安全・安心の横浜へ 「何を言ったかでなく、何をやったか!」

公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

放置預金 10年で国が召し上げについて 4376

未分類 / 2018年10月31日

IMG_3697昨日は各種作業、市民相談対応、夜は地元の会合へ。佐々木さやか参議院議員が参加され盛り上がりました。ところで、昨日もコンビニでパンを買う時に使ったのが「電子マネー」。「ピピッ」と支払い完了。以前にもまして最近よく耳にするようになりましたし、電子マネーで決済するのが当たり前のようになってきました。他国の取り組みを見ていましても、効率性を上げるなどの説明の裏側に、タンス預金をなくしてお金の動きを見えるようにするとか、偽札をつくらせないなど、思惑があるようです。個人的には、なんでも電子マネーで処理するほどまでは使っていないのですが、買い物のの割引率のみならず、行政のかかわるサービスにも影響するとなると、「そのうち使わないわけにいかなくなるな」と感じています。

他方、銀行口座を放置しておくと、その預金は10年で召し上げらることになるとか。先日、日経新聞が伝えていました。

「国は来年1月から、10年以上放置された預金を社会事業に活用する。国が新法を施行し、管理主体を銀行から国に変更したためだ。潜在的な預金は約6000億円で、対象も6000万口座を上回る見通し。本人が気付かなければ権利は国に移り、申し出なければ手元に戻らない。憲法の財産権を守りつつも、国が私有財産を動かす異例の試み。眠った資金を有効活用するためとはいえ、預金者は注意が必要だ。

10年以上放置された預金は休眠預金と呼ばれる。今年1月に施行した休眠預金等活用法によると、全金融機関に対し「入出金」があれば休眠預金に該当しないよう義務付けた。財形貯蓄や外貨預金は対象外となる。

2019年1月は新法施行後、社会事業に活用できる休眠預金が初めて誕生するタイミング。各金融機関が登録住所に郵送などで通知し、受け取ったことを確認できれば、休眠預金ではない。

所管する金融庁によると、休眠預金はここ数年、年700億円規模、年700万口座が放置されている。17年3月期は約1270億円の休眠預金が発生し払い戻したのは約569億円。払戻率は半分以下だった。08年以降を調べると、休眠預金は6238億円滞留し、対象口座は少なくとも6523万だった。

もっとも、休眠預金は国が「没収」する訳ではない。憲法の財産権を守る必要があるためだ。いつでも請求すれば払い戻しは可能だ。通帳や口座番号など過去の取引を確認できる書類を用意した上で、金融機関に問い合わせれば、預金を取り戻せる。通帳や印鑑、免許証などの本人確認書類を持参すれば銀行の窓口で引き出せる。

しかし、注意点は多い。一つは「本人が申し出る必要があること」だ。最も多いケースは引っ越した後、登録住所を変更していない場合。そもそも本人がどの銀行に預金していたかを忘れてしまったり、本人が認知症で思い出せなかったりする場合も取り戻すのは難しくなる。本人が休眠預金の存在に気付かなければ、失ってしまったことと同義だ。

もう一つは「金融機関ごとに微妙に定義が異なる点」だ。例えば「通知」。1万円未満は国が金融機関に通知を義務付けていないためだ。もう一例は「取引」。「入出金」はすべての金融機関に義務付けるが、「通帳の記入・発行」「残高照会」「情報変更」などの手続きだけでは休眠預金とみなす銀行が出てくる可能性がある。

各金融機関はすでに店頭ポスターなどで注意喚起を始め、年内から通知を始める。三菱UFJ銀行は10月末、三井住友銀行は来年5月、みずほ銀行は6月をめどに発送する予定。金融機関が国の預金保険機構に資金を移すのは19年秋。国はそれまでに資金を配分する団体を指定し、NPOなどを探す計画だ。

