Twitter
Twitter
ブログバックナンバー
サイト管理者
公明党○○支部 平野充
hirano-m@jc.ejnet.ne.jp

弔問で徳島へ

幼少のころお世話になったお祖父ちゃんが亡くなり、弔問で徳島まで行ってきました。

2日に訃報が届いたが3日・4日は大事な市民相談、また河川改修促進大会も控えていたので

4日の大会終了後、夜行バスで徳島県へ向かいました。

5日(金)朝、徳島駅に到着。吉野川市へと向かいました。

単線のため、駅で対抗列車との時間調整。向こうから徳島行きが来ました。

小さな頃から運転席の横の窓は大好き。運転手さんがレバーを動かす時はゾクッときたりして。。

お祖父ちゃんが療養されていた施設の窓からの風景。吉野川が見えます。

川島町の桑村 には「ふく」という賢いワンちゃん(柴犬)がいます。

徳島での弔問を終え、母のいる香川県坂出市へと向かいました。

坂出駅のホームからは讃岐七富士の一つ「讃岐富士」(飯野山421.87m)が見えます。

夜は久しぶりに母と“一杯”。語らいました。

翌日(6日)は瀬戸大橋を渡り、弟のいる大阪へ向かいました。

地上の新幹線と上空の飛行機が交差する新大阪駅で待ち合わせというシチュエーションが大好きな私。

(前方に飛行機が)

次々と新大阪駅の上空を通りすぎる飛行機。

このあと、弟と駅構内で食事をしながらの語らい。

その後、私は新幹線にて東京への帰路に。。。

新大阪駅を発してまもなく、私にとって貴重な思い出の場所が窓の外を流れていきました。

手前は新幹線の鳥飼基地。向こうのほうにシオノギ製薬の摂津工場が見えます。

この近くには中央環状線の道路があります。19歳のとき、私は毎日のようにこの中環の下で

トランペットの練習に励んだ。夕方5時~7時の2時間程度だったか。。

練習を終えた後、夜9時には自宅を出て地下鉄御堂筋線の工事現場へと向かった。

武蔵野音楽学院に行くための資金を稼ぐ為である。始めは体格の良いおじさんたちにチャカされた。

でも1年間働き通して100万円を貯めた。仕事を辞める最後の日(3月10日くらいだったか?)

おじさんたちは「ようやり抜いたな~」「偉いの~」と、夜が明けた工事現場を祝賀会場へと変えてくれていた。

ベニヤ板の上には一升瓶がずらりと並んでいた。私は礼を述べた後、涙がこぼれた。

これが大阪での最後の思い出となっている。窓の外を眺めながら、ふと懐かしき時間を思い返した。

コメントは受付けていません。