先週は学びの機会の連続。
千葉での研究会が続き、著名な方々と交流をさせて頂きました。
その中でも。川名壮志さんとの再会は感慨深いものがありました。
(以前、被害・加害の双方に向き合った著書「謝るなら、いつでもおいで」(新潮社)を本ブログでも紹介させて頂きました。)
川名さんが1年半前に出された「記者がひもとく「少年」事件史―少年がナイフを握るたび大人たちは理由を探す」(岩波新書)は、私にとって最も感銘を受けた1冊で、著者本人に感動を伝えたいと思っていました。
重大事件の犯人が少年だと分かるたびに、社会と個人の責任、報道における実名・匿名、加害・被害の間で、社会は揺れ動いてきました。
少年事件に関する著作は、事件ルポだったり、少年法への評価だったり、時には特定機関を宣伝するための更生ストーリーだったりする印象を強く持っています。
本著はそれらとは一線を画し、日本社会における少年の表象(representation)の歴史を客観的に描き出しています。
つまり、社会が少年をどのようにとらえ、少年像を共有したきたか。
少年に関する言説が少年像を形成し、少年像に基づいて新たな言説が生じてきた歴史です。
当方のように多少なりとも実務現場でお世話になると、シンプルな厳罰主義やシンプルな保護主義に組みできない気持ちになります。
それらはいずれも、大人にとって都合のよいストーリーで、実はいずれも「少年不在」に感じるからです。本書の副題にあるように、大人は常に「理由を探す」のです。
さて、私は少年に関するどのような言葉を紡ぐのか、いまだに問いかけます。
#川名壮志 #記者がひもとく「少年」事件史 #少年事件 #非行
#少年法

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