安全・安心の横浜へ 「何を言ったかでなく、何をやったか!」

公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

人口減少時代の公共交通について 4243

未分類 / 2018年6月20日

IMG_1822サッカー日本代表、感動でした!次も勝ちに行こう!

昨日は地元で広報関連の作業・打ち合わせ等の後、市役所で各種作業、市会運営委員会関連の懇談会。今年度、新たに議会に設置された「郊外部再生・活性化特別委員会」に所属しています。研究テーマも多岐にわたりますが、私が注目していることにひとつに「地域交通」問題があります。人口減少によるバス路線の減少統廃合や高齢による免許返上後の生活の足の問題など、課題は山積しています。

先週から日経新聞「やさしい経済学」に、大阪大学の土井勉特任教授が「人口減少時代の公共交通」と題して連載されています。今週も続きますが、重要な指摘をされています。 

「国立社会保障・人口問題研究所の将来人口推計によると、日本の2045年の総人口は1億640万人となり、15年に比べて16.3%、2000万人以上も減少する見通しです。これは現在の近畿2府4県の合計人口が30年間で消えてしまうほど、大規模で急速な人口減少が予想されているということです。

 人口が減少すると、移動する人数も減少して交通量は減少します。また高齢者は現役で働いていた頃に比べて外出する回数が減るので、人口構造が高齢化すると交通量は減少傾向になります。さらに近年は若者の自動車運転免許取得率の低下なども影響してか、現役年代の人たちの外出も減少傾向にあります。

 こうしたことから、今後は人口減少以上のスピードで総交通量が減少していく可能性があります。地域によっては、自動車交通量が減って道路の渋滞が沈静化する一方、乗客が減少する鉄道やバス・タクシーなど公共交通の事業者の経営が一段と厳しくなると考えられます。

 すでに地方では、公共交通の乗客減少→運賃収入の減少→収入減少に対応した経費削減→運行頻度などサービスの低下→さらに乗客が減少、という負のスパイラルに陥っている交通事業者が増えています。

 国土交通省の16年のデータによると、全国の一般乗り合いバス事業者(保有車両30両以上)246社のうち、事業収支が赤字の事業者は157社で、64%を占めています。また首都圏や東海、京阪神など大都市部の事業者を除外すると全国で165社になり、このうち収支が赤字の事業者は136社と、実に82%が赤字になっています。大都市部に比べて人口密度が低い地方では、支出を上回る収入を確保することが難しくなるからです。

 このままでは人口減少が著しい地域から公共交通は消滅していくかもしれません。しかし、公共交通には重要な役割があり、放置すべきではありません。この連載では、人口減少時代における公共交通のあり方について考えていきます。」

こうした初回での課題認識提示のもと、第4回では「ビジネス」としての公共交通の限界を示します。

「公共交通の事業は、人件費、車両費のほか、車庫や線路などの維持に要する固定費の割合が極めて大きいのが特徴です。収入の減少に対して経費を削減することは容易ではありません。多くの交通事業者は経費を削減するため、人件費の抑制や老朽車両の継続使用を余儀なくされています。人件費の抑制は人手不足の一因にもなっています。

 これらは独立採算のビジネスとして民間企業が経営している公共交通の特徴です。しかし、世界を見渡すと、このような経営形態は必ずしも当然ではなく、むしろ珍しいことなのです。

 ビジネスとしての日本の公共交通は、阪急電鉄の実質的創始者の小林一三が創り上げました。このビジネスモデルは、都市への人口集中を前提に、鉄道と沿線の開発をパッケージとすることで収益を確保するものです。沿線には住宅地やテーマパークを整備し、ターミナルには百貨店を開業するなど鉄道を軸とした都市型のライフスタイルを人々に提供しました。このビジネスモデルが成功し、多くの交通事業者も追随しました。そして、私たちは公共交通を企業が担うことが当然だと考えてきたのです。

 しかし、人口が減少に転じた日本では、沿線の開発余地は乏しく、乗客減少で運賃収入が減っていくなど、このビジネスモデルの賞味期限は過ぎています。」

第5回では他国での取り組み、公共交通は「インフラ」であるとの捉え方について記しています。

「日本では公共交通に対する財政支出割合は1%以下の市町村が多く、2%を超す自治体はほとんどありません。一方、フランスのまちづくりに詳しいヴァンソン藤井由実氏によると、LRT(次世代型路面電車)で有名なストラスブールは都市圏共同体予算の20%を公共交通に支出しています(2011年度)。財政制度などが異なるため単純な比較はできませんが、公共交通に対する支援の枠組みが日本とは大きく異なることが分かります。

 公共交通への行政支援が大きいのは、英国やドイツなど他の多くの先進国でも同様です。公共交通がインフラとして位置づけられ、財政負担が行われています。インフラと位置づけ、公費を投入するということは、事業の採算性よりも住民へのサービス提供を重視しているということです。

 この背景には、環境政策(自動車から転換し、環境負荷低減)、商業政策(歩いて楽しむ場をつくり、にぎわい創出)、社会政策(運転ができない人の移動手段確保)など、多様な政策を公共交通によって担うという考え方があります。

 なかでもフランスは国内交通基本法に「すべての人の移動する権利(交通権)」を明記し、「誰もが、容易に、低コストで、快適に移動できる」公共交通の実現を掲げています。そのため、都市によって多少の違いはありますが、運賃は低廉に抑えられています。運営費用の大半は交通税や補助金によって賄われ、運賃収入は費用の一部をカバーするにすぎません。

 交通税は公共交通に充てる目的税です。従業員11人以上の事業所が対象で、給与総額に一定の税率をかけた額が徴収され、赤字企業も負担を免れません。フランスの各都市は、この交通税を財源として確保したことにより、LRTやBRT(バス高速輸送システム)を短期間のうちに整備することができました。

