▶希望のキウイ実らせる/移住者が挑む新しい「農のカタチ」/福島・大熊町の「学生起農家」原口拓也さん、阿部翔太郎さん
フルーツ香る古里を、もう一度――。東日本大震災から13年。東京電力福島第1原発事故で全町避難を余儀なくされた福島県大熊町では、栽培が途絶えた町の特産・キウイフルーツを復活させる試みが進む。希望のキウイを実らせようと県外から移住し「起農」する大学生・原口拓也さん(24)、阿部翔太郎さん(22)の姿を追った。(東日本大震災取材班 文=佐藤裕介、写真=江田聖弘、千葉正人)
■“ゼロ”から出発
辺り一面、大小さまざまな田畑が広がる大熊町下野上地区。除染で表土を削られた大地を耕す人は少ない。福島第1原発から約7キロ、帰還困難区域で先行除染してきた特定復興再生拠点区域である。
ウメの花が咲き、春の気配も漂う3日。震災前はナシ畑だったという2・5ヘクタールの農地では、若者たちがキウイの苗木をにぎやかに植えていた。そこは、和歌山大学4年の原口さん(大阪府出身)と慶応義塾大学3年の阿部さん(横浜市出身)が昨年10月に立ち上げた株式会社ReFruitsのキウイ畑だ。
原口さんはシステム工学、阿部さんは政治学を専攻しているが、大学生になるまで福島とも農業とも無縁。だが、大熊のキウイに引き寄せられ「学生起農家」の道を歩む。
同町は2019年4月、町の一部で避難指示が解除され住民帰還が始まり、翌年からはコメ作りが再開。震災後、第1号のキウイ農家となる2人としても、町としても“ゼロ”からの出発である。
■出会い
原口さんと阿部さんは、UR都市機構の社員で当時、大熊復興支援事務所に勤めていた栗城英雄さん(44=千葉市出身)が設立した「おおくまキウイ再生クラブ」で出会った。同クラブは、町職員や復興に関わる有志でつくる「ふるさと未来会議」で、大熊の未来を語り合う中で誕生。震災前、栗城さんが親族から大熊産のキウイを贈られた思い出から「キウイを復活させて町民の誇りを取り戻したい」との願いが原点だという。
20年3月、再生クラブは500平方メートルの水田をキウイ畑に転換。18本の苗木を植え、2週間に1回、誰でも参加できる作業会を続けている。地道な活動も昨年秋に“結実”。全国から50人が集い、500個のキウイを収穫した。
原口さんと阿部さんもこの活動を通しキウイに魅了され、栗城さんを「“兄貴”のような存在」と慕う。今後、再生クラブでは1000平方メートルの「第2圃場」にも苗木を植え、規模拡大をめざす。
■土と生きる
原口さんは、和歌山の農家の下でミカン栽培の手伝いをしたことがある。農業はどこも高齢化と後継者不足が深刻だ。「農村に暮らす作り手がいないと、いつか誰も作らなくなる……」と考えた。
知人に誘われ、大熊に通うようになった時のこと。元町民が避難先の千葉県で、大熊での経験を生かして栽培したキウイを口にした。その甘さに衝撃を受けると同時に、「これを大熊で作る人がいなくなるのはもったいない」と移住を決意した。
「農業はその土地に根付いてこそカタチになる」。堆肥の設計や土づくりは福島大学と連携し、5品種のキウイ栽培に挑み、26年秋ごろの収穫をめざしている。
■笑顔届ける
現在、JR大野駅周辺では、帰還や移住、転入の希望者向けに町が「再生賃貸住宅」を急ピッチで整備している。この春、原口さんと阿部さんも入居する予定だ。
「原発事故で一度、失われた農業を取り戻すのは並大抵の努力でかなわない」と覚悟している。だが、再生クラブを通してできた仲間とのつながりや、町の人たちの応援を力に前へと進む。「僕たちが育てたキウイを大熊の人、町外の人に食べてもらい、笑顔になってもらえたら」

