担任だったという1期生の馬場学長のご挨拶。北ゼミ代表1期生のご挨拶。そして長年支えられてきた奥様の明るく爽やかなご挨拶。「立場が変わってもずっと庶民だった」「誰と会っても差別のない人だった」との言葉。確かにそうでした。だからこそ、キッシンジャー博士をはじめとする人々から無名の庶民まで、世界中の人々と友情を結ばれたのだと思います。昨日は海外から参加した方もいました。奥様のお話に北家の「長征」を感じました。
一方で先生は偉そうなやつが大嫌い。偉くても結果を出さないのはもっと嫌い。本当に学ばせて頂きました。
創価大学は来春50期生を迎えます。創立者と共に草創期を築かれた北先生。今、また新たな時代の幕開けを感じます。終了後、学生時代からお世話になっている奥様とゼミの同期生と一緒に記念撮影。また頑張って参ります。
北先生は経済学者として日英比較文化論の研究などに注力しながら、創価大学の国際交流拡大に大きな役割を果たされました。また、同時に創価大学硬式野球部の部長として長年かかわりながら、選手の育成に尽力されてきました。
日経新聞「交遊抄」に横浜DeNAベイスターズのラミレス監督が、「日本野球という文化」と題して記していました。
「米大リーグのインディアンスに所属していた1998年、当時打撃コーチだったチャーリー・マニエル氏と出会った。ほかの選手が日本の野球を敬遠するなか、初めてその良さを教えてくれたのが、日米双方のプロ野球で活躍した彼だった。「君は将来絶対稼げるが、その場所はアメリカじゃない。日本だ」。そう勧められた日のことは忘れられない。
「日本の野球はそのものが文化だ」。これが彼から一番学んだことだ。最初は日本では「野球を教える側だろう」という程度に考えていたが、彼は「甘く見るな」と一蹴した。初回から犠牲バントをしていくようなスタイルが、日本で培われてきた野球だと熱く語っていた。
実際、メジャーでは4番バッターも経験したが、日本に来た当初は打順も7番と苦い経験をした。彼は大笑いしながら「勧めた俺に文句を言いたいだろうが、しっかりやれば大丈夫だ」と励ましてくれた。彼と同じように練習や試合でのルーティンを重視したおかげで、成績を残すことができたと思う。
日本の食や文化も教わった。「スパゲティが水につかっているやつだ」と説明されたラーメンは、実際に食べるととてもおいしかった。彼がまた来日したら、一緒にラーメンを食べに行きたい。」
学生時代、私は東南アジアの発展経済などについて勉強していましたが、マレーシアへの交換留学試験を受けるかどうか悩んでていた時、北先生から「君はマレーシアに行った方がいい」と後押しされて留学した経験があります。本当に人との出会いは大事だなと思います。その瞬間に人生が変わる。そして、鍛えて頂きました。
自分がお世話になったように、次の世代の皆さんの役に立てるよう頑張ります。