13日(水)・14日(木)の2日間、三陸鉄道が行っている被災地フロントライン研修に参加してきました。

三陸鉄道サイトには「私たちが視察を企画しガイドとなることで、被災地の復旧復興のための作業の円滑な実施を支援し、何よりも正確な現地情報を生でお届けすることが出来るのではないか。全国の産業界、団体などの現地視察をサポートし、案内、目的別視察地プログラム、宿舎手配などを一括コーディネートすることで、より効果的な視察が提供できるのではないか。そしてそれは、取りも直さず、三陸の新しい地域づくりのお手伝いになるのではないか、と。
「笑顔をつなぐ、ずっと・・・」 それは三陸の未来へ向けての、私たちのメッセージです」とあります。

まず向かったのは岩手県の太平洋沿岸では最南部に位置し岩手県内で最も犠牲者の多かった陸前高田市でした。

まさに壊滅状態で地盤沈下で水が引かないところも見受けられました。また県立病院では4階まで津波が来たことが報道されています。私たちが陸前高田市役所と南側の市民会館付近を歩いていた際に瓦礫を運搬していたダンプの運転手さんが話しかけてこられ「津波がきたとき自分の目の前を助けてと言いながら子どもたちが流されていった。車の中から女性が助けて下さいと必死に叫んでいたがどうすることもできなかった。水が引いた後、50キロ以上離れた自宅まで歩いて帰った」等の話をしてくれ、ただ聞いてあげることしかできず掛ける言葉すら出てきませんでした。写真は黙とうをする警察官の皆さんです。

大船渡市では駅舎が流された大船渡駅付近の状況を確認しました。写真は大船渡駅とまだ瓦礫の撤去が行われていない様子です。大船渡市ではまだ瓦礫の撤去がほとんど進んでいない状況が見て取れました。

釜石市は車窓から見ました。6月に来た時と状況は1カ月経ちましたが変わっていない様子でした。大槌町では、町役場に立ち寄りました。大槌町では瓦礫の撤去は進んでいると説明がありましたが釜石市と同様に1か月前に見た状態と変わりありませんでした。

山田町船越地区にある老人保健施設「シーサイドかろ」では現場で作業をしていた方から当時2階に全員避難し海を見ていたそうで、潮位が少し上がってきたかなといった時に突然に反対側の湾から津波が押し寄せ逃げる間もなく入所者97人中75人職員も約半数の14人が犠牲になったとのことでした。奥の屋上に白いポルシェが打ち上げられていました。

JR津軽石駅では津波で脱線した車両がそのまま残されていました。

この日は宮古市内の浄土ヶ浜パークホテルに宿泊しました。一般客の受け入れはされていなく、全国から応援に来ている警察や国土地理院などの行政機関関係者の宿泊場所になっていました。自分たちが宿泊したときは北海道警・埼玉県警・神奈川県警・和歌山県警・兵庫県警の警察官の方々がいました。食事の時(片付けも含めてすべてセルフです)に話を聞くと約10日間で交代するそうです。

部屋から見える景色は素晴らしく、とてもあのような惨状を引き起こしたことなど想像もできない穏やかな海が望めました。

今日16日から船長が命がけで守った一艘の浄土ヶ浜の遊覧船が営業を開始したと報道されていました。

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