安全・安心の横浜へ 「何を言ったかでなく、何をやったか!」

公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

教育の出発点について 2241

未分類 / 2013年1月22日

昨日、ある横浜市立の小学校に通う小学生の保護者の方々と懇談。楽しい日々の話もあれば、子どもたちの学校生活への不安の声も。いじめや成績、先生方との関係など、子どもの成長や希望よりも不安の多いケースもあります。

学校の先生も色々。尊敬し信頼できる先生がすべてであればいいのですが、そうでない場合も。

種々やり取りした後、環境の不遇を嘆いたり、誰かに頼るだけでなく、自分自身が変わることで環境を変えることも大事であるとの話となりました。私自身、成長途上の一人の親ですから偉そうなことは言えませんが、子どもを自分の鏡だと思えば、良くも悪くも自分が変わることで子どもも変わる。

先日、ある新聞のコラムが心を打ちました。

教員と保護者が口論になった。「うちの子の成績の伸び悩みは、教え方に原因がある」と責める親に教員が反論する。「どうか、勉強をやる気になるしつけを、、、、」

子供の成長を願わない親も、教員もいない。だが、先の議論に不毛感が漂うのは、何か大事な視点が欠けているからだろう。

その”何か”が見えてくる話を、ある婦人が語っていた。小学生の娘の参観日。体育の授業は、20数人ごとにチーム分けし、時間内に何人が跳べるかを競う「大なわとび」だった。娘のチームには運動の苦手な児童がいて、何度も引っかかる。婦人も気をもんだ。

だが子どもたちは、なわのまわし方を工夫したり、その子が飛び込むタイミングに合わせて声をかけたり、軽く背中をたたく合図を送ったりして何度も挑戦した。ついにその児童が跳んだ。記録は優勝チームに遠く及ばないものの、皆ではしゃぎ、全身で喜びを表現する姿に、婦人は涙したという。

「教育の目的は子どもの幸福にある」

むろん成績などの目標を決め、努力することは尊い。だが、数値だけでは幸せは測れない。自分の頑張りを、心の底から喜んでくれる人が多いほど、子どもは幸福。教育の出発点は、ここにある。

大阪の桜宮高校で体育系2科の募集を中止するとか名称を変えるとか。問題の原因究明も今後の対策も”何のため””誰のため”なのか。教育現場に大人たちの勝手な都合を持ち込むのはどうかと思います。日本の教育の現状を象徴するかのような話のような気もします。