プロフィール
名前
徳田 哲(とくだ さとし)
議会名
江別市議会議員(現3期目)
党役職
〇公明党江別総支部長
《公明党北海道本部》
〇青年局事務局長
〇議会局次長
略歴・経歴
1975年1月16日: | 北海道札幌市生まれ |
1987年 3月: | 当別町立当別小学校 卒業 |
1990年 3月: | 当別町立当別中学校 卒業 |
1993年 3月: | 北海道当別高等学校 卒業 |
1997年 3月: | 札幌学院大学法学部 卒業 |
1997年 4月: | 株式会社ホクレン商事 入社 |
1998年12月: | 日本図書輸送株式会社 入社 |
2015年 4月: | 江別市議会議員 初当選 |
2019年 4月: | 2期目当選 |
議会・委員会等役職
○総務文教常任委員会 委員長
○予算決算常任委員会 委員
○議会運営委員会 委員
○議会広報広聴委員会 委員
○江別市議会公明党 会派会長
家族構成
妻・1男1女の4人家族
趣味・特技
読書(主に歴史小説)
野球観戦(日本ハムファイターズのファン)
気ままなぶらり旅
ラーメン食べ歩き
資格
大型自動車免許
運行管理者(貨物)
防災士
好きな本
『三国志』 吉川英治
『梟の城』『峠』 司馬遼太郎
『自閉症の僕が飛びはねる理由』 東田直樹
『日蓮の手紙』 日蓮(著)/植木雅俊(翻訳、解説)
好きなスポーツ
野球
スキージャンプ
大学駅伝
好きな食べ物
江別産野菜(特にブロッコリー)
ラーメン(ピリ辛、旨辛が好み)
カルピス
尊敬する人
『我以外皆我師』(われいがいみなわがし)であると思っています。
小説家吉川英治の言葉であり「自分以外のものはすべて私の師である」という意味です。自分以外のすべての人や物、事柄に対して謙虚に学ぶ姿勢を表しています。
座右の銘・信条
『百戦不撓』
私の人生の師匠から送っていただいた言葉です。人生は苦闘の連続ですが、その如何なる戦いにも決してあきらめることなく挑み続けることと捉え、励みにしています。
『幻想なき理想主義』
ケネディ元大統領の実弟で第64代米国司法長官を務めたロバート・ケネディの言葉といわれています。幻想を論じたり追い求めたりすることなく、現実をよく見ながら、理想を目指して行動していくあり方であり、私の政治信条です。
血液型
O型(ちなみに家族全員O型です)
わたしの生い立ち
《地域の皆さんに育てられた幼少~青年期》
昭和50年1月16日、札幌市の北大病院で生を受けました。その時母は42歳。当時としては高齢出産でした。出産時、母が破水に気付かなかったため、もう少し気付くのが遅ければ危うく命を落とすところでした。
生後程なくして父の実家がある当別町へ転居しました。両親が共働きだったため、幼少期は祖父と祖母に育てられました。祖父と祖母には愛情と「美味しいもの」をたくさんたくさん与えられ、タテにもヨコにも大きく育ちました。
家庭は貧しかったものの、祖父母や両親の愛情を一杯に受け、すくすくと育ちました。しかし、小学4年生(昭和60年)の時に祖母が死去。その翌年には祖父、そして祖父の初七日を終えた次の日に父親が帰らぬ人となりました。心不全による突然死でした。
立て続けに家族を亡くし、母子家庭として更に貧しい生活を余儀なくされましたが、中学校入学と同時に新聞配達を始めて家計を支え、また地域の皆さんに守り育てていただき、たくましく成長することができました。
当時の私たち母子を支えて下さった地域の皆さんには、今でも本当に感謝しています。
《札幌学院大学へ入学》
高校を卒業し、奨学金を受けながら札幌学院大学へ入学。4年間、江別市文京台のキャンパスで学びました。法学部学生自治会に所属し「共に同じキャンパスに通う学生の皆さんのために」との思いで色々な活動を。また、大学祭、卒業祝賀会など大学内の様々なイベントにもかかわり、成功させることができました。
この4年間でかけがえのない友人・先輩や後輩に出会うとともに、生涯の伴侶である妻にも出会いました。妻とは19歳の時からの長い付き合いです。
《全国を走りまわる日々》
大学卒業後は小売業勤務を経て運送会社に就職。深夜の輸送業務や長距離輸送など、様々な仕事を経験させていただきました。
折からの不景気の影響で長らく非正規雇用で働いていたこと、そして全国様々な所へ仕事に行くことで結ばせていただいた多くの人との縁は、私の一生の宝です。
また、東日本大震災の折には救援物資の輸送を担当。発災から3日目には岩手県に入り、その後約半年間で20回近く北海道と被災地を往復し、現地に救援物資を届けました。そうした経験が、災害を風化させない、東北を応援する心に繋がるとともに、地域における防災力の強化や災害対策提案の原動力になっています。
こうした自身の原点を忘れることなく、公明党永遠の指針である
大衆とともに語り
大衆とともに戦い
大衆の中で死んでいく
を貫き通し、日々感謝の思いで活動して参ります。