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公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

日本の政治を駄目にしたのは誰かについて 1273

未分類 / 2010年7月30日

ニューズウイーク7月21日号の巻末「編集部より」に「日本の政治を駄目にしたのは誰か」とのテーマで読者より投書が寄せられていました。その中に東京都に住む中国人の方からの投稿が、外から見た日本を客観性をもって指摘しているように感じました。
「日本国民は小さなことには真剣さをのぞかせる一方、より重大で本質的な問題にはときおり不真面目な態度をみせるということだろう。
私は10年 以上、日本の大学で非常勤講師を務めているが、残念ながら日本人学生の半数近くは学習態度がまじめとは言い難い。授業に遅れた学生が電車遅延証明書を出し てくるときは、真剣な顔で「遅刻ではない」という意思表示をする。しかし席に着くと、授業中にもかかわらずおしゃべりをしたり、携帯電話をいじったり居眠 りしたりする。
中国にいた頃は、日本人が中国人と最も異なる点はまじめさだと思っていたが、らいにちしてみて思っていたほどまじめではないと感じた。こうした国民性のせいで、日本の民主主義政治が十分に機能していない現状を残念に思う。」
日本の構造改革はあらゆるところで語られますが、それが遅々として進まない大きな原因のひとつが「手段の目的化」。手段をこなすことで、目的が達成されたと思い込む。
こ れは手段をこなすことで目的が達成されることが前提なわけですが、右肩上がりの成長期には通用することはあっても、まさに「不確実性の時代」においては、 その努力も報われない可能性が高い。出席扱いにしてもらえば、自分にとって有利な進学、就職につながると思い込んでいるのかも。
若くしてどこかで耳にした「過去の成功体験」が、目前の社会に変化があるにもかかわらず目を閉じさせているのかも知れません。
ユニクロや楽天が社内会話を英語に統一することなどは一例ですが、大小多くの企業が生き残りをかけてグローバル企業としての対応を迫られています。当然、言語だけの問題ではありませんが、日本の社会が「変化」を求められているのではないかと思います。
丁度、今週の日経コラム「大機小機」が「不確かな時代の確かなこと」と題してその点を指摘していました。
「世界は多極・多様化に向けたパラダイムシフトの真っただ中にある。歴史の変わり目に必要なのは、国も企業も過去の成功体験を一度捨て、新たな現実と真正面から向き合う覚悟を持つことだ。
成 功体験の落とし穴について大手電機の経営者が、社長退任後に語っていたことを思い出す。成功体験が本当に怖いのは、ごう慢や惰性から誰も顧客の変化を見な くなること。口では顧客第一を唱えながら、技術者も自己満足に陥って本当の意味で顧客と向き合わない。自分の会社でも一時そうだった、と。
多様化の副産物が不確かさとすれば、企業の勝機はまさにそこにある。顧客もまた不確かさの中にいる。確かなのは、グローバルでも一国内や地域でも、価格や商品、サービスで顧客の抱える問題を誰よりもうまく解決できる企業が生き残るという競争経済の大原則だ。」
「手段の目的化」は目標、目的を見失うことから始まります。成功体験への固執は、問題の本質から目をそらす場合が多く、時として環境や他者に責任と変化を求める一方、自ら変化することには二の足を踏む傾向があります。
政治が個人を駄目にしたのか、個人が政治を駄目にしたのか。いずれにせよ、政治も個人も内だけでなく、もっと外をみながら、現在の立ち位置を確認した上で、クリアな目標、プロセスを設定し、目的に向ってブレずに進む必要あるのではないかと思います。
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