矢沢永吉氏と橋下徹氏の本について 4345
昨日は地元での打ち合わせ、決算特別委員会の質問準備、医師会の会合。先日、沖縄への行き帰りに3冊の本。1冊は今月発刊され、関内の本屋で手にした元大阪市長・橋下徹氏の「政権奪還論」(朝日新書)。あとの2冊はロックシンガー・矢沢永吉氏。自宅の本棚で目についた、昭和53年(1978)に発刊の「成りあがり」(角川文庫)と、平成16年(2004)に発刊された「アー・ユー・ハッピー?」(角川文庫)。「アー・ユー・ハッピー?」は51歳の時の著作。今の私と同い年。
読んでいて、確かに「そうだなあ」と感じた橋下氏の一部。「インテリ層は理想を語ればいいだけなので、自分の理想に合っているかどうかで判断する。しかし現実の政治行政は、理想を直ちに実行できるものではない。現状に変更を加えようとすると、官僚組織、政治家、利害関係者、そしてメディアを中心とした世間の反対の声を乗り切っていかなければならない。多くの政治家はそれを乗り切るために途方もない精神力、体力、政治力を求められ、最後は屈服し、現状維持に甘んじる道を選びがちだ。」
「国民にとって保守やリベラルという政治スタンスはどうでもいい。そんなもので飯を食っているのはインテリ層だけだ。国民にとっては、現実の暮らしを支えてくれる政策こそが重要であり、国民の暮らしを支える政策を立案し実行する上において最も必要な要素は、保守やリベラルというスタンスではなく「合理性」である。
合理性だけではだめだ、思想・哲学も必要だという反論が、インテリ層から出てくるだろう。そういうインテリ層は、一度、政策を立案し実行していく現実の政治行政の現場に身を置いて、政策実行過程を体験した方がいい。国民生活を支える膨大な量の政策は、「合理性」を中心に議論せざるを得ない。」
評価は様々ありますが、「一人の人間にできること」を思う時、大した人だなと思います。
他方、私は30年以上前から矢沢さんのファンですが、久々に読んで「永ちゃん、やるなあ」と感じました。
「グレるってこと、どういうことか知っている?うん、はぐれるってことなんだ。群れからはぐれる。はぐれる淋しさ。のけもの。先に道がないんだ。ところが、今の確立した社会では、その社会の動きを邪魔する行為をグレるっていう。ほんとは違うんだ、はぐれるなんだよ。はぐれてんのは、本人が望んでるわけじゃないんだよ。ますますはぐれるところへ、自分で自分を追い込んでいる。まわりがそうさすから・・・・・。
まわりが、電気暗くしちゃうから。ますますはぐれる。もっと逃避したくなる。ほんとのワルは、とことん根性あるみたいなやつは、ちゃんと確立した中でうまくやってるんだよ。(中略) この間、テレビ観てたら、非行少年少女の家庭調査をしていた。「いまは、おかしいんですね。調べてみたら、わからなくなってきましたよ」キャスターが言ってる。『悪いことをしてるのにかぎって、中流以上の家庭なんですねえ』って。これはおもしろい言い方だ。
あいつら、キャスターの腹の中には「ワルは、非行は、家庭がグチャグチャだ。中流以下だ」って決めてかかる気持ちがあるんだ。キャスターが悪いんじゃない。そういう歴史があるんだ。だから、はぐれるやつは、ますますはぐれていく。
ぐれる気持ちを継続さすと、ますます、まわりは『待ってました』とやってくる。おまえらは、反撃したくないか。反撃するってどういうことか。おまえ自身に負い目がなくなって、自分で、てめえの手でメシ食ってるんだという誇りを持つことだ。」(成りあがり)
「ツッパるっていう言葉は、イコール『純粋』だと思う。」「今オレたちおじさんが、その人なりにツッパらなきゃいけない時代に来ている。
ペンを持っている人に、いまおごりが出てきている。あの人たちをヘコませなきゃいけない時期に来ている。そのためには、毅然とした態度で生きるやつが出てこなきゃだめだ。毅然と生きるということは、己に対して毅然とするということだ。やられっぱなしじゃダメだ。やり返すおじさんたちが出てきて、また文化がちょっと変わる。オレがまず走る。だから、みんな見てくれよ。」(アー・ユー・ハッピー?)
二人に共通しているなと感じたのは「自立」。69歳の矢沢さん。49歳の橋下さん。私も私の現場で頑張ります。