2月5日(金)に千葉市稲毛区の轟小学校で模擬選挙が行われました。

小学校での模擬選挙は以前から行われていましたが、昨年、初めて行われた轟中学校での模擬選挙を見学させていただいたこともあり、大変興味深く拝見させていただきました。
写真は、参加児童に配布された架空の選挙公報です。
空き地利用について、図書館建設が公約の唯一の女性候補・山田さん、公園建設を訴える鈴木さん、市立総合病院を公約として掲げる田中さん、千葉県弁護士会の方々が演じる市長候補であるそれぞれの演説が行われ、その後、参加した5年生と6年生による投票が行われました。
大事なのは模擬選挙の投票結果などではなく、中学生よりもはるかに挙手して質問するなど、積極的な児童の姿勢とかそういうことでしょうが、私には投票結果が衝撃的でした。

その場にいた私は、「病院建設の田中さんのダブルスコアでの勝利」を予想しました。
きちんと丁寧かつ具体的に分かりやすく公約を伝え、市民負担も率直に話し、触れ合う時間でも児童の目線まで身体を曲げて話し掛け、とにかく丁寧に対応されている様子が印象的で、児童からの質問も田中さんに集中し、露骨に行列ができていました。

しかし、結果は図書館建設の山田さんが79票、公園建設の鈴木さんが29票、総合病院の田中さんが74票で、図書館建設の女性候補・山田さんが市長として選ばれました。
山田さんの魅力がひきつけたのか、田中さんが率直に示した市民一人当たり2万円負担という具体的な数字が児童には高額すぎたのか、理由は分かりません。
小学校の模擬選挙で本来考えるべきは子どもへの主権者教育、選挙啓発なのに、真面目に選挙の難しさや投票結果の意外性を考え込む自分が滑稽でもあります。

また、模擬選挙の運営について、ひたすらご苦労様でしたと言いたいのですが、今後、気を付けたいことも感じました。
選挙を語ることって、本当に難しいですね。

まず、よく、日本は学校で政治が議論されないから、今回の18歳選挙の制度改革でその風土を変えるなんて言いますが、私は違和感を覚えます。
若い人に政治だけを語れ、なんて、そんな都合の良い大人の議論は違うなという気がします。
政治というのは、自らの主義・信条の一部にしか過ぎません。
個人の信条には文化的趣向、性的趣向、宗教、民族的主張等々、様々な領域があり、それらを自由闊達に議論できる土壌こそが必要であると考えます。
つまり、それらの様々な信条を率直に言える雰囲気がないのに、あえて政治だけを語るのは不自然だし、
逆に、それらの信条を語れる雰囲気があれば、自ずと政治「も」議論の対象になるはずです。
私は、自分自身の宗教的信条を自然に表現しにくい雰囲気を日本社会で幼少期から感じていたことや、少数民族の方々が自己表明しにくい日本社会の雰囲気を学生時代に感じていたので、そのように考えます。

また、勝って政権を守る、勝って政権を変えるということを子どもに伝えるのも極めて一面的で、
子どもに伝えるべきは「選挙は民主主義を支えるうえで圧倒的に重要な制度であること、民衆が歴史的に勝ち取ってきた権利であること、自分たちが平等に意思表示できる権利であること、それ自体が社会を支えること。」だと思います。

そして、よく耳にする「投票に行ったって、どうせ自分の1票くらいじゃ、政治は変わらない」という声には、重要ないくつかの誤りがあると思います。
①確かに1票では変わらない時がありますが、変えたいならその1票を2票、3票にする行動も選挙活動です。自分の意思を広げる活動も認められています。
②「政権を変えること」が選挙の目的ではなく、それは結果の一つです。「変えないこと」「守ること」も含めて、本義は「自らが社会を支える行為」だということです。
③当選しなければ意味がないのは一義的には正解ですが、落選票も「無駄」ではありません。大切な意思表示になっています。僅差であればなおさらです。僅差の落選票を無視した政治は必ずしっぺ返しを食らいます。(近年の民主党政権はその典型です。)

話がややそれましたが、最後にお伝えしたいのは、子どもたちの中で「落選者」役の振る舞いに注目している子がいたということでした。
子どもは本当によく大人の姿を見ています。自ら襟を正したくなる想いでした。

 

IMG_4990

コメントは受付けていません。

ブログバックナンバー
モバイルQRコード
スマホでQRコードを読み込んでいただくと、ホームぺージをスマホでご覧いただけます。
サイト管理者
稲毛区 櫻井秀夫