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稲毛区 櫻井秀夫
hsakurai2016@yahoo.co.jp

Archive for the ‘6.仙台3.11から千葉9.9へ防災’ Category

議会質問③(完)(長文マックス)

今回の議会質問の最後は、避難所における避難者情報の把握と、災害備蓄品の使用方法の周知についてです。
端的に言うと、
①災害情報共有システムに、住民基本台帳のデータベースを取り入れる
②5月7日に公開された千葉市の災害備蓄品の使用方法に関する資料・マニュアルを、避難所運営の最前線に周知していく
という提案です。これも費用が掛かる提案ではありません。
 市の答弁は、
①提案のデータベース導入により、避難者情報の正確かつ効率的な把握ができることから、システムの改善を検討していく。
②防災ライセンス講座での配布・説明、避難所運営委員会への通知等を行う。
という、これもかなり積極的な答弁を戴きました。
 この質問をした問題意識は以下のとおりです。
 ①避難予定先として近所の学校等を家族で事前に申し合わせするものの、災害は時と場所を選ばないので、実際は家族が別々の避難所に初動の避難をすることを前提に想定すべきです。これは、自分や同僚の仙台市での経験からの考えです。
 その際に、現在のシステムのように、避難生活が始まる、あのごった返した状況で名前、生年月日、住所等を手入力していたのでは、到底遅いし、不正確になる可能性が高い。事前に住民基本台帳のデータベースを取り入れて、検索するだけで足りるようにしておくべきと考えました。
 さらに、迅速で正確な避難者情報がネットワークでつながっていれば、家族が別の避難所に避難していても、すぐに分かる、実は避難者にとっての「安心」の一番は物資ではなく、家族等関係者の安否確認であるという考えです。
 そして、この情報の集積は、性別・年齢別等のデータ集計が容易なので、対策本部からの救援物資の効果的な配分にもつながります。
 ②の備蓄品の使用方法の周知では、避難所運営委員会への「通知」に地味に、でも、かなりこだわりました。「通知」なんて、紙切れ一枚の形式だけという印象を持つかもしれませんが、公的機関の運営において、特にそのリーダー(校長、公民館長等)への周知においては、圧倒的に大事です。
 あえて簡単に言うと、「やった方がいい」「やれる時はやる」レベルではなく、通知によって「絶対やらなければならない」レベルに一気に押し上げます。
 この通知が事前になされている状況で監査や議員視察を行うのか、通知がない状況下で行うかによって、不備指摘後の対応は雲泥の違いになります。前者は、不備に対して処分もあり得ますが、後者は「これからは努めます」で済みます。
 別に誰かを締め付けることが目的ではなく、現場を回って、このままでは「ヤバい」と思ったからです。どうしても、ホームページに貼り付けただけで、「周知しました」と済ませてしまうことが多く、形式に流されないように、意識的に行う必要があります。
 それにしても、この通知は「6月中に出す」なんて言ってたような気がするけど、答弁ではこの期間が、いつの間にか発言から抜け落ちていた気がする。相手が逃げようとしているなんて、変にうがった見方をして騒ぐ必要もなく、今後も「粛々」と「現場から」確認すれば良い。

 今回の①の提案は、実は先日視察させていただいた船橋市で、現在、実験・検討している段階のアイディアを早々に盗んだものです。その素晴らしいアイディアと検討されている船橋市のシステム全体については、追って当方のホームページで紹介させていただきます。本当にありがとうございました。
 感謝の意味で、「ふなっしー」ではなく、公式キャラの「目利き番頭 船えもん」の写真を載せて、この連載完結です。

3.11に想う(2)追悼・山下栄一先生

東日本大震災が起きたあの時、私は仙台市に在住し勤務していました。私の記憶では、携帯電話はすぐに使えなくなったと思います。
初動対応中でテンテコ舞いの最中、廊下に出たほんの一瞬のタイミング。アテにしていなかった私の携帯が鳴りました。

「あれ?つながってる?」

携帯電話がつながっていることに驚いたのを、今でもハッキリ覚えています。

「桜井君、大丈夫か?生きてるかぁ?」

遠く離れた地から電話を掛けてきてくれた、懐かしい関西弁の人は、法務委員会の委員長をされた公明党の山下栄一・元参議院議員でした。法務委員長と法務省矯正局少年矯正課職員としての関係?、私にとっては高校の世界史の先生?不思議な関係です。

「家族のことは分かりませんが、とりあえず私とこの建物は大丈夫です、連絡ありがとうございます。」

とだけ手短に伝えた山下元議員との会話が終わって、すぐに私の携帯電話はまたもや不通になりました。

充電の不備も重なって、使えない日がしばらく続きました。
だからこそ、この千載一隅のタイミングで掛けていただいた山下元議員に感謝するとともに、その一念のすさまじさに震えました。

他にも電話をしてくれた方がいたと思いますし、被災云々以前に、同じタイミングで一斉に掛けるから、回線がパンクするんだという意見も当然ありです。
ただ、自分からは妻や実家にも連絡できなかった状況下で、たった1人でも自分の安否を報告できたことが、その後の体育館等での活動に専念する上で、かなり大切なことだった気がします。
ありきたりですが、改めて安否確認の方法を決めておくことの大切さを思い出すとともに、危機場面での公明党の在り方、教育の在り方を考えさせられました。

ちなみに、山下先生は法律畑でなく、教員出身の法務委員長という独特の視点から、少年矯正、特に医療少年院の教育・医療体制に強い関心を持って御支援いただいたのみならず、少年鑑別所にとっても、育成的処遇通知の発出前から観護処遇だけのために、わざわざ現場に足を運んでいただいた稀有な方でした。この場を借りて、改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。(写真は、震災前年に仙台駅で再会したときのものです。)

(後日談)
千葉に転勤後、山下先生と再会した際に、震災当日の携帯電話のあの不思議な体験を御礼とともにお伝えしました。
当の山下先生は、全く気にかける様子もなく、「当たり前や(創価学園の)教師がドンだけ、おまえらのこと祈ってると思ってんねん。」と、私は軽くあしらわれてしまいました。
(当たり前の現象ではないと思いますが…)
そして、その話よりも、山下先生にとっても後輩の石川ひろたか現・参議院議員の話題を先生は持ち出し、その成長ぶりを感嘆し、誇らしげに語っていました。
・・・山下先生らしいです。(改めて御冥福をお祈りいたします。)

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3.11に想う(1)

4年経ったということで。
悲しく重い、いろんな出来事がのしかかるわけですが、
ありがたいことや、今の支えになっていることも、考えられないくらいたくさんあります。
特に自分は家族を失ったり、自宅が流されたりしたわけではないので、悼みや苛立ち等々のごちゃまぜな気持ちを語ることは不謹慎だという印象を持ってましたが…でも、特に感謝の気持ちをことさら黙っているのも変かと、昨年から思うようになってきました。
特に、娘が当時まだ2歳前ということもあり、本当に多くの方々に支えられました。
あの物資に困ったさなかに、「(秋田、青森、岩手の)親戚から送ってきたから、おすそ分けだよ」と互いに声を掛け、そして御近所で分かち合う。このパターンの多さに驚き、東北地方での親族ネットワークのすごさと、東北の方々の優しさに圧倒されました。
私が困っていると、こっそりとガソリン券まで譲ってくれた方もいました。
この写真は仙台在住当時、近所の通り道から撮った日常の光景です(震災前年)。なんだこの鳥の群れ、普通にいるのってスゲぇって、楽しくて撮りました。そして、ここにも津波は押し寄せました。
いつもながら長文・駄文ですが、(2)で感謝だけ書いて終わります。