日本は法人と個人を合わせた銀行口座数が3.2億に上る預金大国だ。普通預金と定期預貯金を合わせると1人あたり10口の公算で、英国(2口)やフランス(1口)を大きく上回る。休眠預金の払い戻しは原則無料だが、手数料徴収を国が禁じている訳ではない。休眠預金の解消が進めば、維持管理にかかる膨大なコストを削減できる可能性もある。」

個人的には、全く心配する必要がありません。

「日本の接客、正当な対価を」について 4375

未分類 / 2018年10月30日

IMG_3740昨日は市が尾駅前での街頭演説の後、市役所へ。先週末に第3回定例会が閉会したばかりですが、12月定例会の大きな質問に向け動き出しました。昨日の昼は全国チェーンの中華料理屋へ。関内駅周辺の飲食店では、外国の方による接客が多いですが、いつも問題なくお世話になっています。日本式に慣れるまで大変なこともあるかと思いますが、なくてはならない存在の皆さん。頑張って頂きたいなと思います。

先日、日経新聞「私見卓見」にホスピタリティリソーセスジャパン会長の桐木元司氏が「日本の接客、正当な対価を」と題して寄稿されていました。「日本式」ともいえる「おもてなし」。いまや海外へ輸出している事業者もいると聞いています。

 「訪日外国人が日本の魅力のひとつに「おもてなし」を挙げるのをよく耳にする。手厚いサービスを追加料金やチップなしで受けられると驚かれることもある。だが、担い手であるサービス業の労働生産性は低いとされる。

 私は30年近くにわたってホテルや鉄道会社など向けに接客コンサルティングをしてきた。現場で見てきた経験から言わせてもらえば、日本ではサービスが必ずしも正当に評価されていない。「サービスは無料」という意識があることが関係しているのではないだろうか。

 労働生産性は、就業者数と労働時間を掛け合わせた数字を労働量ととらえ、成果にあたる名目国内総生産(GDP)を割って算出するのが一般的だ。つまり、質の高いサービスを安く提供すれば、生産性の数値は下がる。

 日本のサービスの質は決して低くない。例えば、宅配サービスの質の高さは海外からも高く評価されている。深刻な人手不足と利用者の急増を背景に、夜の時間帯指定サービスを廃止・縮小したり、料金の一部を改定したりするといった動きが相次いだ。

 だが、こうした対応をサービスの対価という視点で考えると、疑問も残る。時間指定のサービスはより細かく設定できるようにし、代わりに高額にするといった発想があってもいいのではないか。

 重要なのは、「標準のサービス」と追加のサービスを明確に線引きすること。標準以上のサービスはビジネス、ファーストクラスと選べる飛行機のように、内容や人繰りの難しさなどを反映させた料金体系にする。一方、標準のサービスはエコノミークラス並みに内容を絞り、安くするのはどうか。サービス内容に適した料金体系にすれば、過剰なサービスの利用抑制になるほか、従業員の賃金アップにもつながる。

 質の高いサービスを維持するには、従業員のモラール(士気)を保つ工夫も求められる。日本にはチップの習慣がないだけに、個々の働きに応じて報いる制度が必要だ。報酬を与えてもいいし、人事で評価してもいい。

 見返りを求めて接客しても、スキルが磨かれないという意見もある。だが、人手不足はさらに深刻化する。「おもてなしは日本の文化」という美しい言葉の響きに流され、曖昧なかたちで従業員に無償労働を強いるような企業には、優秀な人材はとどまらなくなっている。」

ひとつの見方ですが、個々人に頼るものでなく、上に立つ者の力、責任かなと思います。

認知症 事故の賠償対策について 4374

未分類 / 2018年10月29日

IMG_3729昨日はごあいさつ回り、さつきヶ丘ケアプラ祭り、ごあいさつ回り等々。台風24号の塩害は青葉区にも及んでいます。農作業をされていたご主人からも、その状況を詳しく伺いました。

