議員になる前、医療関連会社で働いていた私は「命を守る」を
活動テーマの1つとしてまいりました。
私の代表的な実績の1つとなった「網膜芽細胞腫の早期発見のための周知PR」は
お子さんが診断を受けた若いママからいただいたご相談がきっかけでした。
もう1つの大きな実績である「区内全小学校の通学路への防犯カメラ設置」も
あるお母様からいただいた声がきっかけとなりました。
平成20年代半ば、全国各地で、下校途中の児童を狙う残虐非道な事件が多発し、
社会的にも大きな関心を集めていました。
そのお母様から「中央区はとても治安がいいけれど、やっぱり心配です」と言われ、
私は「毎月行っている下校時パトロールの回数を増やしますね」とお答えしました。
でも、パトロールは通り過ぎたらそのすぐ後に背後で何が起きてもわからないし心もとない、
と思い直し、「もっと根本的な対策が必要だ」と考えたのです。
試案を巡らしながら様々な資料を漁り模索していたとき、ある新聞記事に目がとまりました。
大阪のある市で「市内全小学校の通学路に防犯カメラを設置した」というのです。
私は「この市にできるのなら、中央区でできないわけがない」と思い、
一般質問で取り上げることに決めました。
(続く)
お子さんが網膜芽細胞腫との診断を受けた若いママから
「早期発見のため、写真ポスターを貼って周知したい」とのご相談を受けた私は、
議員になってからの活動で知り合った「小児腫瘍科」の専門医に真っ先にアドバイスを受け、
近所の小児科医の医師にもご意見をいただいて、当時の区の福祉保健部長と協議しました。
部長はご相談者の思いをしっかりと受け止め、快諾してくださり、
「区内の全保育所と小児科クリニックに<写真ポスター>を貼り出す」ことと、
妊娠届を出した方へ区が配布している「母と子の保健バッグの中に資料を同封」することが
実現したのです。
これは全国で初の取組みとなりました。
ご相談くださったママが喜んでくださったのは言うまでもありません。
築地のがんセンターで開催されている「患者の(保護者の)会」で、
この中央区の取組みを紹介したところ、他の地域に住む方から
「私の住む地域でもやってほしい」との声が上がったそうで、
実際何人かの公明党女性議員から「取組み内容を教えてほしい」とご連絡をいただきました。
若いママのお声を大切に受け止めることで、命を守る取組みを1つ、
小さなことかもしれませんが実現することができ、大変嬉しく思っております。
(続く)
議員になる前、医療関連会社で働いていたことも有り、
私は「命を守る」を活動のテーマの1つとしてまいりました。
ここでは、私の代表的な実績となった「命を守る」取組みについて、ご紹介します。
まずは小児がんの1つである「網膜芽細胞腫早期発見のための周知PR」です。
網膜芽細胞腫は網膜に発生する悪性腫瘍です。乳幼児に多く、出生児17,000人につき
1人の割合で発症し、95%が5歳までに診断されます。
黒目の中心が白色もしくは黄色に透けて見えることが大きな特徴です。
早く治療が行われれば生命に関わることは少なく、治すことができますが、
処置が遅れると失明、眼球摘出に至ります。
始まりは、平成26年、お子さんが網膜芽細胞腫との診断を受けた若いママから
ご相談をいただいたことです。
その方は、母子手帳には<要チェック事項>として「瞳の中心が白色や黄色に見える」と
特徴が記載されていても、文字なのでピンとこなかったそうです。
お子さんの状態については他にも気になる点があり、そちらへ注意が流れてしまい、
発見が遅くなってしまったとのこと。
声に出すことができない我が子に対し、早期に発見できなかったことを申し訳なく思い、
辛い思いをなさっていました。
そして私に「特徴を写した瞳の写真があれば、誰でもすぐにわかるはず。
今後、私のようにこんな悲しい思いをする人が出ないように、
写真ポスターを使ってこのがんを周知したい」とご相談くださったのです。
(続く)
私は議員になる前、医療関連会社で働いておりました。がんの検査機関です。
昔こそ「がんは不治の病」と言われていましたが、医療の進化により、
当時既に「がんは早期に発見できれば治せる」時代に入りつつありました。
「早期発見」の重要性について啓発活動を行い、
実際に多くの方から感謝のお声もいただきました。
「命を守る」
それは人間の命は勿論のこと、犬猫などの動物や草木も同じです。
これから数回にわたって、これまで取り組んできた
「命を守る」ための取組みについて、お知らせしたいと思います。
今回、誰でもイス設置の経過を振り返るにあたり、
区の担当部課の方へ詳細を伺いました。
その方は当時私がお話した方(ご担当者)ではありませんが、
ご担当者からの指示で、まさに計画を作成していたとのことで、
もう5-6年近く前のことなのに、はっきり覚えておられました。
そしてなんと!
