昨日は早朝奈良山公園で行われたラジオ体操に参加した後、各種会合、ご挨拶回り。さわやかな秋晴れの一日でした。
今日は特に思うままに打ちますので、また長くなります。ご容赦ください。
先日、新聞各紙が、内閣府が18日付で発表した世論調査について掲載していました。毎日新聞から引用しますと「人口の東京一極集中に関し「望ましくない」とした回答が48・3%に上った。居住地の将来が不安かどうか尋ねた質問では「不安」と「どちらかといえば不安」が計46・8%に達し、大都市より町村で悲観的な考えの割合が高かったとのこと。人口減少問題を踏まえて地方で将来不安が膨らんでいる実態が浮かんだ」としています。調査は8月下旬、成人の男女3000人を対象に個別面接方式で実施。有効回収率は60.9%。
東京への人口や産業・行政機能の集中が「望ましくない」と答えた人を居住地別に見ると、東京23区と政令市の「大都市」では46.6%で、町村部では49.5%。「現状程度が望ましい」との回答は全体で15.7%。
都市在住者に地方移住への意向を聞いたところ、「移住してもよい」と答えた人は、20代が52.3%、30代が57.6%、40代が51.2%といずれも半数を超えた。50代以上を含めた全体では39.7%だったそうです。皆さんはどのようにお考えでしょうか。
同時期に、公明新聞のコラム「座標軸」がこの調査結果とは別に、地方創生について客観的に指摘していました。
「「限界集落」は、過疎・高齢化のため社会的な共同生活の維持が困難な集落と定義される。日本の切実な社会問題だが、そこで暮らす人びとにとって「限界」とは何だろうか。
黒野伸一氏の小説「限界集落株式会社」(小学館文庫)は、中山間地域の農業や集落が抱える様々な課題と格闘し、限界集落の再生に立ち上がる人々を描いている。「限界」は当事者が判断するもので、他者の価値基準で決めつけるべきではない。そんな感想をもった。
その裏返しが東京一極集中だが、「東京の発展の基盤は、全国の人々の知恵と資金と労力によって造られた。東京の活性化は地方の人々によって支えられている」と唱えるのは竹村公太郎氏(日本史の謎は「地形」で解ける 文明・文化編〈PHP文庫〉
氏は、この東京と地方の関係は江戸時代に徳川幕府が他藩に命じた「お手伝普請」や」参勤交代によって形作られ、400年間続いていると分析。その上で「地方の衰退は東京の衰退につながる」と警鐘を鳴らし、東京には地方の自立・活性化を支援する責任があると説く。
今国会の焦点である地方創生関連法案の本格審議が始まった。地方創生は地方だけの問題ではない。オールジャパンの知恵が求められる」。
では具体的にどうするか。様々な指摘があるなかでのひとつの考え方に過ぎませんが、権限・財源の移譲を求める長年の地方分権論議の中で、国の事務事業の地方移譲は前に進んでいます。今回も国が示す様々なメニューが出てくると思います。しかし、これまで税源や税制など税のあり様についてはほとんど変わっていません。法律上は「国と地方は対等」となっていますが、現実は異なります。やはり、税について「国が集めて地方に配る」とのやり方、考え方を改めないと、地方の自主性、再生はないのではないかと思います。
また、これまでも仕組みの上で地方に力なく、国に任せてきた結果、気がついたら山のような借金が積み上がっているという現状も直視する必要があります。
個人的な意見として、県議時代から何度も主張してきましたが、冷静に数字を見ますと、厳しいとは言いましても東京の財政は、他都市と比して潤沢であるというが現実だと思います。もちろん、東京が悪いわけではありません。首都としての必要なものは理解できます。只、今の仕組みの中では、人口ひとり当たりの予算は別格であり、住民サービスなどは大きな差がついています。東京から神奈川、横浜に引っ越してこられると、未就学児童への補助や小児医療費助成等々その差に驚かれ、ご意見をいただくことがこれまで何度もあります。先のコラムの指摘の通り、東京は地方の力で発展してきたわけですが、法人税の考え方など今の税の考え方では東京に富が一極集中するのは当然かと思います。日本人としての公平性や機会の平等などを考えるとき、これは改める必要があると思います。
他方、こうした見過ごせない不公平感のある話は東京と近県の関係だけではありません。人口当たりの行政サービスを見れば、地方交付税交付金などで守られた、都市部から遠く離れたいわゆる地方自治体の人口当たりの税投入額は非常に高く、千葉、埼玉、神奈川といった東京周辺の地方自治体へのそれは低く抑えられ、行政サービスは大変乏しいものがあります。