また、ご家族が認知症で施設に入所されているご家庭にも訪問。その人にしかわからない課題があります。今月続けてきた街頭演説「青葉区の認知症対策」。「あなたは認知症ですよ」と診断し、治療方針を決める「鑑別診断」。これが遅れると、その分だけ認知症は悪化する。当初、2週間程度とされてきたものが、1か月待ちは当たり前、中には2か月もかかる人がいる。認知症の方を2か月も治療できずに放置したらどうなるか。想像に難くないです。

認知症対策を進めるべき課題は少なくありません。先日、日経新聞「迫真」のコーナーに、「認知症とお金(2) 事故の賠償責任だれが?」と題した記事が掲載されていました。

「万が一の賠償責任を恐れて認知症患者の在宅介護をあきらめるような社会にはしたくない」。高井隆一(68)はこんな思いを抱えて講演活動を続けている。2007年末、認知症を患う当時91歳の父親が線路に立ち入って電車事故で死亡。翌年、JR東海から約720万円の損害賠償を求められたときの衝撃はいまも消えない。

高井は最高裁まで争って16年に「賠償責任なし」の判決を勝ち取ったが、どんな場合も患者の家族らの責任が不問になるわけではない。判決文は介護の実態などを考慮し家族らが責任を負う場合もあるという内容で、認知症患者が事故を起こしたときの損害賠償リスクが社会的な問題として浮かび上がった。

あまり知られていないが、実は患者や家族らが賠償責任リスクに備える金融商品は以前からある。自動車保険や火災保険などに特約で付ける「個人賠償責任保険(個賠)」だ。契約者本人のほか家族らも対象で、個賠のカバーする人口は「数千万人規模」(損害保険大手)とみられる。しかし、認知症患者は自家用車を手放したりして個賠の「無保険者」に陥りがちだ。

損保各社は保険料が月100~200円にすぎない個賠を単品では扱わない。そこでまず動き出したのが自治体だ。高井の父親の事故現場となった愛知県大府市は6月、市がまとめて保険料を払い、登録された患者と家族の賠償責任をカバーする制度を立ち上げた。市長の岡村秀人(65)には「事故現場の自治体だからこそ率先して動くべきだ」との強い思いがあった。

神戸市も認知症患者が起こした事故の被害者を保険で救済する「神戸モデル」の議案を11月の市議会に出す。個人市民税を納税者1人当たり年間400円上乗せし、保険料のほかコールセンター運営費用など概算で年間3億円を投じる。

しかし、財政難の中で具体的な制度の設計に着手した自治体はごく一部だ。神戸市の事業者公募で契約候補者に選ばれた三井住友海上火災保険の公務開発部開発室長、石井昇(49)は「認知症より少子化対策などを優先する自治体もあり、温度差を感じる」と話す。

いち早くこうした制度をスタートさせた神奈川県大和市長の大木哲(70)は「先行自治体をひな型に国がもっと広範囲の制度を検討すべきだ」と呼びかける。高井の裁判の教訓を認知症社会の糧にする取り組みは緒に就いたばかりだ。」

神戸市の取り組みは、今夏の五大市政策研究会で伺っていました。先進的な取り組み。横浜でも検討すべき課題です。

魚食べると大動脈病予防、食べない人は死亡リスク倍について 4373

未分類 / 2018年10月28日

IMG_3707昨日は公明党神奈川県本部大会。上田勇代表が再選されました。その後、地元に戻り会合参加。鶴見区へ向かい会合。地元に戻り打ち合わせ。何かとありますが、今年は私にとってうれしい秋でもあります。好物の「サンマが安い」「サンマが美味しい」ということ。

先日、日経新聞が「魚食べると大動脈病予防に 食べない人、死亡リスク倍」と題した記事を掲載していました。

「魚をほとんど食べない人は食べる人に比べ、大動脈瘤(りゅう)や大動脈解離で死亡するリスクが約2倍になるとの研究結果を、筑波大と国立がん研究センターのチームが16日までに発表した。少なくとも月に1~2回食べればリスクは高まらなかった。

