昨日は議会運営委員会、質問関連の打ち合わせ等。新聞を眺めますと、長寿社会のありようと共に、死について考える紙面が増えています。死についての捉え方は人それぞれ。考えようが、考えまいが、死は必然であり、誰にもやってくる避けることのできない事実。
先日、日経新聞「穏やかなみとり 自宅で 第13部 死を考える 自分らしい最期」との記事を目にしました。
「日本は年間約130万人以上が亡くなる「多死社会」だ。ピークの2039年の予想死者数は約166万人となり「みとりの場」が足りなくなると懸念されている。今は約8割が医療機関で亡くなっているが、自宅で最期を迎えたいと願う人は多い。どう人生の終末期を迎えるのか。よりよい、自分らしい最期とは何か。元気なうちに考える必要があるかもしれない。
重い病を抱えていても、患者が望む「穏やかな最期」を迎えさせたい――。そんな在宅での終末期医療に取り組む医師がいると聞き、私(26)は神奈川県に向かった。
「この1週間、どうでしょうか」。10月下旬、女性患者の自宅を訪れた「めぐみ在宅クリニック」(横浜市)の小沢竹俊院長(55)が語りかける。女性は20年以上、乳がんとつき合う。脳転移で放射線治療をして視力が一時悪化したが「時計が見えるようになってきて、だんだん回復してきました」と笑顔で話す。
女性が自宅に戻ったのは約1カ月半前。「やっぱり家はいいです」。今の楽しみは家族や友人にシフォンケーキを作ること。「私がいなくなっても、シフォンケーキを食べて思い出してくれれば」。小沢院長は涙を流す女性の目を見つめ「やりたいこと、目標があるのはいいことです」とうなずく。
診療時間の大半は会話に費やす。大事なのは患者や家族の苦しみを聴くこと。「苦しみとは希望と現実の開き。時間をかけて希望に耳を傾け、穏やかに過ごせるようどう支えるかを考える」。小沢院長は06年に訪問診療を手がけるクリニックを開設。地域の訪問看護ステーションやケアマネジャーなどと連携をし、患者に何かあればいつでも駆けつけるという。
「自宅での最期」を希望する人は多いが、現実はそうなっていない。1951年に自宅で死亡する人の割合は8割以上だったが、2015年時点では医療機関で死亡する人の割合が77%、自宅が13%、介護老人保健施設・老人ホームが9%だ。国民の5割超が自宅での最期を希望しているが、「家族に負担がかかる」「症状急変時の対応が不安だ」などを理由に医療機関での最期を選んでいる。
だが多死社会ではこれまで通りに医療機関で最期を迎えられなくなる可能性がある。25年には「団塊の世代」が後期高齢者になり、国民の5人に1人が75歳以上。医療機関や施設のベッドが足りなくなり「みとり難民」が発生する恐れが出ている。
自宅でのみとりが増えざるを得ない状況のなか、受け皿整備は遅れている。国は診療報酬を手厚くするなどして在宅医療を後押ししているが、在宅での終末期医療を行う病院・診療所の数は全体の5%にすぎない。小沢院長は「少ない生産年齢人口で多くの高齢者を支える社会になり、介護を担う世代は減っていく。このままでは尊厳ある最期の実現が難しくなる。終末期を安心して暮らせる地域づくりのため社会全体で取り組む必要がある」と指摘する。
自分はどんなふうに最期を迎えたいのか。その判断材料の一つになる可能性があるのが正確な余命予測だ。米スタンフォード大学の研究チームは人工知能(AI)に患者約200万人分の電子カルテを深層学習させ、余命を予測するシステムを開発した。余命3カ月から12カ月を約90%の確率で予測できたという。
研究論文は「医師は余命を長く判断しがちになる」と指摘。システムではAIが延命治療から終末期医療に切り替える必要のある患者を選び出す。正確な余命が分かれば、患者が「残された時間を自宅で家族とともに穏やかに暮らしたい」と自ら判断することも可能になるかもしれない。ただ余命予測システムの本格導入をめぐっては、信頼性や告知方法など慎重な議論が求められるだろう。
人生の最期をどう迎えるかは個々の価値観にかかわる難しいテーマだ。できる治療はすべてやってほしいという考え方もあれば、自然な経過に任せたいという人もいて、それぞれ違う。ポスト平成時代、いくら科学技術が進歩しても一つの解は出ない。
小沢院長はこう言う。「いくら余命が予測できても患者の痛みを取り除くことはできない。患者のことを理解し、一人ひとりをみとることはとても難しい。最終的には人間がやらないといけない」」
「自分らしい最期とは何か」。考えるかどうか、向き合うかどうかはそれぞれの自由ですが、向き合うかどうかで、そこに至る中身が変わってくるかなと思います。