 また欧州では、都心の駐車料金を高くしたり、クルマの都心流入を制限したりして公共交通の利用を促す仕組みがあります。こうした政策を実現するため、交通政策の専門家が行政組織に配置され、政策や運営に関する経験が蓄積されるようになっているのです。」

本件に限らず、目の前の問題と対峙しながら、限界を超えた過去の捉え方で対処することは極めて困難。郊外部の活性化のためにも、公共交通に対する根本的な発想の転換が求められていると思います。

実績報告と健康経営について 4242

未分類 / 2018年6月19日

実績報告 恩田町奈良川沿いLED電灯設置 20180618up_Moment大阪で震度6弱。23年前のあの日の記憶が蘇りました。種々報道されていますが、お見舞いとともに、関西の無事を願っています。繰り返し発信されていた通り、こうした際に心配なのは火災、土砂崩れ、建物の倒壊。避難時の注意点は「底の厚い靴」を履くこと。他人事ではありません。いざという時の備えが大事。気を付けて参ります。

「<実績報告>恩田町 奈良川沿い LED電灯設置」の動画をアップしましたので、よろしければご覧ください。 https://youtu.be/_spgX0Q6MRs

昨日はお世話になった方のお別れに伺った後、ごあいさつ回り、訪問介護関連のご相談対応、市役所で各種打ち合わせ。夜は県本部での会議。

横浜市では、昨今の人手不足などの課題が山積する中、市内企業の「健康経営」への取組みを進めています。 健康経営とは、従業員等の健康保持・増進の取組が将来的に企業の収益性等を高める投資であると捉え、従業員の健康づくりを経営的な視点から考え、戦略的に実践すること。

本市では、平成29年度から東京大学政策ビジョン研究センターと協働し、市内中小企業等における健康経営の効果測定を開始。中小規模事業所に勤務する従業員の生活習慣や健康状態と労働生産性の状況、及びその関係性を定量的に把握。併せて、健康経営の取組に参加した従業員を対象としたインタビュー調査により、よこはまウォーキングポイントや体操などの健康づくりを職場全体で実践する効果を定性的に評価。このほど第1回の調査結果が発表されました。

その結果、体調不良などに伴う従業員一人当たりの労働生産性損失は年間76.6 万円と推計。健康リスクと労働生産性損失の関係が明らかになったとともに、健康リスクの高い従業員(生活習慣・健康状態が悪い従業員)ほど、労働生産性損失は大きくなる傾向があるとしています。健康リスク評価項目とは、①不定愁訴※の有無、②喫煙、③ アルコール、④ 運動習慣、⑤睡眠休養、⑥主観的健康感、⑦家庭満足度、⑧仕事満足度、⑨ストレスの計9 項目。※不定愁訴とは、病気やけがなどで体の具合の悪いところ( 自覚症状)がある状態

 健康は個人だけのものでなく、会社にとっても、社会にとっても大事なものであることへの認識が深まっているようです。こうしたことに関する「格差」を縮める取り組みが大事だと思います。

「ヘルスリテラシー低い日本人」について 4241

未分類 / 2018年6月18日

IMG_2337昨日は市民相談対応、100万人アンケートを兼ねたご挨拶まわり、青葉台駅前での街頭演説等。今週は梅雨空が続くようですが、気持ちはスッキリ、元気に行きたいところです。

先日、日経新聞コラム「がん社会を診る」に東京大学病院の中川恵一准教授が「ヘルスリテラシー低い日本人」と題して寄稿されていました。

「がんで命を落とさないための秘訣は「がんを知る」ことです。がん治療も一種の情報戦といえますが、がんに限らず、日本人は健康や医療についてのリテラシーに欠けると指摘されています。

 ヘルスリテラシーの国際比較調査では「医師から言われたことを理解するのは難しい」と答えた日本人は44%に上りました。これに対し、欧州連合(EU)8カ国の平均値は15%、ヘルスリテラシー先進国のオランダは9%にすぎませんでした。「病気の治療に関する情報を見つけるのは難しい」と答えた割合も日本が53%、EU27%、オランダ12%と差がつきました。

 国・地域別のヘルスリテラシーの平均点(50点満点)では、オランダが37.1点で調査対象中でトップでした。アジアでは保健教育が充実している台湾が34.4点と最も高かったのに対して、日本はミャンマーやベトナムよりはるかに低い25.3点にとどまり、最下位に甘んじています。

 ヘルスリテラシーが低い人ほど病気や治療の知識も少なく、がん検診や予防接種などを利用せず、病気の症状に気づきにくいので死亡率も高いことが分かっています。この調査結果は見過ごせません。

 ヘルスリテラシーについての日本人の遅れは、学校での保健教育のあり方にも一因があるのではないかと思います。例えば米国では、国の疾病予防管理センターが定めた保健教育の学習目標「全国保健教育基準」があります。高校卒業までに、病気の予防や健康リスクの管理などを体系的に学びます。しかし、今の日本では性教育などは断片的に行われているものの、身体や健康について系統的に理解する機会がほとんどありません。

 そもそも、これまでの日本では体育ばかりが行われ、保健の授業は軽視されてきたと思います。2年ほど前、東京都東村山市の公立中学校で10年間も保健の授業がほとんど行われてこなかったことが発覚し、大問題となりました。保健の時間は体育の実技に充てていたといいますから、「保健体育」ではなく「体育体育」です。

 中学校、高校の学習指導要領にも書き込まれた「がん教育」を突破口として、日本人のヘルスリテラシーを高めていきたいと考えています。」

もしヘルスリテラシーの全国ランキングがあるなら、恐らく、青葉区は全国トップ3には入っていると思います。

防災訓練と改正災害救助法について 4240

未分類 / 2018年6月17日

IMG_2321昨朝は青葉区の桂小学校で行われた地域防災訓練に消防団員として参加。消防車で地域を巡回し皆さんにお声がけ。千葉県東部で地震が続いているのが気になりますが、いざという時の自助・共助・公助。地域の安全は地域で守らねばなりません。

