千葉市は昨年まで2年連続待機児童ゼロを達成し、市のブランドともなっていましたが、本年度は待機児童数が「11名」になり、3年連続ゼロということにはなりませんでした。
待機児童なんてまやかしで、いわゆる隠れ待機児童、入所待ち児童が昨年の同時期にも314名いたとの御批判もあります。しかし、市議会で先進市として何かと紹介される横浜市の同時期の入所待ち児童は2384名、福岡市も1116名いたことを考えると、隠れ待機児童の観点からでも、千葉市は極めて善戦していたことが分かります。(横浜市は、2013年に待機児童ゼロを先駆けて達成しましたが、その後に希望者が流入し、半年後から待機児童が急増しています。)
では、どうして、千葉市でさえも待機児童ゼロにならなかったのか。
その要因としては、入所申込者数が昨年度から800人以上もさらに増えて、15000人以上に達したことや、その一方で保育士の確保が困難で、公立保育所に至っては保育士の最大受入人数が781名も昨年度比で減少していることが、用地確保の困難と併せて挙げられています。
全国的にも待機児童の問題は議論になっており(実は、待機児童のかなりが大都市の問題ですが。)、政府に対する批判もよく耳にします。政府の緊急対策についても、「保育の質を低下させる」等の批判がありますが、地方議員は一緒になって政府批判をしている場合ではありません。
なぜならば、政府の緊急対策には、待機児童の問題が深刻な地域については、地方が独自に行っている規制の見直しを求めているからです。ある意味、政府は保育の質を低下させて待機児童を減らせと言っているのではなく、国の基準よりも高い質を保ちながら待機児童で困っているような地域に対しては、自分で自分の首を勝手に絞めている現状を、自分で一度よく考えなさい、と言っているようにも聞こえます。
つまり、地方にもボールは投げられているのです。
千葉市は、単に待機児童ゼロの「量」だけでなく、定員や面積基準を国よりも厳しく設定するなど「質」の確保にもこだわってきました。
この在り方について、議会で現実的な議論をしなければならないと感じています。耳触りのいい議論ではなく、量か質のどちらかに我慢を求める判断をするのか、それとも別の実現可能な対案を考えるか。どうやら千葉市は、今後も質と量の両方を追求するための施策を模索するようです。その姿勢を買いますし、私も自分なりの観点を検討してますが、かなりキメ細かい議論の必要性を感じます。
そして、千葉県内の某市で起きた保育所建設反対運動も見据えると、地方自治体や地方議員だけでなく、地域住民の方々にもボールは投げられているのかもしれません。
住民運動の在り方も含めて、この千葉県内某市の件は、「本当に双方が妥結できない案件だったのか?」、今後のために検証した方がよい気がします。
いつのまにか、保育所でさえも総論賛成、各論反対の迷惑施設になりつつあるようです。でも、保育所は社会全体にとっても必要な存在となっています。
つまり、社会全員に対してボールは投げられているということになります。首相や市長、業者や自治体を責めても到底解決しない問題です。
市民に各種データ等の情報を公開した上で、社会全体で責任ある議論が必要であり、その場が地方議会ということになります。