安全・安心の横浜へ 「何を言ったかでなく、何をやったか!」

公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

ゲノム編集問題について 4406

未分類 / 2018年11月30日

IMG_4268昨日、横浜市会第4回定例が開会。その後、質問調整等々。中国からのニュースが波紋を呼んでいます。中国の南方科技大学の賀建奎准教授は、ゲノム編集技術を使いエイズウイルスに感染しないよう遺伝情報を書き換えた赤ちゃんが産まれたと主張。そもそもですが、健康や倫理の点からも極めて大きな問題。世界中が問題視し、非難しています。

同准教授の主張を聞いていますと、人助けのつもりのようですが、世界への影響のみならず、エイズ以外に現れるその人の人生の問題をどのようにとらえているのか。あまりに浅はかであり、利己的ではないかと感じます。

NHKによりますと、これに対し中国科学技術省の徐南平次官は、中国では禁止されている行為だとして、厳しく処分する方針を示し、中国では2003年にヒトの受精卵などに関する研究のルールが示され、研究に使った受精卵などを母体に戻すことは禁じられているとしたうえで、事実関係を確認したあと、関連する法律などに基づいて厳しく処分するとしています。また、習近平指導部は事態を重視していて、医療や保健行政を担当する国家衛生健康委員会も事実関係を調査して結果を公表するとしています。

IMG_4261「自由」と「放縦」は異なります。

「死を考える 自分らしい最期」について 4405

未分類 / 2018年11月29日

IMG_4129昨日は議会運営委員会、質問関連の打ち合わせ等。新聞を眺めますと、長寿社会のありようと共に、死について考える紙面が増えています。死についての捉え方は人それぞれ。考えようが、考えまいが、死は必然であり、誰にもやってくる避けることのできない事実。

先日、日経新聞「穏やかなみとり 自宅で 第13部 死を考える 自分らしい最期」との記事を目にしました。

「日本は年間約130万人以上が亡くなる「多死社会」だ。ピークの2039年の予想死者数は約166万人となり「みとりの場」が足りなくなると懸念されている。今は約8割が医療機関で亡くなっているが、自宅で最期を迎えたいと願う人は多い。どう人生の終末期を迎えるのか。よりよい、自分らしい最期とは何か。元気なうちに考える必要があるかもしれない。

重い病を抱えていても、患者が望む「穏やかな最期」を迎えさせたい――。そんな在宅での終末期医療に取り組む医師がいると聞き、私(26)は神奈川県に向かった。

「この1週間、どうでしょうか」。10月下旬、女性患者の自宅を訪れた「めぐみ在宅クリニック」(横浜市)の小沢竹俊院長(55)が語りかける。女性は20年以上、乳がんとつき合う。脳転移で放射線治療をして視力が一時悪化したが「時計が見えるようになってきて、だんだん回復してきました」と笑顔で話す。

女性が自宅に戻ったのは約1カ月半前。「やっぱり家はいいです」。今の楽しみは家族や友人にシフォンケーキを作ること。「私がいなくなっても、シフォンケーキを食べて思い出してくれれば」。小沢院長は涙を流す女性の目を見つめ「やりたいこと、目標があるのはいいことです」とうなずく。

診療時間の大半は会話に費やす。大事なのは患者や家族の苦しみを聴くこと。「苦しみとは希望と現実の開き。時間をかけて希望に耳を傾け、穏やかに過ごせるようどう支えるかを考える」。小沢院長は06年に訪問診療を手がけるクリニックを開設。地域の訪問看護ステーションやケアマネジャーなどと連携をし、患者に何かあればいつでも駆けつけるという。

「自宅での最期」を希望する人は多いが、現実はそうなっていない。1951年に自宅で死亡する人の割合は8割以上だったが、2015年時点では医療機関で死亡する人の割合が77%、自宅が13%、介護老人保健施設・老人ホームが9%だ。国民の5割超が自宅での最期を希望しているが、「家族に負担がかかる」「症状急変時の対応が不安だ」などを理由に医療機関での最期を選んでいる。

だが多死社会ではこれまで通りに医療機関で最期を迎えられなくなる可能性がある。25年には「団塊の世代」が後期高齢者になり、国民の5人に1人が75歳以上。医療機関や施設のベッドが足りなくなり「みとり難民」が発生する恐れが出ている。