チームの山岸良匡筑波大准教授(社会健康医学)は「魚の摂取が心臓病を抑えることは知られているが、大動脈の病気を防ぐことを示したのは初めて」と話した。

国内で行われた8研究に参加した40歳以上の男女、計36万人分の食習慣アンケートをまとめて解析。魚をほとんど食べない人たちは、週に1~2回食べる人たちと比べ、大動脈の病気で死亡するリスクが1.9倍になっていた。月1~2回以上食べる人たちにはリスクの上昇がなかった。

魚に含まれるドコサヘキサエン酸(DHA)やエイコサペンタエン酸(EPA)が中性脂肪を減らし、病気のリスクを抑えているとみられる。」

何をするにも「健康」が一番大事。忘れることが多いですが、留意するようにしていきたいと思います。

運動不足、世界で14億人について 4372

未分類 / 2018年10月27日

20181026予算要望2昨日、各種議案を議決し第3回定例会が閉会。本会議終了後、林文子市長に公明党横浜市会議員団として来年度予算要望書を提出しました。実現を目指します。

議会開催中は座っていることの多い日々。先日、共同通信が「運動不足、世界で14億人」と題して伝えていました。

「世界保健機関(WHO)は(10月)5日、2016年に世界の成人(18歳以上)の4人に1人に当たる14億人以上が運動不足とみられ、糖尿病や心臓疾患、認知症などにかかるリスクが高いとの研究結果を発表した。運動不足の人の割合は米国40%、日本36%など高所得国で高かった。性別では男性が23%、女性は32%だった。

WHO当局者は「長時間労働や交通機関の発達、スマートフォン普及などが人々から運動の機会を奪っている」と指摘、各国政府にインフラ整備など運動不足解消の政策実施を求めた。

WHOの研究者グループが168カ国・地域の統計などを用いて分析、英科学誌ランセットにも掲載された。

WHOによると、世界の男性の4人に1人、女性の3人に1人が、健康を保つための十分な運動をしていない。また高所得国での運動不足の割合は、低所得国の2倍以上という。

WHOは1週間の適切な推奨運動量として、ウオーキングや水泳などの適度な運動なら少なくとも150分、ジョギングやサッカーといった激しい運動だと75分といった基準を設けているが、55カ国で3分の1以上の成人が、この基準に達する運動をしていなかった。」

そもそもの基準が高すぎるような気もしますが、これから歩く機会も増えるので、取り戻していきたいと思います。

明治維新と変化への対応について 4371

未分類 / 2018年10月26日

IMG_3706昨日はあざみ野駅前での街頭演説の後、警察署などでの行政関連打ち合わせ、ごあいさつ回り等々。今年のノーベル生理学・医学賞を受賞する京都大学の本庶佑特別教授が「日本企業は『見る目』がない」と不満を口にされているそうです。日経新聞によりますと、日本の大学などの研究論文がどこでビジネスの種である特許に結びついているかを調べると、米国の比率が4割を超すとのこと。研究開発力の低下が指摘されるなか、イノベーションにつながる国内の芽をどう見いだすのか、企業の「目利き力」が問われるとしています。昔から似たようなことが指摘されてきた島国・日本ではありますが、なぜこうなってしまうのか。

前例踏襲、形式主義などとは一線を画す、比較的多くの若者の感覚が大きく異なることは希望です。

日経新聞コラム「春秋」が、10月23日にその日を迎えた「明治維新150年」について記していました。

「財政の再建で地力をつけた長州や薩摩など西南雄藩の志士たちが、古い体質を変えられない徳川幕府を英雄的な行動で追い詰めた――。幕末から維新の歴史に多くの人が抱くイメージだろうか。「明治」への改元は慶応4年9月8日、西暦で1868年のきょうである。

