特殊な日本の農業政策について 1380 11/23
昨朝はたまプラーザ駅前でのご挨拶からスタート。今にも泣き出しそうな天気でしたが、雨に降られることもなく終了しました。有難いと感じたわけですが、人間の都合など自然の力には及ばないもの。そう思いますと、農作物の出来、不出来についても人間が力を合わせて工夫しながら自然のお世話になることの大切さを感じます。
先日、横浜で開催されたAPEC首脳会議。その成果は昨日午前に開催された県議会の議会運営委員会でも話題になりました。首脳会議で議論になった環太平洋経済連携協定(TPP)への参加をめぐっては、明確な何かが決まったわけでもなく、何も解決していません。APECが終わったからといって放置しておくことは出来ない問題です。
国が現在約40%とされる食料自給率を50%まで伸ばすとしている中、大都市圏でもある神奈川県の食料自給率は3%。横浜市に限るとたったの1%という状況。全国でやり繰りしながら解決していく問題ではありますし、県も市も何もしていないわけではありませんが、全国レベルで何が出来るか、地方自治体が連携しどうするべきか、真剣に考えていかねばなりません。
先日、日経コラム「大機小機」が特殊な日本の農政について指摘していました。
「環太平洋経済連携協定(TPP)への参加をめぐって、農業関係者から製造業のために農業を犠牲にするのかという声が上がっている。しかしTPPがなくても、今のままでは日本の農業を待ち受けているのは衰退の道である。
農業はこれまで消費者や国民の負担の下に手厚い保護を受けてきた。1993年のウルグアイ・ラウンド合意では6兆円を上回る対策費が農業につぎ込まれた。にもかかわらず農業はいまだにひ弱であり市場を開放できないという。産業は保護すればするほどダメになるといわれる。農業関係者は農業を犠牲にするのかと問う前に、どうしたら日本農業を強くできるのか自問すべきであろう。
また日本の農業は特殊なので保護が必要だともいわれる。はたして本当に農業は他産業に比べて特殊なのだろうか、他国に比べて日本の農業を取り巻く環境はそれほど特殊なのだろうか。実は特殊なのは日本の農業ではなくて、農業政策ではないだろうか。
例えば日本の農業政策はカロリーベースの自給率を引き上げるという基本方針の上に組み立てられているが、他の先進国で自給率の引き上げを政策の基本に据えている国はない。自給率という概念さえ持たない国もある。
日本の農業の特殊性の例として、農業人口の減少や農家経営の零細性が挙げられる。しかしどの先進国でも、産業に占める農業のシェアは低下し、農業人口も農地も減ってきた。零細農家も多く存在する。それでも生産性の上昇により農業生産は増えている。
さらにどの先進国でも主食に対する需要は国内生産ほどには伸びていない。だからといって超高関税で主食作物を保護しながら、減産させてまで国内需給をバランスさせようとしてきたのは日本だけである。他の先進国は輸出の増強を図ることでこうした問題を乗り切ってきた。
日本は強い生産力を封殺してまで価格を維持する政策をとってきたため、輸出しようにも価格競争力がない。しかし減反政策は立ち行かなくなっている。今後も高齢化や人口減少でコメの需要は減少するため、減反してもコメは余り、輸出というはけ口もないため、価格は下落し、農家の手取りは減り続ける。
TPPで開国を迫られるからではなく、農業みずからの再生のために農業政策の転換が必要である。」
政治に出来ることと出来ないことがあります。この問題はまさに政治のリーダーシップが求められていると思います。