昨日、林文子横浜市長の3選出馬への決起大会が中区のホテルで行われました。7月30日投開票。我が党から県本部代表の上田勇衆議院議員も応援に駆けつけエールを送りました。いよいよスタートです。
ところで、先日、社会制度の最終形態としての自由民主主義が共産主義に勝利したことを宣言した「歴史の終わり」の著者で、現代を代表する知性の一人とされる、スタンフォード大学上級研究員フランシス・フクヤマ博士のインタビューを目にしました。聞き手は大学の後輩で聖教新聞記者の光澤昭義氏でした。
「――第2次世界大戦後、国際秩序の中心的役割を担ってきた米国の影響力が低下する中、「トランプ時代」が始まりました。
フランシス・フクヤマ博士 私たちは第2次大戦後から2008年頃までの長い期間、自由な世界秩序を経験してきました。WTO(世界貿易機関)などグローバルな経済システムが次々と導入され、世界経済は大きく拡大。(途上国の人々はじめ)多くが裕福になりましたが、近年、強い反動が先進国で生じています。
例えば、製造業の衰退に伴い、中間階層の多くの人々が失業。移民人口の多い米国や欧州各国では、さまざまな文化的変容も起きました。米国では特に白人中間層の没落が深刻となり、反グローバリズムの風潮が広がっています。
1930年代のように、激しい対立を生むナショナリズム(国家主義)へ逆戻りするのか。あるいは、国際的な相互依存体制を維持していくのか、注意深く見守る必要があります。
――米社会の分断には、グローバリゼーション(経済の国際化)の影響が大きな要因の一つと博士は論じられています。
フクヤマ 現代は、人、モノ、情報、貿易や投資が自由に行き来する時代です。その発展があまりに速く、多くの人々が対応できていないのが実情です。この流れに歯止めをかけようとする動きが世界各地で広がり、貧富の格差がその動きを加速させました。これは欧米先進国共通の課題です。
日和見主義な政治家が多い中、急速な格差拡大と文化の変容が人々に恐怖を抱かせた。その結果、移民やエリートに(社会問題の)責任を押しつけ、変化を恐れる人々の弱みにつけ込もうとするリーダーが誕生しているのです。これは人間の本質とも関わる問題です。
(中略)
――博士の著書『政治の起源』では、民主制度を機能させる上で「国家」「法の支配」「説明責任をもつ統治機構」の均衡が重要だと指摘されています。
フクヤマ 米国の政治制度は、英国や日本、ドイツ、フランスなど他の先進各国に比べると、「国家のもつ権限」は歴史的に見ても弱かったのです。つまり、官僚制度や行政機関はそれほど強くない。
一方で、国家を制約する役割、つまり法の支配や民主主義は、非常に強い。米国には、制約の強い国家権力と、そうでないものが共存しているのです。
(中略)
――博士から見て、米国の現状はどう映りますか。
フクヤマ まさに「政治の衰退」の表れだと思います。それには、二つの要因があります。一つは、米国の政治システムが硬直してしまっていること。もう一つは利益団体の肥大化です。利益団体は国家を利用し、公益の犠牲の上に既得権益を守ろうとします。
例えば、米連邦議会はこの20年間、しばしば予算案を会期中に通過させられませんでした。ワシントン政治(政府と議会)がうまく機能せず、政府機関の閉鎖に絶えず直面しているのです。
――ウォール街(金融各社)や全米ライフル協会などの利益団体、連邦議会の野党による「ベト(拒否)」が政治の機能を低下させていると博士は指摘し、「ベトクラシー(ベト+デモクラシーの造語)」という新たな概念も提唱しています。
フクヤマ 「ベトクラシー」とは、政府のなすべきことが阻害されている状態を指します。
社会基盤の整備は端的な例です。米国では現在、効率的な社会基盤の整備ができません。利益団体の権限が強く、大規模な社会基盤の計画を中止に追いやるからです。過剰な拒否が、米政権の運営を難しくし、米政治への国民の信頼を失わせました。」
読んでいますと「先進各国」ととひとくくりにすることの難しさを感じます。官僚制度や行政機関、業界団体などには、国民のために、存在すべき役割があるわけですが、「政治の衰退」によりバランスを失うとマイナスに働くことになる。うまくいっているように見えるシステムも、常に環境の変化に合わせて調整を続けないと硬直し、機能しなくなり、本来の目的達成に向けた動きができなくなるということかと思います。
政治の姿は国民の姿とされ、それがあきらめのような指摘である場合があります。政治の発展=政治家の継続的な成長。これなしには衰退と硬直の時代となります。弱肉強食の美化を超えて、人の生存権をも脅かす、無責任なアナーキー(無政府状態)を煽る著名人もいますが、そうであってはならないと思います。