宗教(特に創価学会)と政治(特に公明党、新党「中道」)との関係に対するご批判への私見
(先日のブログ 新党「中道」に関するデマへの私見 の閲覧数が爆上がりだったので、2匹目のどじょう狙いです。正直者!)

Q1 創価学会との関係は「政教分離」に違反しているのでは?

A1 憲法(特に第20条)が規制対象としているのは、「国家権力」の側です。 つまり、創価学会という支持団体(宗教法人)が公明党という政党を支援することは、なんら憲法違反になりません。 国家権力が、ある特定の宗教を擁護したり、国民に強制するようなことを禁じているのが「政教分離」原則です。
戦後の日本国憲法では信教の自由、言論の自由、結社の自由などが定められ、「政教分離の原則」が条文に明示されています。ですから、政教分離違反どころか、特定の宗教団体・個人に対して政党の支援を禁止することは、それらの自由を制限することになり、かえってその方が憲法違反が疑われます。
この憲法解釈は、昭和から現代にいたるまで内閣法制局の答弁で全くブレがありません。専門家であれば「質問以前のレベル」で当たり前です。
(参考)
昭和の答弁資料→https://www.komei.or.jp/wp-content/uploads/S450424toben.pdf
平成の質疑資料→https://www.komei.or.jp/wp-content/uploads/seikyobunri.pdf

近年、ネットでは、典型的な例として公明党が創価学会を「国教化」するのでは、との声が散見されますが(実は昭和のデマの焼き直しですが)、先に示した日本国憲法の観点から、国家が特定の宗教を国民に押し付けることは否定されています。

一方、宗教団体の観点から言っても、創価学会インターナショナル(SGI)は世界192か国・地域に会員が広がっていることから、そもそも国教化とは真逆のベクトルに向かって活動していると考えられますし、教義的にも特定の国の国教化とはなじまない、または(日本に限らず)権力が市民に特定の宗教を強要する国教化を否定していると考えられます。
世界の創価学会|創価学会公式サイト
政治史の観点から考えても、西欧においては各国のキリスト教民主同盟のような、宗教を政治思想のベースに据えたような政党の存在は、何ら問題視されていませんし、宗教の布教を目的としない、宗教的価値観を公共倫理に翻訳して政治に活かす政党として長らく定着していることからも、この議論自体が日本での独特な現象のようです。

 

Q2 近年、統一教会と政治との関係が問題になったが、なぜ創価学会と公明党の関係は問題視されないのか、マスコミの忖度や政治からの圧力があるのでは?

A2 統一教会が「宗教法人だから」問題なのではなく、裁判所から「解散命令が発せられた団体」で、その原因となる反社会的行為(霊感商法、過剰献金、家庭崩壊等)が行われていたことが問題となっているわけです。この大前提への理解が最低限必要です。
反社会的な団体である以上、その団体とかかわってきた政治家は、その関係性について国民に説明したり、見直したりする必要があります。
一方、そのような反社会的な団体と一般の宗教法人を一緒くたにするのは、例えば金融庁から業務停止命令を受けた銀行と他の銀行を(「銀行」つながりだけで)混同するようなものですので、質問そのものが筋違いとなります。
実態としても、統一教会を含めた霊感商法の問題に長年取り組んできた紀藤正樹弁護士が述べている(2022年11月21日プライムニュース)ように、創価学会が同種問題で訴えられているケースはないとのことです。当然、政治からの忖度や圧力とは無関係です。
もしも、それでも宗教と政治の問題を検討すべきであれば、それは上記のQ&Aの1を踏まえたうえで、靖国神社への公人・公費での参拝をはじめ、他の全ての宗教団体との関係で論じられるべきで、新党「中道」や公明党と創価学会のみを取り上げるのは、かえって恣意的で悪意に基づくものと指摘せざるを得ません。

 

Q3 新党「中道」の野田共同代表が、「公明党の創立者・池田大作氏から中道政治を学んだ」と発言したことがネットで炎上したが、それもデマか?