だが、史実を子細にみれば、弾むラグビーのボールを追うかのような志士らの右往左往がある。各地で立派な像になった元勲たちも時には弱気の虫に取りつかれた。ある歴史家は鳥羽伏見での薩長方の勝利を「九回裏の3点差を満塁サヨナラ弾で逆転した」と記す。ワンチャンスを生かした策が奏功したというのであろう。

政府はきょう明治150年記念式典を催す。「わが国の歩みを振り返り、未来を切り開く契機とする」とうたっている。旧体制が退場を迫られた時代、何が起き、為政者がどう振る舞ったのか。往時に劣らず激動する今、学んでおくのも大いに参考になろう。評論家の野口武彦さんは明治初期のエッセンスをこうまとめた。

「維新の功臣、明治の賊将」「昨日の友は今日の敵」「勝てば官軍」。ざれ言めくが、変革期の混沌や反動の側面を表していよう。長州人を自認する安倍首相も時代を画す大仕事を懐に温めているようである。難事業は一直線に進まず時に激しい痛みも伴う。お国自慢が得意なら先人の覚悟や辛苦、とうに知っていようが。」

なぜこれが書けるのか。闘っているからだと思います。闘っている人は、環境の変化を敏感に察知し、変化に対応し、応戦する。その力がなければ、多くの人々を不幸にするからだと思います。

本庶さんの視点。若者の感覚。大事だなと思います。

「塩狩峠」と「良き活字」について 4370

未分類 / 2018年10月25日

IMG_3705昨日は決算特別委員会局別審査。都市整備局審査に福島尚子議員(中区)が、健康福祉局審査に中島光徳議員(戸塚区)が質問に立ちました。

寒暖の差が激しい、秋深まるこの頃。先日、三浦綾子の長編小説「塩狩峠」を読みました。昭和40年代後半の作品。元々はキリスト教嫌いであった主人公で鉄道会社職員の永野信夫が、父母や恋人・ふじ子の影響でキリスト教信者に。1909年(明治42年)ふじ子との結納の当日、北海道の名寄駅から鉄道で札幌へ向かう途中、塩狩峠の頂上にさしかかろうという時、信夫の乗る最後尾の車両の連結部が外れ、暴走する事故が発生。信夫は乗客を守るため、レールへ飛び降りて、汽車の下敷きとなり自ら命を落とした。享年32。乗客は無事に助かりましたが、、、。明治末年、北海道旭川の塩狩峠で、自らの命を犠牲にして大勢の乗客の命を救った一青年の愛と信仰に貫かれた生涯を描を描いています。人間存在の意味を問う小説。読み応えがありましたし、色々と考えさせられました。

私の師匠の言葉には、次のようにあります。

「人間は「良き活字」に触れてこそ、深い思索ができるし、頭脳も鍛えられる。映像だけでは、どうしても受け身である。良書をはじめとする「正しい活字文化」が衰弱すれば、人間が人間らしく行動しゆくための、精神の泉は枯れ果ててしまう。」

何かとありますが、「読書の秋」にしたいなと思います。

「ある街の高い煙突」について 4369

未分類 / 2018年10月24日

IMG_3674昨日はたまプラーザ駅前での街頭演説、市政報告配布の後、行政関連打ち合わせ等々。先日、公明新聞コラム「北斗七星」に、山口那津男代表の父親のことが書かれていました。こうしたことがコラムに書かれるのは珍しいですが、私も読んで初めて知りました。

「今から100年ほど前の1915年(大正4年)に、茨城県日立市の日立鉱山に建設された高さ約156メートルの煙突は、“日立の大煙突”として地域の人に親しまれてきた。完成当時は世界で最も高い煙突であった(現在は自然崩壊により3分の1ほどの高さに)。

