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公明党○○支部 平野充
hirano-m@jc.ejnet.ne.jp

調布市立第六中学校開校40周年記念式典

平成26年11月7日(金)晴れ

今日は、平成15年4月1日~平成18年3月31日までお世話になった第六中学校を訪れました。

何日も前から楽しみにしていた40周年記念式典のこの日

六中の敷地に入って、すぐに目にとまったのが「新しいテント」

六中の同窓会から寄贈されたばかりの、まだピカピカのテントでした。

このテントを見ただけでも嬉しい気分になりました。

私は6中に出向するまでは「緑と公園課」に11年いましたので、

学校という職場がどんなところか見当もつかず不安な思いの中でのスタートでした。

4月の新学期開始の日、体育館で紹介された一言の挨拶のとき、

生徒を前に「みんな!元気ですかー!」と、切り出してしまった。

ハトが豆鉄砲をくらったような顔をされたかと思うと、その直後、クスクスっと笑い声がもれた。

私は学校というところがどういう仕来たり(空気)なのか分かっていなかったのでした。。。

始業式が終わり、教諭の先生から「平野さんって猪木ファンですか?」と聞かれたことを

今でも覚えています。

本日、6中の廊下を歩きながら、いろんなことを回想いたしました。

私は6中での3年間、ただひたすらに、とにかく役立とうと完全燃焼で働きました。

6中独特のコンパクトな体育館

6中の懐かしい制服姿の生徒をみると楽しかった思い出がふつふつと甦ります。

また、校長先生をはじめ、教諭の先生方との思い出も。。

あれは平成16年7月、新潟県や福島県を襲った痛ましい豪雨災害のときでした。

市役所職員の中から現地へ災害ボランティアに行ってくれる人はいないかとのアナウンスがありました。

自費で志願制とのことでした。

私は手をあげて行くことにし、朝会で先生方に報告をしたときのこと。

当時の6中の先生方は私の知らないところで一人1000円ずつ集めてくださり、

「平野さん頑張ってきてね。これ私たちからの気持ちだから」と渡されました。

全員の先生方からでした。

新潟での確か3~4日のボランティアでした。

体育館で寝泊まりし、水のシャワーで頭や体を洗いました。

夜中にはカサカサっと枕元にゴキブリが出てきて、怖くて眠れませんでした。

(夜中のゴキブリは、昼間のゴキブリの100倍くらい強そうに見えます)

寝不足での炎天下の作業はきつかったな~ と、

そんなことも懐かしく思い返しておりました。

さて、式典は式次第に沿って進んでいきます。

当時、行事のときに式次第を直接壁に貼っていたのを目にし、

「額のようなものがあればいいな」と、

枠を作って壁に取り付けたのは私でした。

そのまま残っていました。

実はもう一つ、体育館への出入口にあたる場所にもあります。

これは、私が6中に残した最後の仕事でした。

平成18年3月31日の夕方4時に取り付けたものです。

この大好きな6中に4月に入学してくるであろう新入生に

「入学おめでとう」

と掲げてもらうためでした。

その入学式以降のことは私は知りません。。。

私は、このあと調布中学校へと新たな出発をしたからです。

少し低めの6中体育館の舞台

この低めの舞台が私はお気に入りでした。

それは、舞台に上がったときに生徒との距離が近いような気がするからです。

当時、生徒会の子たちから、トランペットの演奏を頼まれました。

「文化祭」や「卒業生を送る会」でこの舞台で演奏しました。

(もちろん、本来やるべき仕事をやりきった上でのプラスアルファーとしてです)

私にとって、こんなに素敵な最高の舞台はありませんでした。

かつて、プロの演歌歌手の後ろで吹いたこともありましたが、それは大人がお酒を飲む席でした。

中学生の生徒たちの前で吹けたことが、どれほど幸せなことであったか、

後になればなるほど、その貴重な有難き時間に感謝をしています。

私にとってこの体育館は、あまりにも感慨深き場所。

本日、8年8か月ぶりにタイムマシーンにでも乗って戻ってきたような気分になりました。

当時は想像もしていなかった議員としての立場で。

式典では懐かしき方々のお姿をお見かけできたことも幸せでした。

6中万歳。6中頑張れ!

調布第6中学校の更なる発展と、卒業生の栄光を祈りつつ。

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