この誰でもイスの設置場所をまとめた「ベンチマップ」が
あるというではありませんか。
これを見ると、日本橋地域、中でも人形町通りや清洲橋通りに
多く設置していただいているのが一目瞭然です。
感謝感謝です。
他にも設置できる場所を探していただき、もっともっと
誰でもイスが増えることを期待しています。
「中央区ベンチマップ」(中央区ホームページより)
念願叶い、中洲に誰でもイスが設置されましたが、その後ももっと増やしてほしい、
願わくば明治座界隈に!との要望を胸に、担当部課長と何度も話し合う中、
「区全体として、設置計画を作成します」とのお返事をいただきました。
そして、平成27年4月の中央区議会議員選挙で2期目に挑戦するにあたり、
「誰でもイスの設置」を公約に掲げたのです。
その後平成29年に計画が完成し、30年度から順次区内に設置されていきました。
ツイッターにUPしたのは、平成31年(西暦2019年)4月ですので、
まさに30年度から始まった「誰でもイスの設置事業」の成果が
目に見えてきた時期だったのでしょう。(つづく)
先日、ある方からお尋ねいただいたことがきっかけとなり、
この「誰でもイス」の設置について、改めて経過を振り返ってみました。
3回程度に分けてUPします。
平成25年、ツイッターの文にあるとおり、ご近隣の方から「買い物や散歩の途中でちょっと休みたい時に、誰でも気軽に座れるイスがほしい」とご相談をいただきました。
「都バスの停留所でイスが置いてあるところもあります。座られても良いと思いますよ」と
お話すると「乗らないのに座るのは気が引ける」と仰るのです。
なるほど、と思い早速区の担当部課長に相談しました。
当時はどっしりとしっかりした「イス」という概念だったため、設置可能な幅がある歩道が
限られており、何とか場所を探していただいて、ようやく中洲に1カ所設置できました。
これでも大変喜んでいただきましたが、本当のことを申しますと清洲橋通り沿いで設置を
希望していたので、場所的にはちょっと残念な状況でした。(つづく)
今年も多くの友人知人、先輩・後輩の方と年賀状を通じて挨拶をすることができました。
そのうちの何人かの方からは「今年で年賀状じまいとさせていただきます」との一言が添えてありました。
これまでにもそのように書き送ってきた方はいましたが、今年は複数人いたので、
「これも時代かなぁ」と。
ここ数年、年賀状の販売や配達の枚数が減ってきていることは話題にもなっていましたし、
世の流れとして当然だと思います。
今年の年賀状配達の出発式のニュースでは、自動走行する小型ロボットを使った配達の様子も流れていました。
今後年賀状や郵便システムそのものが変わっていくのだろうな、と思います。
SNSでの交流ももちろん結構ですが、私個人としては、もうしばらく年賀状を出し続けようと思っています。
いつも書き終えるのは晦日か大晦日なんですけどね(^^;)
今日4日は仕事初め。
以前は浜町総合スポーツセンターで区主催の新年賀詞交歓会が開催されており、
2時間くらい滞留できたので、じっくり日頃お世話になっている方々へ
ご挨拶することができました。
でもコロナ以後は、地域毎に区有施設(日本橋地域は日本橋公会堂)で式典のみ行う
形式となり、しかも短時間で終了、退館となります。
出席されている地域の方々へご挨拶できる時間も限られているので、今日も時間が足らずに
結局ご挨拶できないままの方もいらっしゃいました。
それなら、と午後から地域を回りご挨拶しようとしたのですが、浜町界隈はとっても静か。
お店も「5日まで年末年始休業」というところが多かったです。
やっぱり浜町はこういう“ゆったり”した時間が流れているまちなんだな、と改めて感じた
「仕事初め」の今日でした。
昨年の年も押し詰まった12月15日、
「本当に住みやすい街大賞 シニア編」で浜町が第1位に輝き、
地域を代表して「浜町商店街連合会」に賞状やトロフィーが贈られました。
これはアルヒという、住宅ローン専門金融機関が毎年発表しているもので、
全体のランキングの他に「シニアランキング」が設けられています。
浜町は、この「シニアランキング」での1位です。
https://magazine.aruhi-corp.co.jp/0000-5711/
「住みやすい」のは何もシニアに限ったことではありません。
浜町はこの10年程で人口が激増しており、
町会や商店街による親子で楽しめるイベントが増えています。
全世代にとって、住みやすいまちだと思います。
これからも更に、素晴らしいまち「浜町」となるよう、
浜町在住の区議会議員として、地域の為に頑張ってまいります!