なぜ世界一の煙突がここに建設されたのか? 戦後、日立市の天気相談所の所長として赴任した山口秀男氏は、その経緯を調べるうち、鉱山の煙によって、農作物や健康に被害を受けた住民と、加害者側である企業とが、葛藤を乗り越え、誠実な交渉を通して煙害の軽減に取り組んでいった史実を知る。

山口秀男氏が、友人である作家の新田次郎氏にその話を語ったことにより誕生したのが小説「ある町の高い煙突」(文春文庫)だ。今年、その小説が、仲代達矢、吉川晃司ら豪華キャストによって映画化(松村克弥監督)されることになり、このほどクランクアップした。

この山口秀男氏は、公明党の山口那津男代表の父親である。映画化にあたり、取材を受けた山口代表は、「ぶつかり合うことを回避するために、もがき苦しむ中で、理想に近い合意点を見いだす姿勢というものが、見習うべきものとして胸深く刻まれている」と語っている。

映画は現在、編集作業が進められており、来春公開される。」

「ある街の高い煙突」のある街・日立市。日立鉱山は私の古巣・日立製作所の源流となった会社。この12月に茨城県議選が行われますが、公明党公認の新人で「村本しゅうじ」という日立市選挙区の予定候補者がいます。実は、私と同期入社で、入社以来、本陣・日立工場のエンジニアとして活躍してきた男。こういう話は、いい激励になるなと思います。村本、頑張れ!

「いじめってなんだろう」について 4368

未分類 / 2018年10月23日

IMG_3662昨日は藤が丘駅前での街頭演説の後、議会へ向かい決算特別委員会。先日は「SNSいじめ対策」を取り上げました。会員制SNSや無料通話アプリを使ったいじめは、ネットパトロールでも分からず、発見が困難になっている。声に出せず苦しんでいる子ども達を救うために、いじめ対策を教育委員会だけでなく、外部機関との連携含め、横浜市全体で取り組むべきと質問。荒木田副市長は「SNS上のいじめを含めた誹謗中傷などのトラブルは、もはや子どもだけの問題ではなく、大人も含めた社会問題として捉えている」「教育の問題はもちろんのこと、幅広く捉えて、本市として出来る方策が何かないか検討していく」と答弁。引き続き、いじめ対策に尽力して参ります。

先日、日経新聞「プロムナード」に作家の荻原浩さんが「いじめってなんだろう」と題して寄稿されていました。荻原さんと言えば、小説「噂」を思い出します。

「いじめ探偵という人に会ってきました。

こんな仕事もあるのですね。ようするに学校でいじめが起きているのに確かな証拠がなく、学校側では解決できない(あるいは解決しようとしない)から、加害生徒が誰か、どんな被害を受けているのかを調査する私立探偵だ。依頼主は被害生徒の保護者だけでなく、子ども自身や教師というケースもあるとか。

録音、尾行、張り込みなどなどの証拠を集めるテクニック。加害生徒との直接対決。学校側との交渉。深刻な依頼内容が多いから、面白いと言うのは気が引けるが、とにかくそのひとつひとつに驚いた。

いじめ探偵の阿部さんは、ごく普通の探偵事務所の経営が本業で、NPO法人を立ち上げ、いじめ調査は基本的に無料で引き受けているそうだ。私立探偵が教育現場に介入することには賛否があったようだが、確かにこういうプロが介入しなければ、現状は動かないんだろうな、と話を聞きながら思った。

いじめ探偵さんは本を出している。頼まれたわけじゃないけれど、良い本だから紹介したい。『いじめと探偵』阿部泰尚著(幻冬舎新書)

いじめってなんなんでしょう。

「いまの子どもたちは~」「学校教育の現状が~」などと良識ぶるつもりはさらさらない。昔からあったはずだ。僕の子どもの頃には「いじめ」という概念が一般的ではなかっただけで、振り返ってみれば僕自身、あれはいじめだったと思えることの被害者でも加害者でもあった。

