それぞれの思いが詰まった1年だったと思います。
昨年7月に自分が所属する会派「光輝会公明」で岩手県の被災した自治体を1泊2日で訪れました。
最初に訪れたのが陸前高田で、マイクロバスを降り立ったのが陸前高田市庁舎。歩いて庁舎入口に行くと、色を失ったかのような廃墟の中で赤いランドセルが目に飛び込んできました。
泥や砂で汚れたランドセルを開けると、小学校名と学年クラスそして名前が書かれていました。
このランドセルの子ども達は無事だっただろうか?持ち主がわかっているのに何故ここに?と思いがめぐるととともに小学1年の娘と同じ赤色のランドセルを見つめながら込みあがる涙をしばらく堪えていたことが今も強烈な記憶となって残っています。
実は、震災から1年の今日その理由がわかりました。
遠山清彦衆議院議員のブログにその答えがありました。
以下、引用します。
『地元の人が静かに説明してくれました。
「その赤いランドセルの持ち主の女の子は、津波で亡くなりました。そして、その子の両親も、家族も、全員亡くなってしまったのです。実は、その子のお父さんもお母さんも、市役所の職員でした。家族が全員亡くなってしまったので、遺品を探す人も、このランドセルを引き取る人も、誰もいないのです。」』
せめてお父さんお母さんのそばに返して、一緒に居させてあげようと誰かが置いてくれたのかもしれません。
午後2時46分。同報無線から流れるサイレンの音とともに子どもたちと黙とうをしました。
震災で亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに今もなお困難な生活をされておられる皆様に心よりお見舞いを申し上げます。