今回の原発事故を見て思う。
科学者の中にも、また「原子力エネルギー」を生涯の研究テーマにしてきた科学者たちの間でも、
意見が分かれているという事。
ま、それはある意味当然なんだと思う。
だって100%の合意って、ほとんどの場合絶望的に困難だと思います。
政治でも、行政にでも、民間企業の営業会議でも、意見は分かれて当然。
むしろ、それが健全なのでは。
そして双方が議論を尽くし歩み寄ったりしながら詰めて行く。
それでも100%の合意までには至らない。
でも、どこかで結論を出さなくてはならない。となったらどうするか?
やはり多数決しかないのでは。
8割なら総意として考えて良いのでは?
もし反対者が3割以上いたならその事を付則事項に記しておくとか?
そして、それを判断するのがトップの役割だと思う。
政治判断。
以前、イギリスでBSE問題がある。一部の科学者の「安全説」を採用し、「人への感染はない」と言い
続けた英国政府だったが、じっさいには100名を超える死者が出たうえ、牛の殺処分などによって
膨大な経済的損失を余儀なくされたのは今から20年ほど前の事。
危険性を指摘する科学者もいたが結果的には「安全サイド」を採るという誤った選択をした。
「原発は絶対安全」などと言った安全神話も、きっと一部の科学者たちが国の方向性に則って作った
ものでは?
世の中に絶対安全なるものが存在しているのか?
例えば我々が乗る飛行機は絶対安全だと思っているのだろうか?
原発誘致や推進をする場合に、「絶対安全だから」などと地域住民に説明したのだったら救い
難いことになる。
しかし、当時から原発を反対していたという科学者の皆さん(今は本を出したり、ネットで様々発信し
元気だけど。)何で科学界の中であなた達は圧倒的に少数派なの?
だって、優秀な頭脳を持ち、科学者としての良心も大多数の人は持っているでしょうに。
これって素朴な疑問なんですけど・・・。
他の大多数の科学者たちは、少なくとも即時に停止しろとは言いません。何でなの?
少なくとも「脱原発」や「原発推進」を唱えない、真中にいる学者が圧倒的に多いのではと思う。
福島の事故で湧きあがった「反原発」の感情、科学への根源的な不信感。
起こった事態を考えるなら、一概にそれを否定するものではないが、感情論が科学を傷つけ、潰す
様な事になれば、日本は間違いなく滅びるだろう。その「感情」と向かい合い冷静に対話を進めて行
かなければ何も生まれないと思う。