バックナンバー 2021年 3月

昨年末に紹介した稲毛区役所のストリートピアノ(勝手に「区役所ピアノ」と呼んでいますが)が、本日から利用可能になりました。

 
市内でも初の試みで手探りの運用ですが、しかもコロナ対策も加わり、区の地域振興課の方々は大変だったと思います。温かい目で区民で育てたい試みです。

 
ちなみに、昨日の午後は、区役所ロビーが手続きでかなり混み合い、ギョッとしましたが、本日は落ち着いていました。
https://www.city.chiba.jp/inage/chiikishinko/piano.html

本日3月27日(土)の朝の新聞各紙に、さくら通信春号を折り込みました。

 

神谷新市長とのツーショットは、1月に撮影したものなので、日焼された現在とは随分違う印象です。

 

昨年から、千葉市の新型コロナ感染状況を独自に集計してお伝えしており、今回は亡くなられた方の年齢別構成比を加えるなど、ご要望により本年も続けています。

 
来週から地域でも配布しますが、皆様の目に少しでも留まればと思っています。

千葉県知事選と千葉市長選挙の同日選挙。
結果は、いずれも過去最高得票、県知事選で140万票以上を獲得した熊谷俊人・元千葉市長、市長選で20万票以上を獲得した神谷俊一・元千葉市副市長の圧勝でした。
この歴史的な選挙、勝利者は熊谷候補だ、負けたのは関候補ではなく森田県知事だ、自民党県連だ等々、様々な意見が飛び交っています。

 

 
それらの論評に対して、個々に賛否を述べるつもりはありませんが、話題になっていない異様な光景が、一つだけあります。
それは、3月20日(土)と同月22日(月)の朝日新聞千葉首都圏版の記事です。
①投票日前日の20日(土)30面には、「歴代知事に聞く」と題し、森田健作氏(古賀大己記者、今泉奏記者)と堂本暁子氏の談話を紹介。
堂本氏は、今回の候補に対して将来ビジョンを公約で示してほしいと求め、知事の在り方として情報公開の姿勢や市町村との連携が重要であるとしています。きわめて納得。

 

 

一方、森田氏は、知事の在り方として道路行政の重要性を踏まえた上で経済の活性化をいかにしていくかを述べています。こちらも一つの見識。十分ありです。
しかし、森田氏が、自分がほとんどの政策を実現できたのは、中央政界とのパイプがあったからで、「麻生さん。菅さんたちの協力あってこそ」で、国会議員の経験があったから、友情を大切にしてよかったと述べたことを紹介したうえで、
最後に、
「批判し、敵を作り、大きな声で目立とうとする劇場型の人は、ぼたん雪のようだ。積もるのも早いが、溶けるのも早い。何も残らない。何事かを残したいなら、しんしんと降る粉雪にならなければ。」
と締めくくっていることは、いただけません。

 

 

 
記事全体の中で、明らかに浮いた箇所です。
私はここの箇所を読んで、「熊谷候補への批判」だと思いました。
それは私の勝手な邪推かもしれません。
しかし、投票日前日の3月20日(土)というデリケートなタイミングで、こんなコメントをわざわざ最後に付す必要があるのかなと思いました。
私が抱いた疑問は、発言した森田知事に対してではなく、編集して掲載した記者の意図です。
(森田知事は、対抗馬である関候補を自らの後継者として明言していました。)

 

 
②投票日翌日の22日(月)29面には、「視点」の欄に「批判ではなく協調を」と題し、熊谷俊人氏が当選したことへの分析、そして(なぜか始まる前から)評価を展開しています(古賀大己記者)。
結論から言えば、
分析というか認識の枠組み自体が古いというか、現実にそぐわない、
そして根拠のない否定と、不可思議な「上から目線」…、こんな文章を社を代表して残して大丈夫か?と心配になりました。

 

 
では、その内容を具体的に上げると、
出だしから「自民党批判の風を一身に受け、…初当選」と短絡的な見解で始まります。(ここのあたりの分析は次回の投稿で)
そして、熊谷氏の政治手法を森田知事、県政、自民党批判をSNSで展開して知名度を上げたと。(SNSを極めて効果的に活用しているのは事実ですが、彼の批判を楽しみにしているのはマスコミや一部の他県住民。千葉市民も千葉県民も、帰宅困難者対応に典型的に見られた災害対策や、全国一斉休校時に学校預かりを行ったコロナ対策などの正しい情報をいち早くキャッチするためにフォローし、そして普段から市政について発信しているから継続している。)
だから「他人の批判はもういい。」などと、驕った表現で最後に締めくくろうとする。

 

 

