世界平和「製造」が急務について 1706
防災訓練の週末が増えてきました。昨日は午後から雨でしたが、訓練は大体午前中。昨日は1件お邪魔しましたが皆さん雨に降られなくてよかったです。青葉区ではこれから2月まで各地で防災訓練が行われます。
今月の日経新聞「私の履歴書」は東レ名誉会長の前田勝之助氏の執筆。今日の朝刊で最終稿になるわけですが、昨日10月30日の「あしたへ 世界平和「製造」が急務 理数と人文、均衡ある教育を」には強く共感するものがありました。
「もう一度、7カ月前に起きた東日本大震災の直後に私の脳裏に浮かんだ疑念を振り返ってみる。
日本人は「自助」と「共助」はできる。事実、混乱の中でも秩序を乱さず行動した被災者を世界が称賛し、多くの国から支援も寄せられた。日本人の清廉さや地域社会の温かさ、高い道徳観が示されたといっていい。
しかし「公助」はどうか。猫の目のように政権交代を繰り返し、組織とリーダーシップが曖昧になってしまった日本は、これから本格的な復興を成し遂げ、隆々とした国家として立ち直ることができるだろうか。
世界はいつもどこかが揺れ動いている。中東の政治的混乱があり、地域紛争と宗教紛争の火種も絶えない。複雑で不安定な国際情勢の中で、日本はその進路を定め直さなければならない。
国家統治の基本は外交と軍事、産業技術、そして税と言われてきた。しかしいまや情報や資本にとって国境はないに等しい。市場の実需を大きく上回るマネーが国境を越えてなだれ込み、金融危機の災厄を瞬く間に世界にばらまいている。
経済学は、拝金主義とカジノ経済を前に自信を失っているように見える。どうやれば目先の利益を求めて動き回るマネーを制御できるのか。無秩序に歩み続ける人類のゆがみを正す人文社会科学の叡智(えいち)が、いまこそ求められている。
私は20年以上前から「世界平和製造論」を提唱してきた。これまで戦争と戦争の間が平和な時代と呼ばれてきた。しかし平和は「待つ」ものではなく、意志をもって「製造」しなければならない。政治家であれ宗教者であれ経済人であれ、手をこまぬいていてはいけない。それが技術者としての私の主張だ。
すべての基本は教育だろう。学校で「宗教とは何か」「民族とは何か」など、国民が自分で判断できるための素養を身につける機会が必要だし、高等教育では偏りのない基礎学力の修養が重要だ。
若者の理科離れが指摘されて久しい。理数と人文は教育の両輪だ。一方が取り残されてはバランスを欠く。理数の知識に乏しい「サイエンス・ディバイド(科学格差)」世代を作ってはならない。
一方で自然科学の進歩のスピードに人文社会科学は追いつく必要がある。科学技術の暴走しがちな面をコントロールするためには、歴史学や倫理学も含めて均衡のとれた教育が望まれる。
いずれにしても次代は子どもたちに託されている。子どものころにどんな本を読み、どんな体験をするかで将来の一部は決まる。私が母校の飯塚市立菰田小学校に「前田文庫」を寄贈したのはそんな思いからだった。
(中略)
日本の将来を担う子どもたちには、豊かな情緒を持ち、たくましく「姿なき鎧(よろい)」を身にまとって世界に貢献してほしいと願っている。」
「偏りのない基礎学力の修養」 こうした想いを持つ方は少なくないと思います。それを実行し実現できるのは教育を行う当事者、学校の先生や保護者。私も保護者の一人ですが、当事者である大人が他人任せにしないということも大事な基本ではないかと思います。