人とのお付き合いが多いこともあり、葬儀に参列することが少なくありません。予想された死。突然の死。夫々異なりますが、夫々新たな道への旅立ち。私は10歳の時に突然の交通事故で父を失いましたが、祖父はがんでなくなりました。前者は突然の出来事でしたが、後者は来るべき時が来たという感じでした。
明日を希望に満ちた一日にしていきたい。一方で明日はどうなるかわからないということも事実。そうであるからこそ、今日一日を全力で生きていきたいと願っています。
朝日新聞ががんの緩和医療医の大津秀一さんへのインタビューを掲載していました。死を想えば、今どう生きるべきかが分かる。一生懸命に生きることを教えてくれています。
「『余命3ヵ月』。もし、こう宣告されたら、あなたはどうしますか?日本人のうち、2人に1人はがんにかかり、3人に1人はがんで亡くなる時代、決して突飛な仮定ではありません。ベストセラー『死ぬときに後悔すること25』の著者で、1000人以上の死を看取ってきた緩和医療医の大津秀一さんは、死にゆく方々に教えられた「3つのメッセージ」を、若いあなたたちに贈ってくれます。
――緩和医療とはどういう医療ですか。また緩和医療医になったきっかけは?
緩和医療とは、例えば肺がんの患者さんの、がんそのものを治すのではなく、肺がんに伴う痛みや呼吸困難、不安などを緩和し、生活の質(QOL)を上げ、いい時間を過ごしてもらうための医療です。日本では昔から我慢が美徳という風潮があり、緩和医療は軽視されがちでした。僕が緩和医療に出合ったのは内科医のとき。末期がんの患者さんの激しい痛みに何もできない現場。さらに1分1秒でも命を長くするためにと、点滴や輸血などを大量におこない、患者さんの体にさらなる負担をかけ、苦痛を増幅させる。そして、いよいよ最期というとき、家族を病室の外に出し、30分心臓マッサージをして心拍が戻らないのを確認、家族を入室させ、心臓マッサージの手を止める。モニターの心電図がスーッと平坦になり「ご臨終です」。当時はそれが普通の流れでしたが、僕は「これは本当にご本人が望んでいた最期なのだろうか」と悩みました。そんなとき緩和医療について書いた専門書を見つけ、「これだ!」と思いました。
――患者の痛みや不安に心を寄せてくれる医師は多くないようですが…
僕は生まれたときから体が弱くて、しょっちゅう熱を出して寝込んでいたんです。ある本に、人間は体温が42度を超えると死ぬとあったので、体温を計っては、もう死ぬんじゃないかと。そんな調子ですから、人は何で苦しむのか、何で死ぬのか、いつも考えていました。熱が出ると近所の病院の女医さんに診察してもらうんですが、「もう大丈夫」と言われると安心し、熱も下がった。すごいなと驚きました。僕は根っからの文系で、血がものすごく苦手でした(笑)。だけど山ほど病気をしてきたからこそ、患者さんの気持ちや痛みの分かる医師にならなくてはと、できるだけ患者さんのそばに座り、話を聴くようにしました。患者さんの思いに耳を傾け、よりよい時間が送れるように、ともに考え支えてゆく医療の大切さを痛感し、僕がまず説得力のある専門家にならなくてはと、緩和医療の専門的な研修を受け、緩和医療医になったのです。
――そして35歳の若さで、すでに1000人以上の患者さんを看取られた
終末期の患者さんは、スピリチュアルペインといって、自分は何のために生まれてきたのか、何のために死ななきゃいけないのか、死んだらどこへ行くのかというような「生の意味」などへの問いと無縁ではいられません。ある30代のがん患者さんはトップセールスマンで、妻子を顧みず、仕事に全力を傾注していた。それなのに、がんで死ぬ。「自分の人生は何だったのか」と彼は苦しみました。でも結局「自分は売ったものを通して、誰かの幸せに役立てたのだろう」と、最後は人生に肯定的な意味を与え、亡くなりました。終末期の患者さんのそばにいると、こちらの尺度も変わります。人生が終わることを意識している人は、人の役に立ちたいと願っており、世間一般の成功とかお金では救われないことを知っています。死という視点を導入することで、限られた生の中で自分はどうやったら心が充足されるのかという、新しい軸が生まれてくるのです。
――死を意識することで、どう生きるべきか知ることができると?
そうです。そこで僕の「師匠」である終末期の患者さんから学んだことを、3つのメッセージとして、皆さんにお伝えします。「その1」は、死を意識せよ。その力を最大限に利用したのが、アップル社創業者のスティーブ・ジョブズでしょう。彼はスタンフォード大学での有名なスピーチで、17歳のときから毎朝鏡を見て「今日が人生最後の日だとしたら、これが一番やりたいことだろうか」と33年間問い続けたと話しています。若い皆さんも、明日死ぬかも知れない。だから、機会を見つけて、例えば年に1度くらいは、同じように考えてほしいのです。みんなが大学へ行くから、自分も何となく行った。親が大企業がいいというから、大企業に入った。こっちがラクそうだから、選んだ…そうして、もし、いま、死の床に就いたら、あなたは後悔しないと言えますか?
――毎日をもっと大切に、自ら考え一生懸命生きなければ
そう、「その2」は一生懸命に生きる中で道は見えてくる。ジョブズも言っていますが、バラバラに見えた点と点がつながり、一本の道になる。人生は山登りに似ています。上っているときには森に隠れたりして歩いてきた道は見えない。だから迷ったりもします。でも、やるべきことは何かという問いを見つけたら、一生懸命にやりぬくこと。そうすれば自ずと答えは出てくる。その時、一本の道がつながり、振り返った眼下に美しく見渡せるのです。「その3」は「なぜ」を大事にせよ。僕の場合は最初にお話した「これは本当にご本人が望んでいることなのだろうか」の「疑問」。僕のいまの活動の原点です。実は、現場の「なぜ」を多くの人に知ってもらおうと書いた本の原稿を20社以上の出版社に持ち込みましたが、門前払いの連続。何度も電話をかけ、やっと1社が拾い上げてくれ、最初の本『死学』が出ました。一生懸命やれば道は開けるもの。どうか皆さんも、時折、いつか来るであろう自らの死を想い、わが道を見つけてほしいと願います。」
おおつ・しゅういち 1976年茨城県生まれ。岐阜大学医学部卒業。緩和医療医。日本消化器病学会専門医、日本内科学会認定内科医、日本尊厳死協会リビングウィル (LW)受容協力医師、2006年度笹川医学医療研究財団ホスピス緩和ケアドクター養成コース修了。日本バプテスト病院ホスピス勤務などを経て、10年6月から東邦大学医療センター大森病院緩和ケアセンター に所属、緩和ケアチームを運営。著書に『終末期患者からの3つのメッセージ』『死ぬときに後悔すること25』『死と不安を乗り越える』など。講演も多い