 
他にも突っ込みどころ満載で、
「政権中枢との太いパイプで政策を実現してきた森田知事ほどの政治力も期待できないだろう。」
などと、恐ろしいことを明言してしまっています。
台風被害の折に菅首相(当時:官房長官)に被災地の首長さんと引き合わせたり、半壊被害を支援対象に盛り込ませたりしたことを、熊谷氏のツイッターのフォロワーに限らず、多くの県民は知っています。

 
それにしても、朝日新聞がここまで森田知事を評価していたとは、少し驚きました。
この部分、他の同僚記者さんも同意できるのでしょうか?
確かに、一昨年の台風での「私的視察」が展開された折に、辞任に追い込むような論陣を張るかと思いきや、真逆でしたから。
そして、一応私も議会人なので、議会についての言及箇所についてはほっとけません。この記事では、議会の過半数を占める自民党の協力がなければ課題は解決できないという書きぶり。このような経験は既に千葉市議会との関係でも熊谷氏が経験して乗り越えてきていることは、記者だったら当然知っているはずで、知らなければ、かなりヤバいです。
それに、向き合うべきは熊谷氏だけでなく議会もしかりで、しかも次に選挙があるのは熊谷氏ではなく、県会議員です。つまり、県民から問われるのは、どちらなのかということです。
はぁ、建設的な文章でないので疲労感というか徒労感がひどいです。
なぜ、このような記事が出たのか。

 
地方の独自性を認めず、認識の枠組みが国政の枠組みで、しかも与野党という分析枠組みとしては一番稚拙な枠組みにとらわれているからです。
または、熊谷氏が日頃からマスコミの報道の在り方についても率直な意見を発信するからでしょうか、それも無関係でない気がしますが、所詮は私の邪推です。
確かなのは、140万人以上の県民を見下してしまっていることです。
大量得票の前にひれ伏せよ、みたいなアホなことを言う気はありませんが、市民がエスタブリッシュメントに対して、その権威で沈黙している時代はとうに終わっているのに、
いまだに「上から目線で、自分だけが知っているかのように語ってしまう」状態です。
でも何もわかっていない。

 

 

 
なぜ、140万人以上もの千葉県民が熊谷氏に投票したのか、この全ての議論の出発点に対し、エビデンスなく、日頃の悪感情がルサンチマン状態になったままで、ペンを走らせ始めてしまったのではないかと思ってしまいます。
なので、次回は投票行動について考えてみようと思います。
あ、最初のお題を忘れるところでした。
この3月20日(土)と同月22日(月)の朝日新聞千葉首都圏版の二つの記事、かたや森田知事の談話、かたや記者の主張で、全く別のタイプの記事ですが、実は文章が同じ構造であったり、同じ主張であることはお分かりいただけたでしょうか。
ですから、森田知事の言葉を借りて、投票日前日に熊谷氏への批判を新聞紙上で展開していたわけですが、140万人以上の県民の方々が、その主張に「NO!」と突き付けたわけです。
では、この県知事選挙、負けたのは、だれ?

 

 

 

 

追記:上述の投稿を行って以降に、さらに朝日新聞で同種構造の記事(今泉奏記者)が出ました。

3月26日(金)の27面ちば首都圏版では、「森田知事、最後の定例会見」の欄に「熊谷氏 小池知事と似てる」という意味不明な見出しを付けて、森田知事による熊谷観を展開。
森田知事が約30分話したという3期12年の実績については、アクアラインに関する発言を数行にまとめただけで、森田知事に熊谷次期知事について語らせて、森田知事の熊谷観を記事の半分以上を割いて紹介。

 

 
「あんまり付き合いはない。」と森田知事が言っているにもかかわらず、「責任を人に転嫁して、誰かのせいだというのはよくない。」「ちょっと小池(百合子)東京都知事と似ていると思うことがよくある」とピックアップして、この見出しですね…。
同じ記者会見について、1期目のアクアラインだけでなく、2期目のオリパラ、トップセールス、3期目の…と会見の全体像を掲載した千葉日報と対照的です。

 

私は、マスコミが候補者を批判してはいけないとなどと言っているのではありません。発言者の意図どおり記事にしろというわけでもありません。

ただ、読者が情報源(今回は森田知事の記者会見)をたどらないと、情報源への基本的理解もおぼつかない状況を危惧しています。

その意味において、森田知事の口を借りて熊谷氏への批判や印象操作をするのは、在り方に疑問を感じた次第ですが、

その一方で、22日(月)の「視点」の「批判ではなく協調を」という記事は、新聞社としての自らの意見がはっきり書いてあり、驕っているとはいえ、人の口を借りずに自分の言葉で語っているので好感さえ持ちました。

ただし、その語り口は、まるで落選した陣営のコメントのようでした。

早々に神谷俊一候補の当選確実が報じられました。

 
当選確実の挨拶でも、まじめに政策を語っていました。
コロナ対策、防災、困難な状況にある子どもへの支援、県と連携…

 

 
これからが本番です。
市長になることが目的ではありません。

 

 
そして皆様に支援をお願いしてきた市議会議員としても、切磋琢磨して、二元代表で千葉市政が市民の皆様のご期待にこたえられるように、結果でおこたえしてまいります。!

