17日(金)午後8時に富士市子連関係者7人と早川県議は2台の乗用車に分乗して富士市を出発しました。
東名高速・首都高・東北自動車道を交代しながら運転し、19日午前7時ころ岩手県花巻ジャンクションで東北自動車道を降りて遠野市を通り長いトンネルを抜け、下り坂を降っていくと釜石市の市街地に入っていきます。町並みは地震の被害は見受けられません。しかし左手に釜石駅が見えたあたりで様相は一変。
人々の日常の生活風景が瓦礫と化しており、言葉が出ないという前に涙があふれてきました。突きあたりを左に曲がると釜石港が右手に広がり遠洋漁業の大型漁船が陸に打ち上げられている光景が見に飛び込んできます。さらに突きあたりを左に曲がるあたりで防潮堤が破壊されておりその先の住宅地は瓦礫が広がっていて一番奥の小高いところに家が一軒取り残されていましたが二階建ての屋根の上まで破壊されいて津波の高さが実感として迫ってきます。
更に山の中を抜けると大槌町の市街地に入ってきます。見渡す限り鉄骨の建物がところどころ残っているだけでその建物も黒く焦げ跡が見られます。8時半過ぎに大槌町役場(写真 ここでは町長をはじめ課長級の職員のほとんどの方が犠牲になられています)の跡に到着し、役場の前にあるガソリンスタンドの方に大槌保育園の仮設園舎の場所を聞くために車を停め立ち寄りました。
そのスタンドは、電気も何もないので人力でガソリンを入れていました。
10時前に目指す大槌保育園に到着し早速、子ども達と交流しました。折り紙やけん玉を一緒にやり園庭ではカエルを捕まえたり元気でたくましい子ども達でした。大槌保育園の津波被災時の状況は岩手日報の記事に詳しく出ています。
仮設園舎はユニセフによって建てられたとのことでした。