自宅でのみとりが増えざるを得ない状況のなか、受け皿整備は遅れている。国は診療報酬を手厚くするなどして在宅医療を後押ししているが、在宅での終末期医療を行う病院・診療所の数は全体の5%にすぎない。小沢院長は「少ない生産年齢人口で多くの高齢者を支える社会になり、介護を担う世代は減っていく。このままでは尊厳ある最期の実現が難しくなる。終末期を安心して暮らせる地域づくりのため社会全体で取り組む必要がある」と指摘する。

自分はどんなふうに最期を迎えたいのか。その判断材料の一つになる可能性があるのが正確な余命予測だ。米スタンフォード大学の研究チームは人工知能(AI)に患者約200万人分の電子カルテを深層学習させ、余命を予測するシステムを開発した。余命3カ月から12カ月を約90%の確率で予測できたという。

研究論文は「医師は余命を長く判断しがちになる」と指摘。システムではAIが延命治療から終末期医療に切り替える必要のある患者を選び出す。正確な余命が分かれば、患者が「残された時間を自宅で家族とともに穏やかに暮らしたい」と自ら判断することも可能になるかもしれない。ただ余命予測システムの本格導入をめぐっては、信頼性や告知方法など慎重な議論が求められるだろう。

人生の最期をどう迎えるかは個々の価値観にかかわる難しいテーマだ。できる治療はすべてやってほしいという考え方もあれば、自然な経過に任せたいという人もいて、それぞれ違う。ポスト平成時代、いくら科学技術が進歩しても一つの解は出ない。

小沢院長はこう言う。「いくら余命が予測できても患者の痛みを取り除くことはできない。患者のことを理解し、一人ひとりをみとることはとても難しい。最終的には人間がやらないといけない」」

「自分らしい最期とは何か」。考えるかどうか、向き合うかどうかはそれぞれの自由ですが、向き合うかどうかで、そこに至る中身が変わってくるかなと思います。

食品ロス対策「フードシェア」について 4404

未分類 / 2018年11月28日

IMG_4241昨日は藤が丘駅前での街頭演説の後、市民相談対応、ごあいさつまわり等。食べ残しをなくす、持ち帰る習慣をつけるなど、横浜市のみならず、「食品ロス」対策が各自治体で進められています。横浜市も飲食店などにご協力頂き「食べきり協力店」事業というものを推進しています。一方、もっと進んだ取り組みがあることを知りました。日経新聞「知っとくトク」のコーナーが、「余った料理 フードシェア 安く買って食品ロス減 」と題して記事にしていました。ご紹介します。

「飲食店で余った料理や食材などを安く購入できる「フードシェアリング」のサービスが広がっている。入手できるのは「賞味期限が近い」「作りすぎた」などの理由で、販売を急ぐ必要のある食品。割安に食事を楽しみつつ、食べられるのに捨ててしまう「食品ロス」を減らせる。

SHIFFT(東京・豊島)が運営する「Reduce GO」。東京都内で139の飲食店が加盟し、その日に予約のキャンセルが出た料理などを出品する。利用者はスマートフォン(スマホ)のアプリで一覧を見て注文し、店に取りに行く。月額1980円(税別)を支払って登録すると1日2回まで無料で料理や食品を入手できる。

上村宗輔取締役によると、出品は各店がその日の売り上げの見通しを立てる午後3~8時ごろが多く、月額料金なので毎日使うほどお得だ。

関西圏ではREARS(大阪市)の「FOOD PASSPORT」がサービスを展開。こちらは1日1品まで。料理と別にワンドリンクの注文が必要で店内飲食が基本だ。代表取締役の後藤靖佳さんは「20~30代の男性が、仕事帰りの一杯を楽しむ店を探す場面での利用を想定している」。

コークッキング(東京・港)が運営する「TABETE」はウェブサイトで欲しい商品を選んでクレジットカードで支払い、各店舗で受け取る。1回に何個でも購入でき、月に約3千食が掲載されているという。

ネット通販サイトもある。グラウクス(同・品川)の「KURADASHI・jp」は賞味期限が近い食品に加えサプリメントや売れ残り・規格外の雑貨など常時200品以上を扱う。価格は平均7割引きという。

送料は1回ずつ540円か、定額で月額540円を選べる。「リンゴ5キロ」など量が多いことも特徴で、同社は「出品しやすさを重視した。オフィスや近所などでシェアしてほしい」とする。

2015年度の農林水産省の推計では食品ロスは646万トン。各社ともロス削減への貢献を目指しているが、始まったばかりのサービスも多く、近所に加盟店があるかどうか確認して使う必要がある。」