本日は遊説最終日。
日中に稲毛駅のあと、最後は夜に千葉駅で。

 
あとは天命を待つのみ。
多くの方に支えられての、この2週間。
本当にありがとうございました。

 

 
投票日は荒天が予想されています。
お足もとに気を付けて、貴重な1票を千葉の未来のために!

後日追記:「本当に熊谷前市長は官僚経験者を否定したのか?市民が主役?千葉市長選挙!」を表題改めました。
(品がないというか、明らかにアクセス狙いの表題で、その役割を終えたため、本来の表題に)

 

いよいよ千葉市長選挙の投票日が迫ってきました。
今回の市長選は千葉県知事選とのダブル選挙になり、大変注目を集めています。

 

 

そんな最中、千葉では珍しくネガティブなビラ、ポスターも散見されます。
それが写真の2枚のビラです。
主張していることは共通していて、
「争点は、前市長が12年前に訴えた、「天下りエリート官僚が市長になるのをストップしよう!」を継続するか否か!」
だそうです。

 
今回の千葉市長選挙の候補者で、このようなテーマを争点にしている候補者はいないと思いますが・・・、届け出ビラの第1号も第2号でも全面的にこの主張をしているので、いわゆるこの確認団体「市民が主役の会」では重要視している点なのでしょう。
(おそらくどの陣営の「候補者」も、もっと政策や実績を訴えてほしいと、願っていると思いますが…。)

 

 

では、このビラに「前市長」として引用されている熊谷俊人前市長は、官僚経験のある市長についてどのように述べているか、少し過去の発言をたどってみました。
あたってみたのは熊谷前市長の著作、
①『青年市長が挑む市政改革―未来視点で大転換ー』(ぎょうせい)
②『公務員ってなんだ?最年少市長が見た地方行政の真実』(ワニブックスPLUS新書)
です。

 

 

 

まず、著書①では「今までの市長と自分とどう違うか」という観点から述べていました。
そこで、まず「行政マン出身の市長」にも「多くの長所はあるが」選挙に弱いケースがあり、組織や無党派に嫌われる政策を回避したりもすることを問題点として挙げています。

このように書くと「おっ、熊谷前市長はやはり官僚経験のある市長を否定?」などと早とちりしかねませんが、この文章では続けて、「政治家」つまり議員についても、次のように述べています。

 

 

「私が政治家になって改めて実感したのは、政治家の多くが血縁的・地縁的な背景や業界等との関わりを持っているということである。…こうしたつながりは一般的には「しがらみ」と形容され、…そうしたしがらみがあることによって「本当はこの選択肢の方がベストだが、立場上それは選べない」といった制約が増えてしまう可能性も否定できない。今の日本は国政も地方政治もそうした制約によって、正しい選択肢が選ばれてこなかったのではないだろうか。」(p.32)

 

 

このように政治家、議員について述べ、そして自らは「血縁的・地縁的・業界的なつながりがない自分だからこそ、この世界で貢献できる役割がある。」(同)としています。
つまり、行政出身者も、(特に地元の)政治家出身者も、メリット・デメリットはあるが、現在の自分は比較的それらのデメリットから逃れられているから、千葉市政の長年の課題にも取り組めるという趣旨です。

 

 

 

著書②でも同様の趣旨を展開しています。そして、「政治家と市長の違い」と題して、「私が政治の世界に入って実感することは、政治家の中には実務がまったくできない人も少なくないことです。もちろん、政治家は実務ができなくとも良い仕事はいくらでもできるのですが、組織を回し、実際の業務を執務する首長はある程度の実務能力やバランス感覚も求められます。両方の能力がバランス良く備わっていることが、首長の条件だと私は考えていました。」(p.143)

 

 

 

としており、官僚経験者を排除することを主眼としていないどころか、行政組織を動かす実務能力を重要視していることが伺えます。
そして、バランスよく備わることを「首長の条件」としていることからも、既に「属性」で首長の適性を述べることは不可能で、「人物本位」でしか語れないのだと感じます。