例えば、学校のトイレ。老朽化やニオイ対策、和式から様式への変更などが求められている横浜市の小学校におけるトイレは、財政的理由から遅い歩みを進めています。しかし、地方都市へ視察に行くと、その多くが洋式化されていることはもとより、中には洗浄機付きトイレが小学校に設置されていることに驚かせることがあります。もちろんすべてを調べたわけではありませんので、一概に言えないこともあることは加えておきますが、こうした差の原因をみると、予算配分、お金の使い方といったことだけでは説明のつかない、経済対策などとして国から投入された予算が洗浄機付きトイレに変わっていることがわかります。
これらは、国からの地方交付税交付金などの算定が大変わかりにくく、偏重した配分になっていることが原因。「東京以外の都市部も税収が十分あるから大丈夫」といった類の考え方があるようですが、それは現実とは異なりますし、人口比で見た場合の予算額を見ると不公平感が強いです。一部において地方独自の課税自主権を利用した課税(神奈川県の水源環境税や横浜市のみどり税など)はあるものの、納税者が払っている税の基本算定は同じ。そうした中で、サービスの内容がここまで違うと仕組みに問題があると言わざるを得ません。少なくとも教育や福祉に関しては平等に向かうための対策が必要ではないかと思います。
東京と近県の話に戻りますと、東京都の人口約1300万人に対し、一般会計予算は6兆7千億円。神奈川県の人口約900万人に対し、一般会計予算は1兆9千億円。東京の人口は神奈川県のそれに対して1.5倍ですが、予算規模は3.5倍。もちろん、東京が23区を擁し、神奈川県に3つの政令指定都市があることによる違いはあります。よって、これはひとつの見方ではありますが、首都であることを考慮しても、地方創生を前提として見ると、ここまでの差があることを問題視しないのはどうかと思います。こうした結果は、住民サービスに影響を及ぼすだけでなく、人口比で見た場合の議員数や職員数にも大きく影響しています。
議員の数は適正数を考えながら議論しなければならないと思いますが、例えば、基礎自治体である横浜市会議員は人口約42,000人に一人が選出されていることに対し、多くの地方自治体では約10,000人に一人という現状にあります。議会改革が進められてきた結果でもあり、職員数も同様に人口比最小レベルであるわけですが、こうせざるを得ない状況であるとも言えます。少ないのに越したことはないとの考え方もありますが、同時に失われる住民サービスもあります。ここは検討が必要です。いずれにしましても、これほどまでに開きがあることの原因やあるべき姿などについて、しっかりと議論すべきではないかと思います。
地方創生を実現するためには、各地方が立ち上がることのできる仕組みにしなければ前には進みませんし、政府もそれを目指して検討されています。与えるのではなく、自らが責任を持って行動できるようにするということで政府も考えられているようです。そうでなければ都市部の自治体は出せるはずの力も出ませんし、国が求める自治体間で助け合うこともできません。具体的にどのように行動するか。国の経済を社会を立て直すために地方創生を目指しているわけですが、いつまでも国のコントロールのもとにいて、さらに沈んでいくことになるのではないかと危惧します。
これまでも議論されてきた話ではありますが、税を一旦国に吸収して、国のさじ加減で配分するという方法が変わらないのであれば、まずは「人口比」で配分すべき額を明確にした後、配分理由を明らかにしながら多少のさじ加減を加えて、公平性が感じられる努力するようなことが求められます。
与野党問わず、この国のカタチを変える、との言葉をよく耳にします。思うところは様々ですが、国の都合によって、生活する場所によって、一人の受けるべき権利が失われるかのような現状は良くないのではないか。地方の自主性を発展させるための土俵の整備をしなければ、失敗を繰り返すことになるのではないか。地域ごとの特性が考慮された税配分とは言え、目に見える形で機会の平等はできる限り目指す必要があるのではないか。本気で地方創生を考えるにあたり、一番にやるべきことは、地方の自立のために、税制などの見直しを行い、分権改革をスピードアップすることではないか。
今日は東京一極集中と限界集落とのテーマでつらつらと打ちましたが、今回、国でこうした話がされているのかはわかりません。そもそも、国から見れば、こうした必要などないのかも知れませんが、現場にいる者らしますと、やはり少しづつでも改善していくべきではないかと思います。
地方の現場はある程度知っていても、国の現実を知らない地方議会の一人ですが、個人的にそんなことを感じています。