今月8日、大規模災害時の仮設住宅設置などの権限が都道府県から政令指定都市に移譲できる「改正災害救助法」が成立しました。これまで大規模災害時の仮設住宅設置や物資の供給などが都道府県の指示が必要でしたが、東日本大震災、熊本地震などの経験から、「対応が遅くなる」「現場で動ければ的確に配置でき、何倍も速くなる」など、横浜市をはじめとする多くの基礎自治体が、長年国に権限移譲を要請してきました。

大規模災害であるか、ないかに関わらず、「災害時に自分たちの身を守ってくれるのは横浜市なのだ」と市民の皆様全員が思っているはずです。しかし、大規模災害時の権限が神奈川県であるというのは、市民の皆様の感覚からすると理解しにくいと思います。この「ねじれ」は、市民の生命財産を危機にさらす可能性の高い問題。法改正に向けた国や県への働きかけなどにつき、議会で何度も取り上げてきました

災害時の被災者救助の迅速化にいかに資するかどうかが最重要ポイント。来春の平成31年4月1日に施行。詳細は事務レベルで進めることになります。

他方、議論の中では「救助主体が増えると調整が複雑になるのではないか」「食料や住宅資材等の資源を政令市が先取りしてしまうのではないか」などの懸念が全国知事会から示されてたそうです。横浜市の林市長は「そういうことはない」「市民の命と財産を守る方向性に違いはない」と明言しています。当然のことですし、災害現場で起きた事実を直視しないと、疑念ばかりが膨れ上がるということかと思います。リーダー間の日頃のコミュニケーションの重要性を感じます。

IMG_2333法律も防災訓練も目的はひとつ。大事なことは「何のため」。あらゆる議論に必要な視点だと思います。

「孤独」健康への悪影響について 4239

未分類 / 2018年6月16日

IMG_62962昨日は政策懇談会最終日。上田勇県本部代表、佐々木さやか参議院議員もかけつけました。この1週間で30を超える団体の皆さんと多岐にわたり議論しましたが、子ども、大人、高齢者に関係なく、いくつかの課題の原因に「孤独」と文字が関連していることが伺えます。

コラム「名字の言」が「孤独の健康への悪影響」について記載していました。

「“人生100年時代”の到来が話題だ。定年後、30年以上にもなる時間をいかに健康を保ち、充実させるか。シニア世代の生き方が問われている。

本紙に登場した『世界一孤独な日本のオジサン』(角川新書)の著者・岡本純子さんによると、近年、米国で発表された「孤独」の健康への悪影響は、「たばこ1日15本分」「アルコール依存症に匹敵」「運動しないより悪い」「肥満の2倍悪い」など衝撃的なものだった。“孤独は万病のもと”といえよう。

孤独を防ぐには、趣味や運動など「何らかのコミュニティーに参加すること」と岡本さんは強調する。1人暮らしと孤独はイコールではない。特に定年後は、職場に代わる「居場所」をつくること。さらに会話のポイントは、過去の勤務先や肩書などを言わず、どんな話題にも共感を示し、相手を褒めること。一人の人間として「相手に何ができるか」を態度で示すことが重要だという。」

「大人の居場所」とともに、「子どもの居場所」も意識して作らねばならない時代。安心の「居場所」。誰もが健康的な日々を送るための基盤なのだと思います。

「企業データと大衆監視」について 4238

未分類 / 2018年6月15日

IMG_23132昨日も終日政策懇談会。歯科医師、薬剤師、建設業、リサイクル、DV対策等、各団体からお声を頂きました。写真は神奈川県薬剤師連盟会長兼横浜市薬剤師会幹事長の川田哲先生。何年も前からFB友達。いつもアグレッシブに活動されています。

今週、神奈川県内で起きた新幹線内での殺傷事件。事件の4日前に犯罪防止のために訓練をしたばかりだったそうです。逮捕された容疑者は、以前から問題ある言動があったとのこと。様々考えさせられる事件ですが、そもそも、こうした事件が起きない社会にするための、事前・事後のケースに対処できる法律やハードが不十分ではないかという指摘は以前からあります。容疑者の人権。被害者の人権。個人的には、ルールが守られずに安心な社会を脅かすほどの環境変化には、それに応じた手を打つ必要があると思います。性善説で捉えることは大事ですが、具体的な対策が打てずにそのままになるということでは、また被害者を生む大きな可能性が残ります。約3年前の2015年6月30日、同じ新横浜―小田原間で起きた新幹線内の焼身自殺事件で、巻き添えとなった女性が死亡しています。その遺族も今回の事件について「過去が活かされていない」「厳罰化すべき」との主旨のコメントを出されています。本来、安全だと信じられている場所で繰り返される悲劇。

本件に限らず、犯罪を未然に防ぐことは難しいものの、「無理」と言うのは簡単。防ぐ方法はないのかどうか。

IMG_2314先日、英フィナンシャルタイムズに、「企業データと大衆監視」と題して、グローバル・ビジネス・コラムニストのラナ・フォルーハー氏の寄稿が掲載されていました。 

「最近の現実の社会は、サイエンスフィクションがよく描く近未来の暗い社会と驚くほど似てきている。

 2002年の米国映画「マイノリティ・リポート」では、トム・クルーズ演じるワシントンDCの警官は、「犯罪予防局」という特殊な部署で働いている。彼の仕事は、超能力者の予言に基づいて、将来罪を犯すことになる人々を事前に逮捕することだった。

 この映画で描かれた大衆を監視する方法や技術は、今やどれも当たり前のものだ。つまり個人がどこにいるかを把握したうえで、その個人の関心や好みに合わせた広告を打つ技術から、顔認証技術、端末に最新のニュースを次々に更新して届けるといった技術だ。スティーブン・スピルバーグ監督が唯一間違えたのは、事件の発生を事前に把握するには超能力者が必要だと考えたことだった。