考えた人は大したものだなと思いますし、行動して実現した人はまたすごいなと思います。まだ確認できていませんが、「横浜でも」と期待しています。

「開かれた交番」の難しさについて 4403

未分類 / 2018年11月27日

IMG_4227昨日は田奈駅前での街頭演説の後、終日市役所での断続的な打ち合わせ。 駅頭に立ちますと、いつもお巡りさんの動きが目に入ります。道を尋ねる人、相談に訪れる人、様々な声が届けられる派出所。どこも真摯に対応される姿が印象的です。

先日、日経新聞コラム「春秋」が記していました。

「お巡りさん、あごに何か付いてますよ」と言いながら近づいてくる男。「えっ?」。警察官があごに手をあてる。「そこじゃない、ここ」。次の瞬間、男の隠し持った刃物がひゅっと喉元へ――。警視庁の警察学校で、新人の警察官に行われていた授業のひとこまだ。

落とし物の受理、道案内、職務質問。市民が相手の警察官の仕事も、実は危険と隣り合わせにある。市民を守り、自分もけがをしてほしくない。そう語っていた教官の危惧が、またも現実になってしまった。仙台市の交番で警察官が刺殺された事件である。6月には富山市で同じように交番が襲われたばかりだった。

日本の交番制度は良好な治安を支えるシステムとして海外でも評価され、シンガポールやブラジルなどに「輸出」されている。困った人、助けを求める人、誰もが立ち寄りやすいようにやさしく親切に応対すべし。だが万一に備え、いつでも戦えるための警戒は怠らずに構えよ。口で言うほど、やさしいことではあるまい。

中へ入るや否や、警察官が一斉に拳銃に手をかけるような交番に落とし物を届けようとは思わないだろう。ある警察庁の幹部は、国際会議で住民との対話の必要性を説明したところ、こんな言葉を返されたと苦笑する。「マシンガンを手に持ったまま、どうやって住民と対話するんだい?」。開かれた交番の難しさを思う。」

色々ありますが、街を守られていることに感謝したいです。

「正しいことをする」人事評価について 4402

未分類 / 2018年11月26日

IMG_4218昨日は地元の公園掃除、ごあいさつまわり、合気道大会、バーベキュー大会等々。 秋晴れの素晴らしい一日でした。日産自動車の不祥事が連日報じられています。人事評価を行うトップによる問題。先日、日経新聞「私見卓見」に「『正しいことをする』を人事評価」と題して、弁護士の増田英次氏が納得の指摘をされていました。 

「名門企業の不正やスポーツ界での不祥事が絶えない。日本もコンプライアンス(法令順守)に極めて厳しい社会になっているにもかかわらず、なぜこのようなことが続くのか。弁護士として危機管理に対応してきた経験からいえば、社員一人ひとりがコンプライアンスの必要性や重要性について、本当の意味で腑(ふ)に落ちていないところに原因があるのではないか。

企業が働き方改革などのスローガンを掲げても、実際にはパワハラ、減点主義、非効率な業務などに振り回される社員は多い。彼らは自尊心を失い、自分で考え、正義感をもって行動する意欲を失う。その結果、多くの社員はコンプライアンスに関心を持つ余裕もなくなり、目先の業績の目標達成だけが組織で生き残る指針となる。

そうした組織では、社員を締め付けるだけのコンプライアンス対策は、かえって隠蔽をまん延させる。監視・監督を強めることが、結果的に不祥事を誘発しているといっても過言ではない。

IMG_4224ではどうしたらよいか。私は「エモーショナル・コンプライアンス」を提唱している。「正しいことをしてスッキリした」「顧客の役に立ち、褒められてうれしかった」など、社員の素直な気持ちを引き出すようにするのだ。

こうしたプラスの感情を重んじ、「不正をするな」から「正しいことをしよう」という自律的な方向にマインドを180度切り替える。何が正しいことなのかは時代や環境により変わるからこそ、内発的動機に基づき行動する社員を育てるべきだ。

そのためにはまず人事評価を変えなくてはならない。ルールを破ったら減点というマイナス評価ではなく、進んで正しいことを行うことをプラスに評価すべきだ。米国の航空会社では、定時運航しただけで社員にボーナスを出すことがある。コンプライアンスと利益を両立できる方法はほかにもあるはずだ。

研修も重要だ。正しいことをすることが、どれだけ誇らしくうれしいかという感覚を、リアリティーを持って感じられる研修に切り替える。仮想現実(VR)など最新のテクノロジー活用も一案。社員にディスプレーを装着し、不正に陥りやすい状況からの切り抜け方を体験させれば、自信も持てるだろう。