なので、やはり批判するなら「官僚経験者はだめ」ではなく、「神谷候補が官僚時代に行った○○という政策はダメ」と言うべきでしょうが、おそらくそのように批判できるネタがないのでしょう。

 

 

 

このように書くと大したことない、いま聞くと当たり前の話に聞こえるかもしれませんし、実際に、(当時の文脈ではなく)「現在の状況下では」これらのことを論じること自体が、あまり意味をなさない気がします。
いずれにせよ、これまでの内容だと、少なくとも官僚経験のある市長を否定しているとは到底思えませんし、そのようなキャッチフレーズも見当たりません。当時目立ったいわゆる勝手連的な個人や団体が(当時の熊谷候補に対し、当時の文脈での期待として)言っていたということはあり得ますが、それを「熊谷氏が訴えた」とするのは、かなり無理があるかと。
(このように周囲が言ったことを「熊谷氏が訴えた」ことにすると、「市民が主役の会」が書いたことは「小川候補が訴えた」ことになってしまいます。)

 

 

 

しかも、両ビラにはその理由として
「それは、中央官庁の役人は、市民の苦しさや気持ちがわからず感性に乏しいと言うのが理由だった。」
と明記していますが、この主張の出典も「?」ですが、論調の根拠はますます「???」となります。
(このような属性主義ともいうべき考え方自体が、もはや現代では許容されておらず(例えば「女性だから会議が長くなる」「中央官庁の役人だから感性が乏しい」等)、このような論調を持ち出すセンスが時代遅れかと。なので、私は血縁・地縁の象徴とされやすい二世議員を、それだけを理由に批判する気にはなれません。ちなみに、属性主義の対義語が業績主義です。)

 

 

 

それにしても、
熊谷としひと前千葉市長から千葉市政改革のバトンを託された「神谷しゅんいち」候補をディスるためのビラとはいえ、本来、気に入らないと思っているはずの熊谷前市長を、当面の批判のために持ち上げながら引用するという手法は、書き手に屈折した感情やルサンチマン現象をもたらしますので、精神衛生上お勧めできない方法です。
(結果的に、私のように熊谷前市長の著作をたどる千葉県民を増やしたり、官僚嫌いの市民を熊谷候補の票へと掘り起こしている気がしますが、陣営にとって本意なのでしょうか?)
(ちなみに、著書をたどると「無料は本当に良いサービスか」という表題文や、熊谷前市長が就任直後に、国から出向していた都市局長を副市長にして市政改革に成功した内容が書かれています。)

 

 

 

最後にひとこと、
今回、同日選となった県知事選挙では、熊谷候補と関候補の両確認団体のビラは、いずれも「彼にはこのような実績がある」「彼が知事になれば、こんなことができる」という内容となっており、そこに「ちばの未来」「ちばの希望」を感じました。
千葉市長選はいかがでしょうか?

 

 

 

一昔前とは異なり、現代の市民のメディアリテラシーにおいては、あまりにも稚拙なネガティブキャンペーンは、かえって、そこで持ち上げられている側の印象を下げ、
ディスられている方を持ち上げるという、発信者にとって逆の効果をもたらす傾向がありますが、
このようなネガティブキャンペーンで選挙情勢が浮き沈みすることは、一番必死になっている候補者の方々にとって本意ではなく、千葉市民にとっても望ましい現象ではないと思います。
(だれを支持しているかに関わらず、このようなネガティブキャンペーン自体に対して不快感を表明する市民は、結構多いという印象です。)

 

 

 

投票日まで残りわずかですが、市長選でも、知事選の確認団体のビラのように「ちばの未来、希望」を最後まで模索したいですし、そうあってほしいと願っています。
そうなれば、今回の千葉市長選そのものが、千葉市民のためになると思います。

 

 

 

 

#千葉市長選挙 #市民が主役 #千葉市

3月16日(火)の街頭演説会のひとコマ。
稲毛東公園に集まってくださったのは、稲毛東5丁目と同6丁目の住民の皆さま。

 
千葉市長選挙候補の「神谷しゅんいち」元千葉市副市長さんは、国で消防庁広域応援室長を務め、全国の災害対応の指揮を執った経験があります。

 

 
なぜこのような経歴を紹介したかというと、この地域は住宅が密集し、狭い道路が入り組んでおり、特に5丁目は千葉市で2か所のみが指定されている重点密集市街地だからです。
その地域性からか、地震から延焼火災への危機感や、消防車両が入ってこれないエリアへの初期消火活動など、非常に防災意識が高い地域で、平成30年8月に配布された感震ブレーカーも、自治会長を中心に地域で各戸設置に取り組み、95%以上の設置率を誇っています。

