昨日は市役所で各種作業、打ち合わせ。途中、県庁で収支報告書提出。夜は横浜市幼稚園協会の新春の会合へ。
各紙をにぎわしていましたが、松坂大輔投手の中日への入団が決まったようです。横浜が生んだ「平成の怪物」も37歳。彼に憧れて野球を始めた子ども達も少なくなかったと思います。しかし、最近はスピードを増して野球離れが進んでいます。
先日、東洋経済が「DeNA筒香 「球界の変わらない体質」にモノ申す 子供の「野球離れ」は大人が作り出した必然だ」と題した記事を掲載していました。楽しむスポーツ、一番を目指すスポーツ等々、スポーツにも様々あるかと思います。一流の選手の言葉は説得力があります。少し長いですがご紹介します。
<日本野球界の3つの問題点>
「今から僕が、お話させていただくことは、野球界、子供たちのために、僕が日ごろから疑問に思っていることです。野球人口が凄く減っていると言われます。原因はいろいろ挙げられています。少子化も原因だと言われていますが、それよりも速いスピードで野球人口が減っているのが現状です。
その対策として、各地で野球教室や体験会を開かれているのを見聞きしていますが、野球人口がなぜ減っているのかをもっと掘り下げて、野球関係者も考えないといけないと思います。世の中が凄いスピードで変化している中で、野球界は昔と変わっていません。かなり多くのものが昔のままです。
子供たちのためにと考えてみた時に最初に気がつくのが『勝利至上主義』です。
僕も小さいころに野球を始めましたが、野球を始めた瞬間から『勝たなあかん』と言われました。
そして、『こうやって投げるんや』『こうやって打つんや』『こうやって走るんや』『こうやってプレーするんや』と言われてきました。
皆さんの時代もそうだったと思いますが、『勝たなあかんよ』『勝たないと意味がない』と言われ続けてきたんです。
僕は堺ビッグボーイズで中学からお世話になり、ここまでやってきましたが、今の少年野球を見ると、『楽しいはずの野球なのに、子供たちは楽しそうに野球をやっていない』と思うことがすごく多いです。
2つ目は、今の子供たちは、大人、指導者の顔色を見てプレーをしている、怒られないようにプレーをしているということ。
本来なら、いいプレーをしよう、もっと遠くまでボールを飛ばそうと思って野球をしないといけないのに、ここで打たなかったら怒られる、エラーしたら怒られると思いながら野球をやっているように思います。
3つ目は答えを指導者や親が与えすぎるので、子供たちが指示待ちの行動しかできないということ。自分から動いて、何か行動を起こすということが凄く減ってきているのではないかと思います。
もちろん指導者が勝ちたくなる気持ち、いろいろ教えたくなる気持ちはわかりますが、それが将来の子供たちのためになっているかと言えば、なっていないと思います。指導者も、親も言いたいのはわかりますが、そこをじっくり我慢し、見守ることが大事ではないでしょうか。
あとは『勝ちたい』となれば、どうしても練習が長くなります。まだ子供なのに、朝早くから夕方過ぎまで練習をしている光景をよく見かけます。これも問題です。
そして、今、多いのが、高校野球やその上に行ったときに肘や肩を壊して手術をすること。僕も、未来のある子供たちが、潰れていくのをたくさん見てきました。そういう例が本当に多いです。
勝ちたいと思えば、指導者は『変化球を多く投げろ』とかいろいろ要求をします。それが子供の負担になりますし、スケールの大きい人材、育っていないのが現状だと思います」
「体ができているプロ野球選手たちでさえリーグ戦を行っているのに、骨格もしっかりしていない子供たちが、トーナメントで『この試合に負けたら終わり』という試合をしていることも問題です。
1つ負けたら終わりのトーナメントは、勝ちたいという気持ちが強くなります。そうなると変化球も多くなるし、ミスをできないという戦いがかなり続いていくことになります。
そして、試合に出ている子供たちは何試合も続くので、体の負担が多くなります。一方で、出ていない子供たちは面白くない。せっかく野球を始めたのに、いろんな経験を積むことができないという弊害があります。堺ビッグボーイズは4年前からリーグ戦を3カ月間実施しています。トーナメントの弊害がないのはいいと思います。
MLBでは『何歳までの子は何球投げたら中何日開けないといけません』とか、子供の体を考えたいろんな規制が何年も前から始まっています。しかし日本は未だにそういう規制がないので、子供たちが苦しんでいます。少年野球のときは良くても、子供たちの将来には良くないことが多いと思います」
「僕は、2015年オフにドミニカ共和国のウィンターリーグに参加しました。ドミニカ共和国は、日本の人口の12分の1ですが、メジャーリーガーは140人くらい出ている。日本は昨年10人にも満たなかった。これはどういうことなんでしょうか? どんな分野によらず世界で通用する人材が必要とされている世の中で、日本の野球界がこれだけ遅れているのは事実です。