 今日の警察は、米グーグルや米フェイスブック、米アマゾン・ドット・コム、そしてビッグデータ分析で知られる米パランティア・テクノロジーズなどの企業が提供する様々なデータや技術を活用することができる。

 近年、当局による犯罪事件の解決や防犯、情報収集活動に民間企業がかつてないほど関わりを深めている。それだけに、こうした各種技術による大衆監視能力が持つディストピア的な暗い側面を考えることには意味がある。5月22日付で全米市民自由連合(ACLU)を含む複数の人権団体が、アマゾンに対して「レコグニション(Rekognition)」というジョージ・オーウェルの小説に出てきそうな名前の画像処理システムを警察に販売するのをやめるよう求める書簡を送った。「政府にとって極めて乱用しやすいように作られている」というのがその理由だ。

 同書簡は、レコグニションは「有色人種や移民といったコミュニティーに特に重大な脅威を与える」と指摘している。顔認識のソフトウエアは白人よりも有色人種の顔で誤認率が高いことが既に複数の研究で明らかになっていることが背景にある。

 これは皮肉なことだ。というのも、そもそも米国が数年前からビッグデータの分析を防犯に生かそうという方針を決めたのは、人種差別と偏見を防ぐのが狙いだったからだ。つまり、ソフトを使えば、黒人だから犯罪にかかわっている可能性があるといった連想に象徴される認知的偏りを回避できると考えられたのだ。先入観を排除するために導入されたのに、ソフトのアルゴリズム自体に問題があることが判明しているのだ。

 テキサス大学の研究者サラ・ブレーン氏は最近、ロサンゼルス市警察によるビッグデータの利用法を調査した。同市警は前述の企業パランティアと犯罪が起こりそうな場所を予測するモデルを開発している。ブレーン氏は調査で、ビッグデータの活用が警察活動の質を根本的に変えたことが判明したという。警察は、犯罪が発生したらそれに対応するというよりも、大衆を監視して、犯罪の発生場所を予測することが活動の主体になってしまっているというのだ。

 パランティアのモデルは、様々なデータ源を混ぜ合わせて解析するため、過去に警察と全く接点のなかった人でも監視対象になってしまう可能性が高い。これは「推定無罪」の原則と相いれない不愉快な事態である。

 アマゾンとパランティアの事例は、氷山の一角にすぎない。IT(情報技術)大手が発表する情報開示請求報告書を見ると、サービス利用者についての情報を求める各国政府からの開示請求の数は、この数年で激増している。グーグルがこの半年に受けた請求件数だけで約8万7000件、その66%に対し何らかの情報を提供したという。

 捜索令状という形の請求(例えば、特定の人物のメールの内容の開示請求)には、応じる義務が生じる。これに対して「内容以外の」情報、例えば特定の2人の個人間の通信回数やメールの件名などは、召喚状や裁判所命令といった比較的容易な手段で請求できる。

 企業側は、裁判所を通じてこの種の請求に妥当性があるのかを求めたり、開示内容の範囲を狭めるよう求めたりできる。これは、経営者にはどこまで、どんな情報を提供するか裁量の余地がかなりあるということで、企業には様々な選択肢があるし、実際、その対応は企業によって大きく異なる。

 一方、司法当局や規制当局が、今後どう扱ったらいいか方針を決めかねている分野の情報も多い。例えば、顧客の位置情報を令状なしでどの程度当局に開示すべきかについては、米連邦最高裁が近く判断を示す予定だが、現在は企業の自主判断に任されている。

 こうした中、欧州連合(EU)が25日に施行した顧客情報の管理を厳格化した「一般データ保護規則(GDPR)」が、今後、例えば米国で3月に成立した「クラウド法」とどう共存できるかも現段階では不明だ。クラウド法は、通信やコミュニケーションの事業を手掛ける米企業が海外に保存しているデータについても米国の法執行機関が入手することを認める法律だ。

 もちろん中国など、政府と民間企業が協力して市民を監視している国も多い。このことは、百度(バイドゥ)、アリババ集団、騰訊控股(テンセント)など中国のIT大手だけでなく、中国国内でデータを何らかの形でビジネスに生かしている欧米企業にも影響する。

 例えば米アップルは、15年にカリフォルニア州サンバーナディーノで起きた銃乱射事件で、米連邦捜査局(FBI)が犯人のiPhoneのロック解除を求めた際、協力を拒否したほど米国内では利用者のデータ保護に強いだわりがある。だが中国では、同国政府の要請により中国人顧客向けのデータ保存サービス「iCloud」のデータセンターをすべて中国本土に移さざるを得なかった。これらのデータセンターは、米国のデータ保護法を順守する必要のない中国企業により運用されている。 

 要するに、企業は好むと好まざるとにかかわらず、いわば治安機関になりつつある。その結果、筆者が話を聞いた一部の経営者は、自社が現在抱えているデータでさえ保有の必要があるのか自問し始めている。データの中には「漏洩した場合に大きな問題になる」ものがあるとの考えが広まっているようだ。特に会社の中核事業がデータ管理と無関係な場合、そう考えるのは不思議ではない。

 グーグルだけでなく他の企業でも、自社の技術を警察や国防総省に提供すべきなのか議論が起きている。デジタルデータの量が増えるに従い、そのデータを誰が、どのように扱うべきかという議論はますます拡大していくだろう。」

関係のない個人データまでが公の監視下に置かれることに抵抗があるのは当然かと思います。「様々なデータ源を混ぜ合わせて解析するため、過去に警察と全く接点のなかった人でも監視対象になってしまう可能性が高い。これは「推定無罪」の原則と相いれない不愉快な事態である」との指摘もそうだなと思います。

どのような社会を目指すのか。どこで折り合いをつけるのか。その国の民意を反映した「政治判断」が必要なのだろうと思います。

「スポーツが照らし出す心根」について 4237

未分類 / 2018年6月14日

IMG_2305昨日も終日政策懇談会。アレルギー対策、教職員、交通、水道、建設関係等々の皆さんからお声を頂きました。毎年行っているヒヤリングですが、生きているものに変化しないものはない。いつも現場に根差した、市民目線の新鮮な課題提示、改善提案などを頂いています。

