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稲毛区 櫻井秀夫
hsakurai2016@yahoo.co.jp

ネガキャンに千葉市は負けない

後日追記:「本当に熊谷前市長は官僚経験者を否定したのか?市民が主役?千葉市長選挙!」を表題改めました。
(品がないというか、明らかにアクセス狙いの表題で、その役割を終えたため、本来の表題に)

 

いよいよ千葉市長選挙の投票日が迫ってきました。
今回の市長選は千葉県知事選とのダブル選挙になり、大変注目を集めています。

 

 

そんな最中、千葉では珍しくネガティブなビラ、ポスターも散見されます。
それが写真の2枚のビラです。
主張していることは共通していて、
「争点は、前市長が12年前に訴えた、「天下りエリート官僚が市長になるのをストップしよう!」を継続するか否か!」
だそうです。

 
今回の千葉市長選挙の候補者で、このようなテーマを争点にしている候補者はいないと思いますが・・・、届け出ビラの第1号も第2号でも全面的にこの主張をしているので、いわゆるこの確認団体「市民が主役の会」では重要視している点なのでしょう。
(おそらくどの陣営の「候補者」も、もっと政策や実績を訴えてほしいと、願っていると思いますが…。)

 

 

では、このビラに「前市長」として引用されている熊谷俊人前市長は、官僚経験のある市長についてどのように述べているか、少し過去の発言をたどってみました。
あたってみたのは熊谷前市長の著作、
①『青年市長が挑む市政改革―未来視点で大転換ー』(ぎょうせい)
②『公務員ってなんだ?最年少市長が見た地方行政の真実』(ワニブックスPLUS新書)
です。

 

 

 

まず、著書①では「今までの市長と自分とどう違うか」という観点から述べていました。
そこで、まず「行政マン出身の市長」にも「多くの長所はあるが」選挙に弱いケースがあり、組織や無党派に嫌われる政策を回避したりもすることを問題点として挙げています。

このように書くと「おっ、熊谷前市長はやはり官僚経験のある市長を否定?」などと早とちりしかねませんが、この文章では続けて、「政治家」つまり議員についても、次のように述べています。

 

 

「私が政治家になって改めて実感したのは、政治家の多くが血縁的・地縁的な背景や業界等との関わりを持っているということである。…こうしたつながりは一般的には「しがらみ」と形容され、…そうしたしがらみがあることによって「本当はこの選択肢の方がベストだが、立場上それは選べない」といった制約が増えてしまう可能性も否定できない。今の日本は国政も地方政治もそうした制約によって、正しい選択肢が選ばれてこなかったのではないだろうか。」(p.32)

 

 

このように政治家、議員について述べ、そして自らは「血縁的・地縁的・業界的なつながりがない自分だからこそ、この世界で貢献できる役割がある。」(同)としています。
つまり、行政出身者も、(特に地元の)政治家出身者も、メリット・デメリットはあるが、現在の自分は比較的それらのデメリットから逃れられているから、千葉市政の長年の課題にも取り組めるという趣旨です。

 

 

 

著書②でも同様の趣旨を展開しています。そして、「政治家と市長の違い」と題して、「私が政治の世界に入って実感することは、政治家の中には実務がまったくできない人も少なくないことです。もちろん、政治家は実務ができなくとも良い仕事はいくらでもできるのですが、組織を回し、実際の業務を執務する首長はある程度の実務能力やバランス感覚も求められます。両方の能力がバランス良く備わっていることが、首長の条件だと私は考えていました。」(p.143)

 

 

 

としており、官僚経験者を排除することを主眼としていないどころか、行政組織を動かす実務能力を重要視していることが伺えます。
そして、バランスよく備わることを「首長の条件」としていることからも、既に「属性」で首長の適性を述べることは不可能で、「人物本位」でしか語れないのだと感じます。

なので、やはり批判するなら「官僚経験者はだめ」ではなく、「神谷候補が官僚時代に行った○○という政策はダメ」と言うべきでしょうが、おそらくそのように批判できるネタがないのでしょう。

 

 

 

このように書くと大したことない、いま聞くと当たり前の話に聞こえるかもしれませんし、実際に、(当時の文脈ではなく)「現在の状況下では」これらのことを論じること自体が、あまり意味をなさない気がします。
いずれにせよ、これまでの内容だと、少なくとも官僚経験のある市長を否定しているとは到底思えませんし、そのようなキャッチフレーズも見当たりません。当時目立ったいわゆる勝手連的な個人や団体が(当時の熊谷候補に対し、当時の文脈での期待として)言っていたということはあり得ますが、それを「熊谷氏が訴えた」とするのは、かなり無理があるかと。
(このように周囲が言ったことを「熊谷氏が訴えた」ことにすると、「市民が主役の会」が書いたことは「小川候補が訴えた」ことになってしまいます。)

 

 

 

しかも、両ビラにはその理由として
「それは、中央官庁の役人は、市民の苦しさや気持ちがわからず感性に乏しいと言うのが理由だった。」
と明記していますが、この主張の出典も「?」ですが、論調の根拠はますます「???」となります。
(このような属性主義ともいうべき考え方自体が、もはや現代では許容されておらず(例えば「女性だから会議が長くなる」「中央官庁の役人だから感性が乏しい」等)、このような論調を持ち出すセンスが時代遅れかと。なので、私は血縁・地縁の象徴とされやすい二世議員を、それだけを理由に批判する気にはなれません。ちなみに、属性主義の対義語が業績主義です。)

 

 

 

それにしても、
熊谷としひと前千葉市長から千葉市政改革のバトンを託された「神谷しゅんいち」候補をディスるためのビラとはいえ、本来、気に入らないと思っているはずの熊谷前市長を、当面の批判のために持ち上げながら引用するという手法は、書き手に屈折した感情やルサンチマン現象をもたらしますので、精神衛生上お勧めできない方法です。
(結果的に、私のように熊谷前市長の著作をたどる千葉県民を増やしたり、官僚嫌いの市民を熊谷候補の票へと掘り起こしている気がしますが、陣営にとって本意なのでしょうか?)
(ちなみに、著書をたどると「無料は本当に良いサービスか」という表題文や、熊谷前市長が就任直後に、国から出向していた都市局長を副市長にして市政改革に成功した内容が書かれています。)

 

 

 

最後にひとこと、
今回、同日選となった県知事選挙では、熊谷候補と関候補の両確認団体のビラは、いずれも「彼にはこのような実績がある」「彼が知事になれば、こんなことができる」という内容となっており、そこに「ちばの未来」「ちばの希望」を感じました。
千葉市長選はいかがでしょうか?

 

 

 

一昔前とは異なり、現代の市民のメディアリテラシーにおいては、あまりにも稚拙なネガティブキャンペーンは、かえって、そこで持ち上げられている側の印象を下げ、
ディスられている方を持ち上げるという、発信者にとって逆の効果をもたらす傾向がありますが、
このようなネガティブキャンペーンで選挙情勢が浮き沈みすることは、一番必死になっている候補者の方々にとって本意ではなく、千葉市民にとっても望ましい現象ではないと思います。
(だれを支持しているかに関わらず、このようなネガティブキャンペーン自体に対して不快感を表明する市民は、結構多いという印象です。)

 

 

 

投票日まで残りわずかですが、市長選でも、知事選の確認団体のビラのように「ちばの未来、希望」を最後まで模索したいですし、そうあってほしいと願っています。
そうなれば、今回の千葉市長選そのものが、千葉市民のためになると思います。

 

 

 

 

#千葉市長選挙 #市民が主役 #千葉市

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