ドミニカ共和国では指導者は何も言わずに子供たちを見守っています。そんな中で、小学生の子供たちがジャンピングスローやグラブトスを当たり前のようにやっています。指導者はそうしたプレーでミスをしても何も言いません。だから子供たちは失敗を恐れず、何回も失敗しながら新しいことにチャレンジしていきます。僕は、子供たちが何の躊躇もなくチャレンジしている姿を始めて見ました。
バッティングもとにかくフルスイングです。ドミニカには16歳から入ることができるMLBアカデミーを30球団が設置しています。これも見学しましたが、ここでも変化球を投げる子はいませんでした。ほとんどがストレートをど真ん中に投げ込む。バッターはそれをフルスイングする。というのが基本です。
こういうドミニカ共和国の小学生と、日本の小学生が今の時点で対戦すれば、日本のほうが大きく勝ち越すと思います。日本では小学生から変化球を投げますし、細かいプレーも身につけますから。でも、それが大人になったときには、すっかり逆転して、凄い差になっています。
もちろん日本がすべて悪いのではありません。日本にもいいところはたくさんあります。でも遅れている部分があるのも事実です。内向きになるのではなく、海外に目を向けてそこからいろいろ吸収するのも大事ではないでしょうか」
飛びすぎる金属バットの弊害
「それから、いま日本で使われている金属バットの弊害は大きいと思います。日本の金属バットは本当によく飛びます。年々、素材のいいバットが出てきて、飛距離は伸びています。
でも、ドミニカ共和国では16歳以前から木のバットを使っています。アメリカは大学まで金属バットを使っていますが、反発係数に制限があります。日本のバットに比べたら全然飛びません。僕も打たせてもらいましたが、木製バットに近いくらい飛ばなかった。しっかりボールを引き付けて強いスイングをしないと飛びません。
日本では昨年、夏の甲子園の1大会のホームラン記録が更新されました。もちろん優秀な打者が記録を破ったのでしょうが、圧倒的にバットのおかげで飛んでいる姿も目にします。
これは子供たちのためになっていないと思います。(プロへ進んで)木製バットで苦労するのは子供たちです。事実、苦労している選手を何人も見ていますし、僕も木製バットになれるまでに時間がかかりました」
「野球の競技人口の減少が今、問題になっていますが、単に競技人口を増やすだけでなく、本当に子供たちのことを考えることが大事ではないかと思っています。何かしら野球の縁があってメディアの皆さんも、ここに来ておられます。僕も勇気をもってトライしていくし、(メディアも)未来の野球界のこと、子供たちのためを思って情報発信してほしいと思います」
この後、メディアの質疑応答があったが、筒香は規制の存在についてふれ、「プロ野球界は、フランチャイズなどいろんな規制がありますが、本当に子供たちのためを考えれば必要でない規制もあるのではないか」と指摘。その上で「勇気をもってやってきたい」と語った。
危機感は広がっていない
さらに、「球団の垣根を越えて現役の野球選手にも、そうした認識が広がってほしい」と語った。現役選手には「現状、危機感はあまり広がっていない、『あ、減ってるなあ』という程度で広がっていない」とのことだった。
筒香は、「この取り組みは堺ビッグボーイズの部員数が増えることを目指してはいない」とはっきり語った。この点は、堺ビッグボーイズの瀬野竜之介代表も明言していたが、そうではなくて、野球を愛する子供たちのためにメッセージを発信したということだ。
記者から現役選手がモノを言うリスクについて質問があった。
筒香は、「人間は前例のないことを嫌います。(2015年オフに)ウィンターリーグに行くときも、いろんな人に反対されましたが、僕が翌年活躍したら、それからは、何も言われなくなくなりました。むしろウィンターリーグ行けと言う人が増えました。少しの周りの声におびえる音もなく、必要なことはどんどんやっていきたい」と語った。
前例がない、大胆なメッセージだ。日本を代表するスラッガーのこの言葉は、波紋を広げていくはずだ。」
Wikipediaによりますと、 「sports スポーツ」の語源はラテン語の「deportareデポルターレ」にさかのぼるとされ、「ある物を別の場所に運び去る」が転じて「憂いを持ち去る」という意味、あるいはportare「荷を担う」の否定形「荷を担わない、働かない」という語感の語である。これが古フランス語の「desporter」「(仕事や義務でない)気晴らしをする、楽しむ」となり、英語の「sport」になったと考えられている」とのことです。
スポーツの捉え方も色々あっていいだろうと思います。