日本企業がグローバル社会で存在感を取り戻すためにも、コンプライアンスを根底から再考すべきだ。」

これは重要な指摘だと思いました。成熟した日本の社会にあって、会社などの多くの組織に閉塞感が漂い、変化に対応しようと「何かをしよう」「より良くしよう」とすることが否定的にとらえられ、過去の成功体験による前例踏襲、保身、過去の遺産を喰いつぶすだけで、全体が後退してしまっていることに気づかないケースがあります。時に何もしないことが「仕事」などと思う者もいます。

私のつたない海外経験からしましても、島国・日本ならではのようにも感じますが、指示命令系統の下にいるものにとって、これは大変不幸なことで、責任ある者が役割を認識しない、行動しない無責任は、迷惑以外の何物でもないと思います。

「何のため」に行動するのか。ここが大事なんだろうと思います。歴史が物語るように、本来の目的を忘れ、上に立つものが「自分のため」に組織を利用しだすと、崩壊の道を進むことになる。無責任な保身の者が取り巻いていると、また見えにくくなる。正しい人事評価などは困難となり、衰退を加速させる。

「自律的な方向に」マインドを切り替える。内発的動機に基づき行動する社員を育てる。そのために人事評価を変える。日本の社会に巣くう病巣を取り除くための「処方箋」じゃないかと思います。

テレビの「ヤラセ」について 4401

未分類 / 2018年11月25日

IMG_4186昨日は県本部での会議の後、横浜駅西口近くのビブレ前で、公明党神奈川県本部青年局主催の政策アンケート「ボイスアクション(VA)」を実施。佐々木さやか参議院議員もかけつけ盛り上がりました。公明党ではこうしたアンケートを通じて、実現される政策が少なくありません。尚、多くの方にシールを貼っていただきましたが、ここには「ヤラセ」はありません。

今日は日曜日ですが、日曜夜に帰宅すると、子どもたちが日本テレビ「イッテQ」をみて笑っている姿を何度が見たことがあります。先日、その人気の「祭り企画」に「ヤラセ」があったとの情報が飛びました。個人的な感覚ですが、心なしか、人気番組や大手企業の不祥事など、テレビ局の収支に影響を与えるようなものへの追及が緩いように感じることがあります。もしそうだとすると、何気ない報道なども、都合による「ヤラセ」みたいなものがあり、それも「日常的」なのかも知れない、などと思ってしまいます。

産経新聞からです。

IMG_4185「日本テレビのバラエティー番組「世界の果てまでイッテQ!」でやらせ疑惑があると週刊文春が報じている問題で、日テレの大久保好男社長は15日、「疑念を生み、大変申し訳ない」と謝罪した。兼務する日本民間放送連盟の会長会見で述べた。

 週刊文春は、同番組が今年5月に放送したラオスの「橋祭り」が番組側の企画だったなどと報道。これに対し、日テレは8日、「番組サイドで企画したり、番組から参加者に賞金を渡した事実もない」などとする見解を公表していた。

しかし、大久保社長はこの日の会見で「コーディネーター会社を通じて開催費用や参加費、賞金、謝礼などを支払っている」と指摘し、見解について「これは誤り」と訂正した。その上で大久保社長は「現地のコーディネーターは外部とはいえ大切な協力者で、番組成立に不可欠。番組サイドの方であることは間違いなく、放送責任は全て日本テレビが負う」と釈明した。

 同番組ではこれまでに、世界の祭りを紹介する企画を111本放送。日テレでは現在、放送済みの祭り企画について調査を進めており、祭り企画は当面休止するという。」

「ネット時代と言われても、まだまだテレビの影響は大きい」とは先日の後輩との会話。コメンテーターがもっともらしく話していると、それがある一面を示しているに過ぎないのにも関わらず、すべてのようにとらえる人もいます。テレビなどは、「言いっぱなし」「言葉に責任がない」などといった指摘もありますが、画面の先で話している方の責任は大変重いなと思います。

IMG_4190 (2)それでもテレビの影響は大きいですし、簡単には変わらないと思います。だからこそ、事実であり、公平であることが不可欠だと思います。

外国人材拡大法案 入管法改正の議論について 4400

未分類 / 2018年11月24日

IMG_4159昨日は国際交流ラウンジまつり、農業まつり、あおばを食べる収穫祭、ごあいさつまわり等々。毎年外国籍の方の参加が増えている交流ラウンジでは、踊りや合唱なども一層華やかに。特にベトナムに加え、インドネシアの方の参加が増えているようでした。