間もなく、サッカーワールドカップ・ロシア大会が始まります。一昨日は日本代表の最後のパラグアイとのテストマッチに4-2で勝利。勢いがついたかなと思います。この時期、いつもですと「やってやれ」「ぶちかましてやれ」といった言葉が飛んでいますが、最近は少し控えめな気もします。

先日、日経新聞スポーツ欄「逆風順風」に、同紙の篠山正幸氏の文が掲載されていました。

「やるか、やられるかという戦いのなかでも、鬼になりきれない人間の優しさが、ちらりとのぞくことがある。例えば死球を与えた投手のしぐさ。気の毒なくらい恐縮して、腕が縮こまる投手がいる。

 一部の傑出した投手は別として、厳しく内角を攻めないと、技術の進歩の著しい今どきの打者は抑えられない。そこで「ぶつけても構わない」というくらいの気持ちで投げることもあるのだが、実際には遠慮が出るし、当てれば自責の念にさいなまれる。

 その昔、どうしても内角を攻めきれない投手が、人形の打者を置いて、ぶつける練習をした。だが、その投手は人形にさえ当てられなかった、と聞いた。人は結構優しい生き物かもしれない。

 こうした人間の「地」が出るから、スポーツは面白く、怖い。プロ野球に限らず、単に勝ち負けを競うだけなら、ここまで社会に認められ、人々の関心を呼ぶものになっていたかどうか。

 およそ百年前に書かれた「中世の秋」という本にこんな一節がある。

 「読書、音楽、美術、旅、自然観賞、スポーツ、流行、社会的虚栄。……高級、低級の境界線は、今日、だいたいのところ、自然観賞とスポーツとのあいだにひかれているようである」

 ヨハン・ホイジンガというオランダの歴史家が書き記した趣味番付だ。いまどき、これらのものに序列をつけるのはナンセンスだろうが、スポーツは必ずしも、社会的に揺るぎない存在ではなかったことがわかる。

 どんな手を使おうが勝てばいいという勝利至上主義につきまとわれ、スポーツは何度も泥にまみれてきた。しかし、時としてスポーツは人の心根の思わぬほどの美しさを照らし出してきた。そうした歴史により、スポーツは少しずつ地歩を固めてきた。

 日大アメリカンフットボール部の不祥事は指導者と選手の封建時代のような主従関係など、旧態依然の暗部を示した。と同時に若い人たちの良心も見て取れた。そこにかすかな希望がある。もう「中世」に逆戻りするようなことがあってはならない。」

「寄らば大樹の陰」「長い物には巻かれろ」などの言葉があります。心ひとつに目標に向かっていく一方で、日本には「自分自身」よりも、上役や指導者にこびへつらう、面従腹背の傾向とともに、責任を転化する傾向が特に強いように思います。他方、本文にあった「どんな手を使おうが勝てばいいという勝利至上主義」も、指導者によって変わるのだろうと思うと、そうした意味からも、やはり「自分自身」を持つことが大事かと思います。

他方、日本代表の得点力不足。一昨日の勝利は大きな前進ですが、マスコミや世論のプレッシャーの強い日本。そうした中で「自分自身」を持てるかどうか。こうしたことも関係しているのかも、と感じる次第です。

青葉区「禁煙登録店数が市内一」について 4236

未分類 / 2018年6月13日

IMG_2290昨日も終日政策懇談会。介助犬、幼稚園、保育園、建設業、医師会等々、様々なお声を頂きました。夜は広報関連の打合せ。

シンガポールで行われた史上初の米朝首脳会談。様々な評価がありますが、個人的にはスタートラインに立ったという印象。これから出てくる結果がどうなるか。注目しています。

そのシンガポール。タバコに厳しい国としても知られています。私が駐在していた1996-97年でも相当厳しく、屋台街で食事をした後、タバコを吸ってポイとした友人は即座に約5万円の罰金となりました。今はその時よりも厳しいとのこと。シンガポール観光旅行.comによりますと、同国へのタバコの持ち込みは厳しく管理され、1本でも持ち込みをする場合は申告が必要。もし申告をせずに持ち込みをしようとすると、初犯であれば1箱辺り200ドル、再犯や悪質の場合は最高で5000ドルの罰金。持ち込む際は、申告と同時に納税。税額は1本につき35.2セントで、さらにGST(消費税)も7%加算。現地での販売金額は1箱13ドル(1053円:1ドル81円換算 2014年)日本の2倍以上。

健康長寿の街・青葉区。喫煙率が低いことは先日もお伝えしましたが、先日タウンニュース青葉区版が「禁煙登録店数が市内一」であるとの記事を掲載していました。受動喫煙防止条例が施行されて定着している神奈川県内でのランキング。禁煙意識の高さが伺えます。

「横浜市が飲食店などの禁煙実施店をリスト化した「よこはま健康応援団」で、青葉区の登録店が市内最多の89店あることが分かった。世界禁煙デーの5月31日からは区でも重点的に禁煙を呼びかける。

IMG_2303 市は食事や禁煙の分野で市民の健康づくりに対して自主的な取り組みを進めている飲食店を「よこはま健康応援団」として公表している。禁煙実施店として市内319店(5月28日時点)が登録されているが、うち青葉区は89店と市内18区の中で最多。2位の栄区は36店で倍以上だ。

 この理由について、区の担当者は「18区でも喫煙者の数が少ないことが要因ではないか」と話す。16年度に市が行った市民意識調査によると、たばこを「毎日吸っている」人は17・8%で18区の中で1番少なく、「時々吸っている」人の3・3%を加えた、喫煙習慣がある人で見ても4番目に少ない。区の担当者は区民の健康意識の高さが結果に表われていると推測するほか、区内飲食店に禁煙への呼びかけを行ってきた青葉区保健活動推進員会(佐伯昌城会長)の活動も大きいと説明する。

