安全・安心の横浜へ 「何を言ったかでなく、何をやったか!」

公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

アイム・ソーリー・ルールについて 2489

未分類 / 2013年9月28日

昨日は決算特別委員会に向けた質問調整。これから質問当日まで連日続きます。

一昨日、日テレのニュースZEROを見ていますと、新作映画「謝罪の大様」が米国でも受けている様子を紹介しながら、文化の違いを表現していました。

「アイム・ソーリー・ルール」。全米50州中36州で制定されており、ニューヨーク州では来春制定予定とのこと。米国では謝罪した方が悪いとされる文化の中で、謝らないのが通常ですが、このルール、例えば、交通事故でぶつけた方が謝罪しても、裁判の時の参考にはならない。相手のことを想って心を使うためのルール。同番組の街中アンケートでは、日本人は40人中35人が日本人は謝りすぎと感じているそうです。

確かにそのように感じますし、映画も見てみてたい気がしてきました。

この米国の法についてに岡山県の作花知志(さっかともし)弁護士が約2年前のご自身のブログで説明されていました。わかりやすいのでご紹介します。

「アメリカは訴訟社会だ,と言われています。実際に,弁護士の数だけを比較しても,約2万人の日本に対してアメリカでは100万人以上の弁護士がいる,と言われています。訴訟の数が多いこと自体は否定的なことではないと思うのですが,訴訟プロセスを経る必要のない紛争までが訴訟となっていたり,将来訴訟となることの恐れから,逆に早期の紛争解決が阻まれているとしたら,やはりそれは社会として考えなければならないことではないでしょうか。

実際,私が以前読んだ本では,アメリカ人の男性と結婚した日本人の女性が,結婚後アメリカに住むようになり,最初に夫から言われたことが「例え君が交通事故を起こしたとしても,絶対に謝ってはいけない。”I am sorry” と言ってはいけない。」ということだった,と書かれていました。

日本は古来から農耕社会であり,集落で水を共同使用しなければその集落自体が滅んでしまうことから,個よりも和を大切にする社会となった,と言われています。

それに対して,日本が明治維新以来導入してきた欧米の法律制度は,狩猟社会におけるそれであり,権利を主張しなければ生き延びることができない社会でのそれである,と言われています。日本人が欧米から輸入した「権利」「義務」という言葉に対して,感覚的に違和感を感じる人が多いと言われるのは,そのような理由ではないかと思います。

さて,「権利」を主張する訴訟社会のアメリカでは,上でご紹介したように,何があっても謝ってはならない,謝ったら最後,責任があることを認めたという訴訟上の証拠となってしまう,と言われている,ということですが,そのような風潮に対して,アメリカの社会そのものから反省の動きが出されています。

それは,米国の各州で「アイムソーリー法」という新法が施行されるようになっているのです。「アイムソーリー法」とは,事故が起きた場合,「ごめんなさい(アイムソーリー)」と謝っても,それが訴訟における証拠とはならない,後で訴訟となっても,謝ったことから不利にはならない,という法律です。

アイムソーリー法制定のきっかけではないかと言われている事故があります。それは,少女が自転車に乗っていた際に自動車にはねられて死亡するという事故で,その亡くなられた少女の父親が,加害者の運転手に対して何度謝罪を求めても,訴訟で不利になることを恐れた運転手は,それを拒んだ,というものです。

実はその亡くなられた少女の父親は,州上院議員だったそうなのですが,自らの辛い経験を通して,「アイムソーリー」の一言も言えない社会は社会の理想とは懸け離れていると考え,立法化の働きかけを行い,実現されたのだそうです。その後各州で立法が行われ,2001年の1月にはカリフォルニア州での立法が実現されています。

愛する娘を亡くした父親の心の痛みが,社会本来の姿を実現した,と言えるのかもしれませんね。

プラトンは,「人は,飛ぶことを覚える前に歩き方を学ばなければならない」と言われたそうです。

法律は社会が幸せになるために存在するのですが,本当に社会を変える法制度とは,難しい法律用語が羅列されたものではなく,誰もが感じる目には見えない大切なものを実現するようなものなのだと思います。

アメリカの「アイムソーリー法」の試みは,私達にそのことを教えてくれているように思うのです。」

農耕民族の日本人が狩猟民族化している話もなるほどです。勉強になりました。