5年間で最大34万人の外国人材拡大に向け、国会で入管法改正案の審議が続いています。賛否両論ありますが、日本に来ていただく方々に「来てよかった」とならねばと思いますし、「日本人さえよければいい」といったものは日本らしくないなと思います。国会では国に入れるようにするかどうかを決めているわけで、外国人の方々の実際の仕事や生活などを支えるのは地方自治体。来月の議会質問でも取り上げる予定です。

先日、公明新聞コラム「北斗七星」が綴っていました。

「今ごろの季節だろう。万葉集に一首ある。「雁は来ぬ萩は散りぬとさ雄鹿の鳴くなる声もうらぶれにけり」。雄鹿が雌を求めてなく声は、どこか哀切な響きを持つらしい。

ところが、中国最古の詩集・詩経の「呦呦(ようよう)たる鹿鳴、野の苹を食らう」は趣が異なってくる。「鳴きながら野の草をはむ鹿の姿から連想されるのは宴会」(『漢語日暦』 岩波書店)という。明治初期の洋館・鹿鳴館の命名は、この詩に由来するのは周知の通り。同じ鳴き声でも印象に隔たりがあるのは、お国柄の違いによるものか。

出入国管理法改正案の国会審議が始まった。この法案は新たな在留資格を創設し、人手不足が深刻な業種で単純労働も含めて外国人の就労を認める。異なる文化的背景を持つ人材の発想が、企業の技術革新をもたらす。外国人の感覚を生かした商品開発やグローバル化への足がかりになる。職場が国際色豊かになる利点は少なくない、と専門家は見る。

ただ、働く側にも受け入れ側にも不安がつきまとう。それを解消する具体策を国会で議論してほしい。職場環境の点検・整備は当然だが、とりわけ外国人が安心して暮らせる支援策をどうするか。福祉、住まい、医療、人権などで細やかな心寄せが望まれる。そのためには、お国柄の違いが尊重される社会でありたい。」

青葉区だけ見ましても、この5年間で外国籍の居住者は1.3倍になっています。新たに来られる皆さんにも、これまで住んでいる我々にも、「いい街だな」と感じて頂けるよう取り組みを進めて参ります。

「飲酒の悪影響、喫煙が助長」について 4399

未分類 / 2018年11月23日

IMG_4158昨日は区役所ほかで各種打ち合わせの後、ごあいさつまわり、宅建協会の会合、地元の会合等々。先日の「がん撲滅横浜市会議員連盟」の視察では、たばこの影響についても、改めて各地で耳にしたところです。青葉区は男性長寿日本一の街であり、女性の長寿もトップクラス。喫煙率は全国平均の半分以下。健康長寿の街。日経新聞コラム「がん社会を診る」に東京大学病院の中川恵一准教授が「飲酒の悪影響、喫煙が助長」と題して指摘されていました。

「日本人男性の発がん原因のトップは喫煙で、第2位はピロリ菌、肝炎ウイルスなどの感染症です。第3位は飲酒で、男性の発がん原因の9%を占めます。肥満と野菜不足、運動不足はいずれも1%に満たないので、いかにお酒の影響が大きいか分かります。

しかし、お酒を飲んでもたばこを吸わなければ、がん全体のリスクはほとんど上がりません。40~59歳の日本人男性約3万5千人を10年間追跡した大規模な疫学研究でも「時々飲む」という人を「1」としたときの相対リスクは、適量といわれる「1日1合未満」でも、喫煙者は1.69ですが、非喫煙者は0.87とかえって低下しています。

1日3合以上の多量飲酒の場合、非喫煙者はほとんどリスクが上がっていませんでしたが、喫煙者は倍以上になります。非喫煙者は、飲酒量が増えてもがんの発生率は高くならないのに対し、喫煙がプラスされると確実に高くなっていきます。つまり飲酒によるがんのリスクは、喫煙によって助長されるわけです。

ただし、口腔(こうくう)、喉頭、咽頭・食道など、飲んだお酒が通過する部位のがんや、アルコールを分解する肝臓のがんは別です。「飲酒関連がん」と呼ばれるこれらのがんは、たばこを吸わない人もお酒の量が増えると発がんリスクは増加します。