 

 
神谷候補の経験と、住民の生活に根差した防災意識で、これから一層、力を合わせてまちづくりをしていこうとの機運が高まった演説会となりました。

と言っても、政策云々以前に、横断幕でこのような歓迎を受けて、感激しない候補はいません。(「泣きそうです。」)

進行を務めた私が、前から見てザっと数えても50名以上の方が参加して聴いてくださり、さらにはその人だかりを見て、演説に惹きつけられるように、公園で遊んでいた20名前後のご家族が足を運んでくれました。

 

 

感染対策で声援なしの拍手だけの応援と、いつまでも続くグータッチと記念撮影の連続。住民の皆さまの温かい激励が染みました。
両自治会長さん、地域の皆様、本当にありがとうございました。

 

 

演説会の前には「必ず勝ってね、頑張って」だった激励が
終わった後には「私たちが勝たせるから、任せて」との言葉に変わっていました。

 

いよいよ残り2日です!

千葉市長選挙でのやや番外編ですが…
先日、「神谷しゅんいち」さんと稲毛区内で街頭演説を行った折、お昼ご飯を食べに行った千葉大学正門そばの「ラーメン太陽」さんで、井内清満さんと偶然、遭遇。奇跡の3ショット?!

 
店名通り太陽のように学生を励まし続けて36年の御夫婦とも、「神谷しゅんいち」さんと記念撮影。

 
井内清満さんは、ちば南東部地域若者サポートステーションを運営するNPO法人・友懇塾の理事長。ひきこもりや非行の若者のもとに飛んで駆け付け、その親も支える、千葉の青少年育成にこの人あり、の名士です。
(「幕張ビーチ花火フェスタ」の花火コーディネーターとしてTVに出演したり…とにかく、多方面での御活躍です。)
私の前職の少年院・少年鑑別所での少年へのガチンコ指導でも、議員生活において初出馬の時からも、大変お世話になった方です。

 

 
「神谷しゅんいち」さんは、今回の千葉市長選挙で、子どもルーム待機児童ゼロを目指すことや、ICTを活用した授業の実現、学校のトイレ洋式化だけでなく、児童相談所の増設による2か所体制、公立夜間中学の設置、発達障がい児への相談・支援体制の強化、不登校児童生徒へのフリースクール支援など、誰も置き去りにしない教育・児童福祉政策を毎回、演説で訴えています。

 
こんな二人が気が合わないわけがないですね。
私がニヤニヤしていたのは、ここの名物「(勝浦式)タンタンメン」が、いつもどおり美味しかっただけでなく、会うべき人同士が会ったからです。
これからの千葉市政が一層楽しみです。

10年前の3.11は仙台市の少年院で勤務していました。

前日の3月10日に、次の赴任地である千葉少年鑑別所に出向いて引継ぎを受け、翌3月11日の朝に千葉を出て、午後には仙台に戻り、現場で勤務していました。

 
当時のことをいろいろ思い、大変だったとか様々あり、これまでもブログに残してきましたが、
「あの時」「いるべき場所」「いたい場所」にいられて良かった、幸運だったというのが、偽りない心境です。

 

 
そして、災害そのものよりも、当時の自らが採った選択を、自分自身を責めている方がいることも知っています。
そのような方にかける言葉は、いまだに分かりませんが、そういう方がいること自体を忘れないようにしたいと思っています。

 

 
そして、仙台で生まれた娘に、「あの時」荒浜に押し寄せた津波の映像を、10年かかって今日、初めて見せました。
「見たい」と自分で言ったので。
成長を感じます。

 
う~ん、やはり、前から思っていますが、3.11は休日にしてもらいたいですね。

…振り返るのに、時間とエネルギーが必要です。

本日は、千葉市長選挙候補者である「神谷しゅんいち」さんと、稲毛駅での朝の駅頭活動から、稲毛区内(午前はイオン稲毛店前、干場公園そば、ファミールハイツ、スキップ天台(ベルクス稲毛天台店前)、夜は小松崎文嘉市議と合流して、ワンズモール長沼店前、ヤオコー前等)で街頭演説会を実施しました。

 
限られた告知にもかかわらず、各地で皆様に足を運んでいただき、温かいご声援を頂きました。大変ありがとうございました。

インコも聴いていたので、「外に出てきて、逃げないの?」と思わず心配しましたが、最後まで御清聴頂き、インコにも感謝です。

 

千葉市長には、「神谷しゅんいち」元千葉市副市長を押し上げて頂きますよう、なにとぞお願いいたします!

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稲毛区 櫻井秀夫