昨日はご挨拶回りの後、市役所で団会議、ご挨拶まわり。 日々、色々な方とお会いしますが、人とのつながりが大事だなとつくづくと感じるこの頃です。
先日、週刊東洋経済が「人間関係が希薄な人が「長生きできない」ワケ」についてと題する記事を掲載していました。
「ジョン・ロビンズは健康と長寿をテーマにした名著『100歳まで元気に生きる!』(邦訳:アスペクト)で、カリフォルニア州で7000人の男女を対象に1965年から9年間にわたって行われた研究を紹介している。それによれば、他者とのつながりの薄い人が9年間に死亡した率は、社会との強い関係を維持している人に比べ約3倍も高かったという。
この大きな差は、年齢や性別、健康習慣や健康状態とは関係なく見られたという。それどころか、「社会とのつながりは緊密だが、(たばこを吸っていたり太っていたり、運動不足だったりと)健康的ではない生活を送っている人々のほうが、社会とのつながりは薄いが生活習慣は健康的という人々よりも長生きだった」とロビンズは書いている。ただし「最も長生きしたのは生活習慣が健康的で社会とのつながりの緊密な人たちだったのは言うまでもない」が。
1984年に学術誌『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン』に発表された医療保険会社による研究によれば、心臓発作の病歴のある男性2320人のうち、他者との強いつながりのある人が3年以内に死亡した率は、人間関係が希薄な人の4分の1にすぎなかったという。
デューク大学医療センターの研究チームは、重い病気を抱える人々の間でも社会との絆が死亡率を下げることを発見した。2001年の論文によれば、冠動脈疾患の成人患者のうち、社会的に孤立している人々の死亡率はそうでない人より2.4倍も高かったという。
私は2013年に書いたコラムで、1988年に発表されたあるレビュー論文を引用した。「社会的孤立は高血圧や肥満、運動不足、喫煙と並んで病気や早死にのリスク要因である」というものだ。
慢性的に社会との接触が不足している人々は、強いストレスや体の炎症を経験することが多い。これらは脳を含むほぼあらゆる身体組織の健康に悪影響を及ぼす可能性がある。
社会との交流がないと、重要な臓器への血流は減少する可能性があり、そうなれば免疫機能も低下するかもしれない。遺伝子の発現の仕方にもマイナスの影響が出て、炎症を鎮める体の能力が損なわれる可能性もある。慢性的な炎症と心疾患や関節炎、2型糖尿病や自殺未遂との関係も指摘されている。
2010年に『保健・社会行動ジャーナル』に発表されたテキサス大学オースティン校の研究によれば、「社会とのつながりの質が低いまたは量的に少ないことと、さまざまな疾患との関連を示す、矛盾のない説得力のある証拠」があるという。ここで言う「さまざまな疾患」には、冠動脈疾患の発病や悪化、心臓発作の再発、自己免疫異常や高血圧、がん、外傷の治りが遅いことなどが含まれる。
社会との交流の欠如は精神衛生上もよくない。前出のテキサス大の論文によれば、社会とのつながりによって感情的なサポートが得られれば、ストレスによる悪影響が緩和されるほか、「生きている意味や目的」をより感じられるようになる可能性があるという。
スタンフォード大学の同情・利他主義研究教育センターの科学ディレクターで、『自分を大事にする人がうまくいく~スタンフォードの最新「成功学」講義』(邦訳:大和書房)の著者でもあるエマ・セッパラ はこう書いている。「他の人々とつながっているという気持ちが強い人は、不安やうつをあまり強く感じずにすむ。さらに言えば、こうした人々は自尊感情がしっかりしていて、他者におおいに共感できる。相手を信頼し協力する気持ちも強いから、その結果として他の人々からの信頼や協力も得やすい」。
セッパラはこう続ける。「言い換えれば、社会とのつながりは、社会的・感情的・肉体的な幸せのプラスの連鎖を生み出すのだ」。
またセッパラは、つながりの実感という面で社会が十分な役割を果たせていないことが、人々の孤独や孤立、人間関係の希薄化を指摘する研究が増えていることや、孤独を理由に心理カウンセリングを希望する人が多いことの背景にあるのかもしれないと言う。
セッパラによれば、2004年には社会学的調査により、信頼できる相手がいない人が米国人の25%を上回ることが明らかになっているという。個人的な問題を気兼ねなく話せるような親しい友人がいないということだ。
健康志向の生活を送りたいなら、野菜をせっせと食べて毎日運動するだけでは不十分だ。セッパラはこうアドバイスする。「人とつながるのを忘れないこと」」
大事な指摘だなと感じました。