飲酒量が1日2~3合の非喫煙男性は、時々飲む非喫煙者に比べがん発生率が3倍以上、1日3合以上で5倍弱になっています。ここに喫煙が加わると、がんになるリスクがさらに高まります。また、お酒で顔が赤くなる方はより注意が必要です。このタイプの人が大量にお酒を飲み、たばこを吸うと食道がんのリスクは桁違いに増えます。

私はお酒は飲みますが、たばこは吸いません。受動喫煙は肺がんを3割も増やしますが、「受動飲酒」はないからです。日本人男性の喫煙率が3割を切るなか、私と同じ「たばこを吸わない酒飲み」が増えています。

このタイプにとっては飲酒関連がんの予防が大切です。食道がんでは熱い食物を避け、野菜や果物を摂取することでリスクを下げることができます。肝臓がんではコーヒーが有効です。節酒を含め、生活習慣を見直して飲酒関連がんの予防を心がけましょう。」

昨夜の会話でもあったのですが、頑張ることは大事だが、倒れては意味がない、だから適度な「発散」が大事との話。そうだなと思いました。

「父からの手紙」について 4398

未分類 / 2018年11月22日

IMG_4089昨日は終日市役所で各種打ち合わせ。先日、小杉健治著の長編小説「父からの手紙」(光文社)を読みました。

失われつつある「絆」。「家族の絆」「親と子の絆」をいかに再生させるかにアプローチする著者。なんとも言えない読後感。「魂の叫び」を感じる心の描写、深みのある内容でした。光文社HPのあらすじ。「家族を捨て、阿久津伸吉は失踪した。しかし、残された子供、麻美子と伸吾の元には、誕生日ごとに父からの手紙が届いた。十年が経ち、結婚を控えた麻美子を不幸が襲う。婚約者が死体で発見され、弟が容疑者として逮捕されたのだ。姉弟の直面した危機に、隠された父の驚くべき真実が明かされてゆく。完璧なミステリー仕立ての中に、人と人との強い絆を描く感動作!」

 私の心に残った言葉。

「人間の幸福は何事もなく平穏無事に過ごすことではありません。そこには喜びも、そして自分自身の成長もありません。人生には必ず困難が立ちふさがります。それは避けて通れません。人間の幸福は試練を乗り越える強い心を持つことにあると思います。どんな困難にもひるむことなく、勇気をもって立ち向かっていってください。行動あるのみです」父はそう書いて寄越した。

「生きる目的は何か、幸福とは何かをはき違えているのだ。人生の目標は財産、地位、名声などを得るためではない。いかなる困難や試練にも負けずに生きていくことにあるのだ」

目に見える大きな壁と立ち向かう勇気もあれば、心の葛藤を乗り越えるための勇気もあると思います。今日も前に進みたいと思います。

「置き勉」について 4397

未分類 / 2018年11月21日

IMG_4132昨日は恩田駅前で、市政報告配布の後、に市民相談対応、ごあいさつまわり。以前からご相談いただいています、「小学生の荷物が重たい」問題。昨日も訪問先で話題になりました。横浜市会でも「置き勉」の議論があります。

先日、日経新聞コラム「春秋」が取り上げていました。

「リーゼントの髪に学ラン、カバンは薄くつぶしてペッタンコ――。往年のツッパリ少年はわかりやすい格好をしていた。カバンがそれだから教科書など勉強道具は教室に置きっ放しだ。そこから「置き勉」なる言葉が生まれたらしい。まあ、不良たちの「文化」である。

大人の眉をひそめさせた、そんな「置き勉」を容認する学校が昨今は少なくない。教科書が「脱ゆとり」の影響で分厚くなり、おまけに小学生の場合はランドセル自体がずっしりとくる重量である。体重の半分近い荷物を背負う子もいるという。せんだって、文部科学省は「必要に応じ適切な配慮」を求める通知を出した。

ここは苦肉の策なのだろう。しかし、もっと勉強せよとハッパをかけ、一方で予習復習をしないのには目をつぶる……としたらおかしな話である。このさい、タブレット端末などを使ったデジタル教科書へとかじを切ってもいいはずだが、何ごとにも慎重なのが教育界だ。親たちの間にも「教科書は紙」という観念は強い。

そもそも学校教育法は、授業では紙の教科書を使わなければならぬと定めてきた。その改正法が今年成立し、文科省は2020年度以降のデジタル版導入をめざすという。長らく議論され、ようやくの一歩である。昔の不良のカバンにだってちゃんと収まる電子の教科書。課題を乗り越えて、うまく普及させる時機である。」

学校だけでなく、議会においても、「紙」であることが絶対のような話はやめた方がいいと思います。