A3 それはデマではありません。事実です。
公明党の両院議員総会(1月23日)での野田代表は「新党結成に向けた協議の間に、改めて基本を学ぼうと思い、公明新聞で池田大作先生の中道政治論を読ませていただいた」 「池田大作先生の中道政治論を学んだ」と発言しています。
その経緯として「人間主義に基づく中道については、斉藤共同代表からいっぱい吸収させていただいた」 と、斉藤共同代表から公明新聞などの資料を提供されたと発言しています。(以下の公式動画に残っています。)
https://youtu.be/frj6-PBNJ2w?si=AWZVzTkIEIzFPQGZ

このこと自体は事実ですが、要は「それ自体、何の問題があるのか」ということです。
それどころか、一言で言えば「宗教者(しかも故人)の政治思想を引用しただけで批判するのは、政教分離への誤解であり、宗教への不当な偏見を助長する」と言えます。
そもそも日本国憲法は「思想・信条・信教の自由」を保障しており、宗教に関わる人物の思想を学ぶこと自体は完全に保障される自由です。
そして、政教分離は(上記で確認したように)「国家が特定宗教を優遇・支援しない」ための原則であり、政治家が宗教者の思想を学ぶことを禁じる規定ではありません。(それを禁じれば、思想・信条・信教の自由を侵すおそれがあります。)
もし「宗教者の思想を引用したら政教分離違反」とするなら、ガンジー、キング牧師、内村鑑三など国内外で引用されてきた世界の政治思想の多くが引用不能になります。
ただし、実際には批判(ネット上の批判)の多くは、野田氏は入信したのか(笑)とか、宗教が気持ち悪いとか、立憲民主党は統一教会と自民党との関係を批判していたのに等々、政教分離といったそれなりの観点でもなく、単なる誹謗、「悪口」のレベルです。

以上、古典的な批判から直近の批判まで、政教分離など政治と宗教に関する批判は、昭和期にとっくに決着(というか、戦後の民主憲法を制定した時点で既に決着)しており、いまだこんな話題が…というのが率直な想いです。

これらの論点・主張の共通点の一つとして、「公的には全く正当性が認められていない主張」であることを指摘できます。
内閣法制局や裁判所等で、これらの論点・主張が正当とされたことがないのです。(だから、大手の報道ではイシューとして扱いにくい。扱わないことを「忖度」として、根拠なくディズる。)
にもかかわらず、どこで話題になってきたかと言えば、昭和期は新聞、週刊誌、平成期は週刊誌、テレビ、そして令和になってネット(で一部の政治勢力)という感じでしょうか。

この現象自体、戦後の民主政治が健全な議論を積み重ねてこれなかった象徴の一つとして私には感じてなりません。
宗教と政治だけでなく、福祉においても、国防においても、批判のための批判や、媒体を売るための批判ではなく、現代的に言えばアテンションエコノミーに隷属した議論ではなく、エビデンスやファクトを前提とした、「現実を直視した」、庶民の生活に根差した健全な議論の積み重ねを、この度の選挙戦でこそ行いたいと考えています。

注:
ここでは特定宗教における教義の正邪や浅薄を判断するものではなく(それは各人が判断するものです。)、本テーマに沿った形で「事実」を紹介しました。
私自身は創価学会の会員ですが(実家の実家は浄土真宗の有名な寺院ですが)、地元のキリスト教会、神社、寺院の関係者の方々、無宗教と称する方々と共々に地域活動をさせて頂くなど、特定の宗教が政治活動の支障になることはなく、自分の政治信条の核となる生命尊重、人間主義、包摂性、科学的・論理的合理性への志向は、自らの信仰心がそのベースになっていると考えています。
それらと矛盾するような言動が私にあれば、是非ともご指摘ください。
…ということで、今後ともご指導ご鞭撻のほどお願い申し上げます。

 

#宗教と政治 #創価学会 #公明党 #中道改革連合 #中道
#政教分離 #政教一致

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稲毛区 櫻井秀夫