市内禁煙店リスト201806一方、店舗側の対応も限界がある。佐伯会長によると「吸いたい人が集まるため禁煙は難しいと言われることも多い」と話す。また、小規模店舗では分煙を図るにしてもスペースがなかったり、工事費を工面できないケースも多いとみられる。そういった飲食店に対して区の担当者は「お店の気持ちも理解できるが、人の健康がやっぱり大事。今後どう対応していくかが課題」と話している。

 
 黒須田にあるカフェレストラン「Haru cafe」は終日店内を禁煙にしている。「子ども連れのファミリー層が多く、たばこの煙を嫌がる客も多い」とオーナーの柴田就さんが話すように、開店した当時から禁煙を進めてきた。喫煙者には併設されたテラス席を利用してもらうことで対応していると言い、クレームもゼロではないが「皆さん好意的に理解してくれている」と話す。
 
 日本禁煙学会の禁煙専門・認定指導者である「あざみ野おさかべクリニック」の刑部義美院長によると、「非喫煙者でも親族にヘビースモーカーがいると、肺がんになる可能性は当然のように高まる」と指摘する。目に見える煙だけではなく、喫煙者の呼気や衣類、髪の毛などに有害物質が含まれてしまうという。」
 
吸っている人にはキツイ話ですが、これもまた「青葉区らしいな」と感じるエピソードになりそうです。

労働生産性「日本人は本当に低いのか?」について 4235

未分類 / 2018年6月12日

IMG_2284昨日から公明党横浜市会議員団として、来年度に向けての業界団体との政策懇談会が始まりました。

ここ数年、日本人の生産性が低い等の話をよく耳にします。個人的には、欧米やアジアの人々と仕事をしてきた経験から、「そんなことはない」ということを具体例をもって語る自信がありますが、数字が「お前は間違っている」と示してくると、返す言葉もありません。確かに、組織に守られる中で能書きを垂れたり、鉛筆を右から左に移すだけで仕事をした気になっているケースもありますが、労働生産性の差の原因は、個人の能力というより、いい製品、付加価値の高いものが作れているかどうかにかかっていると思います。日本人の仕事と向き合う姿は、会社へのロイヤリティは、なかなかまねできないという印象を強く持っています。

先日、ビジネスジャーナルがビジネスコンサルタントの山崎将志氏の寄稿を掲載していました。納得の一文です。

「日本人は労働生産性が低い、特にホワイトカラーの生産性が低いと、よくメディアで報じられます。そして、その後に続くコメントとして、「日本人はもっと効率を上げる必要がある」という意見を聞くことがあります。しかし、私はそれを耳にするたびに「ホントかな」と思っています。

 労働生産性を国際比較した統計データを見ると、確かに日本人の労働生産性は先進国のなかでは低い部類に入ります。たとえばOECD(経済協力開発機構)の2014年のデータによれば、日本の労働生産性はOECD加盟34カ国のうち21番目です。また、G7(先進7カ国)のなかでは最下位で、しかも20年連続です。

 また、就業時間1時間当たりの労働生産性を見ると、日本は41.3ドルでやはり21位です。これに対してドイツは63.4ドル、フランスは65.1ドルでした。つまり、日本の労働生産性はドイツやフランスの3分の2程度しかない、というのが実態です。

 さらに日本人は年間1735時間働いているのに対し、ドイツは1400時間弱、フランスは1500時間足らずで、日本人のほうが15から25パーセント長く働いています。しかも日本人の夏休みの平均はおよそ1週間であるのに対して、ドイツ人、フランス人は1カ月ほどと、4倍の開きがあります。

 これらのデータを見れば、確かに日本人の労働生産性が低いといえます。しかし、それは本当に我々日本人一人ひとりの仕事のやり方が非効率なことが原因なのでしょうか。我々には、短時間でアウトプットを出す能力がほかの国に比べて低いのでしょうか。

(中略)

専門的な要素を無視してざっくり言いますと、日本のGDPはおよそ500兆円です。就業者の数がおよそ6500万人ですから、労働生産性はおよそ770万円、ということになります。正確な数字は2013年度の名目ベースで756万円です。

 数字が出てきて少し混乱してしまったかもしれませんが、要するに労働生産性とは、付加価値を労働者の数で割ったもの、ということです。

 さて、先ほど例にあげたスーパーが労働生産性を上げたいと考えたとします。それには2つの方法があります。ひとつは付加価値を増やすこと、もうひとつは労働者の数を減らすことです。

 ひとつ目の付加価値を増やすには、値上げをするか、仕入れ価格を下げるか、売る量を増やすか、またはそれらの組み合わせで行います。それについてはもうすでに限界まで努力したとなれば、労働者の数を減らします。

 個別の企業が、付加価値を同じに保ったまま労働者の数を減らすと、国全体ではGDPが一定で、就業者の数が減るわけですから、労働生産性は上がります。しかし、そうすると失業者の数が増えることになります。

 さて、バブル経済崩壊以降のおよそ20年間の日本の実態を見てみると、GDPも就業者数も、横ばいに近い右肩下がりです。また失業率も低いままです。そして、平均賃金はずっと減少傾向で来ました。ちなみに、賃金は付加価値のなかから払われます。

 つまり日本は何をしてきたかというと、いわゆるワークシェアリングをしてきたわけです。個別の企業でも付加価値が減った分を雇用削減ではなく賃金引き下げで対応してきたのです。リーマンショックや震災など日本にはさまざまな経済的試練がありましたが、失業者が街にあふれることもなく、みんなが賃下げを受け入れることで乗り切ってきたわけです。また、最近は格差の拡大が話題に上ることもありますが、諸外国と比べたら小さいものです。

