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石巻市立大川小学校跡に来ました。

見た途端、涙が溢れでました。

石巻市釜谷地区の北上川河口から約4㌔の川沿いに位置する大川小学校。3月11日の東日本大震災で全校児童108人の7割に当たる74人が死亡、行方不明となった。

あの日、あの時、学校と地域で何が起き、人々はどう行動したのか。

釜谷地区はこれまでに津波が到達した記録がなく、住民は大川小学校がいざという時の避難所と認識していたこと、しかも、山と堤防に遮られていて津波の動向が把握できない環境だったこと等が避難を遅らせた要因として、証言されている。宮城県も石巻市も昭和三陸大津波レベルなら大川小学校には津波が来ないことを公言し、それ以上の大津波への対応は全く考慮していなかったと言わざるを得ない。もし大津波が来たらここは危険との意識が住民に無かったのはそのためだったと言える。大地震だったにもかかわらず、5分で完了可能な裏山への避難が選択肢の後方へ押し下げられてしまったのは、大川小学校に集まった人々のほとんどに危機意識が欠けていたためであり、そのように仕向けてしまった一因は行政にあったと推察できる。

ここから、10分ぐらいの所の追浪川河川運動公園で子供たちが野球をやっていた。ホットした思いがしました。

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