いまだけの、学校だけの、子どもたちだけの問題じゃない。

大人だって、というより大人こそ、だ。社会全体、大げさに言えば、人間の根っこにかかわる問題である気がする。

パワハラやセクハラも大人のいじめだ。ヘイトスピーチや、マイノリティへの暴言だってそう。村八分というのも集団でのいじめ。「昔はそんなものはなかった」と言う人には、僕が戦争をテーマにした小説を書くために取材し、資料を集めた時に知った、昔の軍隊での死者が出るほどの酷いリンチや陰湿ないじめの数々を教えてあげたい。

マスコミではこのところ、週替わりのように誰かが糾弾されている。まあ、糾弾される人間の言動は誰もが呆(あき)れるものばかりで、非難されてしかるべきなのだが、こっちの心の中に(エッセイにそれを書いたりしている僕も含めて)、もっとやれ、ちゃんと謝罪させろ、いい気味だ、なにしろこっちには正義がある、と安全な高みから面白がっている節はないだろうか。

いじめとまでは言わないが、そうした気持ちや世の中の空気と、いじめに見て見ぬふりをしたり、なんとなく加担してしまう心理は、どこか似ている。

他人をいじめるのが快感という人間はごく一部だと思いたいが、そうじゃない人々の心の奥底にも、真っ白じゃない灰色の塊が燻(くすぶ)ることはないだろうか。自分が幸せじゃない時はとくに。とりあえず輪の中の居場所を確保するためにみんなに同調しよう。そうした空気に呑(の)まれることってないだろうか。

そんなことはない? お前だけ? 新聞にエッセイを書いてるからって偉そうに。こいつ炎上させちまおうぜ。

ああ、いじめはやめて。」

「いじめている奴は、自分の弱さを隠しているにすぎない」とは、どこで聞いてきたのかかわかりませんが、うちの息子の言葉。いじめた奴は、いつかいじめられる側になる可能性が高いともされます。「どれがいじめか?」という問題もないわけではないですが、眉間にしわを寄せているより、笑顔でいられる関係である方がいいなと思います。

「礼」のパワーについて 4367

未分類 / 2018年10月22日

IMG_3652昨日は消防団の器具点検の後、地域の運動会など行事に伺いました。どの会場も、秋のひと時、さわやかな笑顔。多くの方々の支えがあってイベントも成り立ちます。来場者に楽しんでもらおうと、会長を先頭に、どなたに対しても礼儀正しく、笑顔で迎えられていました。感謝です。

先日、あるコラムを目にしました。

「19世紀初め、琉球(沖縄)を訪れたイギリス人が、航海記に“平和を愛する礼儀正しい人々の振る舞いに感動した”とつづった。それを伝え聞いたナポレオンは“武器を持たない国があるのか”と驚嘆したという。

礼を重んじる沖縄で今、ブームになっているのが「空手」。競技人口は世界で5000万人ともいわれ、野球や柔道を上回る。2020年の東京五輪では正式種目にもなった。沖縄県庁には一昨年、「空手振興課」が設置され、昨年3月に「沖縄空手会館」がオープン。今月上旬、第1回沖縄空手国際大会が開催され、50カ国・地域1200人の空手家が技を競った。

もともと琉球には「手」という武術があった。中国や東南アジアの国々と交流するうちに中国拳法と融合し、「空手」が誕生したとされる。空手には“力強いイメージ”があるが「空手に先手なし」という教えがある通り、心技両面で「先手非道」を説く。「和」と「礼」を重んじる沖縄の心が脈打つ。

琉球という小国がアジア諸国と対等に交易できたのは、島国という地理的条件もあろうが、「礼」などのソフトパワーを生かしたからだろう。」

偉い方には「礼」があり、大体「普通」。差別的なところがありません。

社会的立場で自分が偉いと勘違いするのに限って「偉そう」。人を見下すような傲慢な態度。こういうのは、時に鉄拳が必要だなと思うことがあります。