下落を受け入れてきたわけですが、ずっとこのままでよいとは思えません。この間ずっと日本人の労働者が効率の悪い働き方をしていたわけではありません。試しにこんなことを考えてみましょう。

 スマートフォンを発明した時価総額世界一のアメリカの会社、アップルがあります。もう一つ、歴史と伝統があるのだが業績が停滞している日本の巨大企業、X社があるとします。アップルとX社の社員をそっくりそのまま入れ替えたとします。

 そうすると、日本のX社の労働生産性はアップル並みになるでしょうか。

 もちろん、なりません。それは社員の能力や効率性、がんばりなどの差ではありません。理由はX社には儲かる商品がないからです。
 
 同じことを別の切り口から見てみましょう。経済産業省のウェブサイトでは、都道府県別の労働生産性のデータが公開されています。2013年のデータを見ると、日本全国の平均は756万円に対して、東京都は1100万円となっています。その差はおよそ350万円です。働いているのは同じ日本人ですが、労働生産性の差は3割以上もあります。

 東京の人は全国平均より能力が高いのでしょうか。東京以外の人は、東京の人よりサボっているのでしょうか。

 また、産業別の労働生産性のデータも同じサイトからダウンロードすることができますが、それを見ると一番高い産業と低い産業とで、6倍近い差があります。労働生産性の低い産業に従事している人は、能力が低く、がんばってないということはないはずです。

さて、だんだんと問題がはっきりしてきました。

 要するに日本の問題は、働きたいと考えている人のほぼ全員が仕事に就いているわりに、ほかの先進国と比べるとあまり儲かっていないということです。単純に会社の利益を増やすには人をクビにすればいいだけです。しかし、国全体で見ると失業率が上がります。会社と違って国は国民をクビにすることはできません。社会保障のシステムはありますが、やはり働ける人、働きたい人には仕事をしてもらわなければ、国の経済システムは成り立ちません。だから、現在の日本は、正社員の解雇に強い規制をかけていますし、公共投資や、統計を読み解かなければわからないような、一見民間の事業に見えるようで実は国がお金を出している事業を行い、国民に仕事を与えているわけです。

 我が国は今のところこれでなんとかやっていますが、財政赤字がどんどん膨らんでいることからもわかるとおり、今の構造は長続きするとは思えません。労働生産性を上げるには、付加価値の量を増やす取り組みが必要なのですね。

 日本人はほかの先進国と比べて、平均的な能力は高く、真面目で、しかもバラツキが少ないと、私は思います。1億人以上の人口がいる国としては、ほかに例がないくらいです。

 もう、十分にがんばっています。しかし、がんばり方を変えなければならないことも事実です。

 あるコンビニの店員が努力した結果、レジ打ちのスピードが倍になったとします。しかし、それでは付加価値は増えません。商品は同じだし、お客さんも増えないからです。また、ホワイトカラーであればエクセルやワードのスキルが上がって、3時間かかっていた資料づくりが1時間になったとしても、効率的にはなりますが、付加価値は増えません。浮いた2時間で、もっと多くの人が高いお金を払ってくれる商品やサービスをもっと安くつくり、お客さんを増やすことを考えなければ本当の意味での生産性は上がらないのです。

 日本人は生産性が低いといわれると、あまりいい気分ではありませんが、一個人として日本全体の生産性を上げることを意識する必要があるかどうかは、疑問です。個人として考えるべきことは、いかに短い労働時間で高い賃金を得るかです。この問いに我々一人ひとりがそれぞれの答えを見つけることができれば、ワークライフバランスを実現することもできますし、結果的に日本全体の生産性向上につながるはずです。」

「頑張り方を変える」とはわかりやすいです。同時に、「評価の基準を変える」ことも必要となりますが、後者の方が先に変化しないと、よりよい方向に変わることは難しい。リーダーの責任は重いということかと思います。

「新しき時代創造への挑戦の波」について 4234

未分類 / 2018年6月11日

IMG_2063昨日、米朝首脳会談の主役の両者がシンガポールに到着。日本を含めた周辺国の動きも活発化しています。

今月5日、ノーベル平和賞受賞者のアドルフォ・ペレス=エスキベル博士と私の母校・創価大学の創立者であり、SGI(創価学会インタナショナル)会長の池田大作先生による共同声明を発表。国際記者発表会がイタリアの首都ローマにあるイタリア国際記者協会で開かれました。これには同博士と、池田先生の代理として池田博正SGI副会長が出席。共同声明「世界の青年へ レジリエンス(困難を乗り越える力)と希望の存在たれ!」を発表。ローマに駐在する各国のメディアが取材し、声明の概要などを広く世界に発信。何のため、誰のための政治なのか。あらゆる政治家が基盤とすべき内容ではないかと感じました。ご紹介します。

「世界の青年たちよ! 人類の重要な挑戦のために連帯し、自らの人生と、新しき世紀の歴史を開く建設者たれ!人類がいかなる重大な試練に直面しようと、それに立ち向かう「青年の連帯」がある限り、希望は失われることはない。青年への限りない期待を込めて、この共同声明を発表したい。

目まぐるしい社会変化の中で、21世紀の世界は、いくつもの深刻な課題を抱えるに至った。こうした現代の世界に光明を見いだすためには、歴史と真摯に向き合い、その記憶をたぐり寄せることが欠かせない。その記憶は、我々の目の前に新しい選択肢を浮かび上がらせるだけでなく、「もう一つの世界は可能である」と示す民衆の力と不屈の精神という“希望の光”が、人間の歴史に輝いていることを教えてくれる。20世紀の光と影は、人類の歩みに深い影響を与える一方で、先進国と開発途上国の間に不均衡と不公平をもたらした。また、各国の国内においても、貧富の格差は拡大の一途をたどっている。飢餓を見過ごすことは罪であり、飢えと貧困との戦いに猶予の時はない。問題解決に向けて、国連では「我々の世界を変革する」と題した「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が打ち立てられた。我々は、国や民族、宗教や文化といった差異を超えて、地球上から悲惨の二字をなくすためのアジェンダに協力して取り組まねばならない。

