2日目の14日(木)は宮古市田老地区(旧田老町)に向かい、最初に三陸鉄道の田老駅に立ち寄りました。田老駅も津波の被害を受けており写真左側の赤く変色した杉の木は根が海水に浸かったために枯れてしまったものです。

三陸鉄道は北リアス線と南リアス線の2路線がありますが南リアス線は未だ再開されていなく、北リアス線も一部区間のみ営業を行っています。

田老駅のホームで田老地区の説明を受けました。明治と昭和8年の三陸大津波で甚大な被害を受け、昭和9年から高さ10メートル幅3メートルの防潮堤の建設に取り掛かり昭和33年に完成。さらに海側に同様な防潮堤を建設し、上から見るとX字型になっており田老の「万里の長城」と呼ばれたていたとのこと。陸側と海側の防潮堤の間にも住宅が立ち並んでいたとのことでしたが跡形も無くなっていました。なぜそんなところに住宅を建てたのか聞くと、平地がわずかしかなく分家や新しく移ってきた人たちが仕方なく建てたのだろうとのことでした。

その後、実際に防潮堤に移動し歩きながら説明を受けました。

田老は防災意識が強く、町並みも碁盤の目のようにして避難しやすいようにまた交差点部分は隅切りをして見通しがよくなるよう徹底していたとのこと。写真は、高台に上るための避難階段まで一直線で行けるように整備されていたところです。

X字形の防潮堤の東側を映したもので海側の新しい防潮堤がずたずたに倒壊してしてしまっています。防潮堤が倒壊しているのはこの東側の部分だけでした。

田老漁協の建物ところでは、このあたりに住民の方が避難の呼び掛けに大丈夫だと言って防潮堤の上から海を見ていて、防潮堤を乗り越えてきた津波によって多数犠牲になった場所です。

自然の威力の前に過信や油断は絶対にダメであることが分かります。

岩手県内の被災地で田老地区が最も瓦礫の撤去が進んでいるとの説明がありましたが実際に多数の重機が動いており残された住宅の土台部分のコンクリートも撤去されている様子がはっきりとわかりました。

被災地では、自治体間で瓦礫の撤去をはじめ差が出始めていることも気にかかることでした。

田老地区では、山間部にあるグリーンピアに設置されている仮設住宅も車窓からではありましたが見てきました。日常の生活をするには交通手段を含め大変さがわかります。また突貫工事で急がせたため雨漏りやアリなどの虫の侵入や雨水排水対策のため砂利を敷き詰めてあるため高齢者や障がいのある方には歩き難くバリアフリーになっていないなど問題が山積しているとのこと。

宮古市内の被害状況も見ましたが、一見被害が無いように見える市街地も信号機が未だ点灯していない状況でした。

駆け足で被災地を見てきましたが一日も早い復興を願わずにはいられませんでした。

今後、富士市の防災対策にこの経験を活かせるよう取り組んでいきます。

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