新しき時代創造への挑戦の波は、すでに生まれ始めている。その一つが、気候変動対策のための「パリ協定」だ。異常気象の頻発をはじめ、海面上昇などへの懸念が高まる中、2016年11月に発効し、今や世界のほとんどの国が批准するに至っている。もう一つは、2017年7月に採択された「核兵器禁止条約」である。核兵器を、一切の例外なく禁止する国際条約がついに誕生したのだ。昨年11月には、教皇フランシスコの呼び掛けで、「核兵器のない世界へ――統合的軍縮への展望」をテーマにしたシンポジウムが、バチカンで開催された。核兵器のない世界を追求する上で、核の脅威とともに、他国の民衆の生命と尊厳を犠牲にして自国の安全保障を追求するような権力思考と野心こそ、廃絶されなければならない。そうした「武装した理論」と決別する時が来ているのだ。

かつて私たち二人が対談集でさまざまな地球的課題を論じた際、その通奏低音にあったのも、青年の力に対する限りない信頼に他ならなかった。昨年の核兵器禁止条約の採択に際し、市民社会の力強い後押しの中核を担ったのは、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)をはじめとする世界の青年たちの連帯であった。青年が厳しい現実に屈せず、前に進もうとする勇気を持てるか否か――。その現在の青年の姿が、未来を決定づける。マーティン・ルーサー・キング博士は、「われわれは常に新しい日の夜明けに立っているのである」(クレイボーン・カーソン編『マーティン・ルーサー・キング自伝』梶原寿訳、日本基督教団出版局)との言葉を残した。

私たち二人もまた、地球という我々の「共通の家」には、人類と全ての生きとし生けるもののために、新たな夜明けを迎える希望と志が常にあるとの信念を抱き続けてきた。難民問題は焦眉の課題である。幾百万、幾千万もの人々が、戦争や武力衝突の暴力、飢えの暴力、社会的暴力、構造的な暴力によって、生命と尊厳を脅かされている。困窮している人々に連帯し、その窮状を打開するために、我々は両手だけでなく、考え方と心を大きく広げなければならない。

ゆえに私たち二人は、世界の青年たちに呼び掛けたい。連帯の力で乗り越えられない壁など決してない。さまざまな文化的アイデンティティーや精神的アイデンティティー、そして属性の違いを超えて、青年による行動の連帯を幾重にも広げていこうではないか、と。植えたものは、必ず収穫される。自分たちの一つ一つの行動が未来に必ず実を結ぶことを信じ、「民衆と共に人生を歩む」という責任を勇んで担おうではないか、と。

核兵器の脅威をはじめ、紛争による難民の急増、気候変動に伴う異常気象、そして、マネーゲームが過熱する中での貧富の格差の拡大――。これらの問題の根底には、軍事の暴走、政治の暴走、経済の暴走があり、我々が「共に暮らす家」である地球に大きな暗雲が垂れ込める元凶となっている。力や富を得れば得るほど、「全てを今すぐに手に入れたい」との思いを抑えきれない風潮が強まっている。

東洋の思想には、社会の混迷を招く三つの要素に関する洞察がある。一つ目は、利己的な欲望に突き動かされる「貪(むさぼり)」で、二つ目は、他の人々を憎んで争う「瞋(いかり)」である。そして三つ目は、自分たちの生きるべき方向性や社会の羅針盤を見失ってしまう「癡(おろか)」だ。ガンジーは、人間の行動基準として、自らの言動が「最も貧しく、最も無力な人」にどんな影響を及ぼすのか、その顔を思い浮かべながら判断することを強く促した。ガンジーの信条は、社会的に弱い立場に置かれた人々の存在を常に忘れず、誰一人として犠牲にしない社会を築くことにあったのである。そこには、国連のSDGs(持続可能な開発目標)が掲げる“誰も置き去りにしない”との理念と響き合う「人間性」が力強く脈打っている。ゆえに私たち二人は、世界の青年たちに呼び掛けたい。

さらに私たち二人は、この共同声明を通し、現代文明における暴走を食い止め、人間と母なる地球とのバランスを回復し、“誰も置き去りにしない”社会を築くための礎として、「世界市民教育を通じた青年のエンパワーメント」の推進を、国際社会に強く提唱したい。青年たちの限りない可能性と力を引き出すエンパワーメントを、地球上のあらゆる場所で推進していくために、私たちは世界市民を育む取り組みを2030年に向けて新たにスタートさせなければならない。その取り組みを通し、青年たちが、
 ①悲惨な出来事を繰り返さないため、「歴史の記憶」を胸に共通の意識を養う
 ②地球は本来、人間が「共に暮らす家」であり、差異による排除を許してはならないことを学ぶ
 ③政治や経済を“人道的な方向”へと向け、持続可能な未来を切り開くための英知を磨く
 ――ことを期待したい。

そしてこの三つの柱を軸に、青年たちが連帯し、母なる地球を守るための行動の輪を広げる流れをつくり出すべきではないだろうか。私たち二人は、“戦争と暴力の世紀”であった20世紀の嵐をくぐり抜ける中で、その転換を求めて、民族や宗教の違いを超えた友情の連帯を一歩ずつ広げる努力を重ねてきた。その友情と多様性における調和の連帯の松明を託す思いで、私たち二人は、21世紀に生きる青年たちに強く呼び掛けたい。青年たちが人々と共に団結し、生命の尊厳を守り、不正義と闘い、肉体と精神、そして自由のための糧を分かち合うこと――。私たち、アドルフォ・ペレス=エスキベルと池田大作は、現代および未来の社会のため、新しい希望の夜明けを開くため、それが不可欠だと考える。

青年たちがその行動を広げていくならば、揺るがぬ人類の普遍の精神的遺産と、「公正」や「連帯」に基づく新たな世界を構築できることを確信してやまない。」