バックナンバー 2015年 8月

 いよいよ、9月4日から召集される平成27年第3回千葉市議会定例会での通告期間が迫って参りました。通告、つまり、議会質問へのエントリーということです。
 議会質問の順番、日時等が決まりましたら、また御連絡させていただきます。当然、質問事項も。
 ということは、今回も一般質問させていただく予定ということで(必ずしも、毎回質問をするとは限りません。)、頑張りますっ(焦)

 本年は1年生議員として、稲毛区内の数多くの盆踊りに参加させていただきました。初めての経験で、オロオロ、モタモタしていたり、挨拶でテンション上がりすぎたりと、大変失礼しました(^_^;)
 祭り一つとっても、同じようなものはなく、各地域それぞれでした。ホントに都会的な雰囲気の祭りもあれば、民俗学者が喜ぶような農村的な雰囲気そのままの地域もあり、稲毛区が千葉の縮図と言われる所以も感じました。
 本年の猛暑の中で準備に当たっていただいた関係者の方々や、お声を掛けていただいた方々に感謝するとともに、来年は、自分も少しくらいは踊りが上手くなりたいと思った次第です(-_-;)
 大変ありがとうございました!
 ・・・「いな~げ、なげなげ、いな~げ、なげなげ…」まだ頭の中を回ってます・・・

 本日午前、JR千葉駅前にて、公明党千葉市議団と田村こうさく県議による終戦記念日の街頭演説会を行いました。
 私の方からは、本年は特に70回目という節目を迎えたことから、これまでの平和への各党のアプローチを総括する視点として、
①平和憲法を護る
②現実社会の、国民の生命・財産を守る

この当たり前の二つの観点を提唱させていただきました。

 しかしながら、日本の戦後政治史を振り返ると、当たり前に見えるこの二つの視点でなく、どちらか一方のみを主張する政党ばかりではなかったのか、というのが私の主張です。
 つまり、平和憲法堅持を前提に、野党時代から自衛隊も合憲と認めて運用を整備し、中国との国交正常化・友好にも常に先頭を切ってきた、これらを両立させて、同時に叶えようと、事実として汗を流してきたのは公明党だけであり、今後もその両立するアプローチを継承していくことを訴えました。
 お盆休みにもかかわらず、耳を傾けて頂いた方々に大変感謝申し上げます。ありがとうございました!

 本日、東京の後輩がわざわざ自宅を訪ねてくれました。しかも素敵なワイフを連れて。後輩と言っても、私が30代、彼が20代の青年時代を共に闘った盟友です。幸せな姿は何よりも嬉しく、励みになります。
 それにしても、貴重な限られた再会時間だったのに、以前、会合のアトラクションのために、本当の寿司職人さんの服を借り、シブがき隊の「スシ食いねぇ」のCDを借り、寿司の本を買い、寿司の絵を描いたり等々、死力を尽くして?一緒に寿司職人の役作りをした思い出話…もっと大事な話があったのでは?!しかも写真も撮り忘れた!!

 写真は、かの有名な天安門広場です。

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    私が大学生の頃、1989年6月4日にいわゆる天安門事件が起こりました。
    許せないという心情が私の中にこみ上げました。若者、特に学生のデモに銃を向けた中国政府に対して。

 私は国際政治の専門書や刊行物なども当時は読んでおり、少しは勉強していたつもりでした。
 「どう考えても、中国政府の対応は許せない。」
 やり場のない義憤は、そのうち自分の大学で中国政府への抗議行動をしようとの欲求へと変わっていきました。自分の意見は絶対正しい!との自信がありました。

 しかし、自分の自信とは裏腹に、周囲は事件への怒りはあっても、抗議行動へは同調してくれない印象でした。それが周囲への苛立ちへと変わりました。
 「こんな自明なことも分からない奴は馬鹿だ。」とさえ思うようになりました。
 平和、非暴力…間違いなく正義は自分にある。しかも10対0くらいの自信で。

 それに対し、自分に賛同しない相手は、世界に関心がない狭い世界のひと、自己中、組織のいいなり、何も考えていない、周囲に同調するだけ、自分の意見がない、平和思想に反している等々、あらゆるタームを駆使して、なぜか見下すようになりました。自分に同調してくれる人だけしか、自分の中に受け入れられなくなっていました。もちろん、自分の考えと異なる人とは頻繁に話してましたが、それは自分の考えに同調させるためだけの目的であり、その自信がある時だけでした。

 敵は中国政府なのか、自分の「素晴らしい」考えを認めない周囲なのか、よく分からなくなっていました。

 そんなときに、中国からの留学生と話す機会がありました。そこには、大陸からの学生も、台湾からの学生もいました。特にその中の二人は印象的で、それぞれの同郷グループのリーダー的存在の学生でした。本国政府は互いに対立している彼ら同士が、同じ大学に留学し、友人として一緒に学び合っている姿自体が奇跡的な尊い実相ですが、当時の私の関心は、彼らが中国政府を非難するのか、かばうのか、それだけでした。

 日頃は人格者だと思っていた彼らは、なんと笑いながら私を責めました(!)。
 「幼稚」「無責任」「自己満足」「自らの言動がどこに向かっているのか、何を目指しているのか、考えたことがない典型的な学生」「で、結局、何がしたいの?」「何を達成したいの?」「そこにたどりつくなら、やればいい」「やりたければどうぞ、勝手に」「でも私や私の同胞に迷惑なので、ことさら大学名は出さないでね」「だれに一番迷惑かかるか」等々。

 今思えば、聞くに堪えない余りにもひどい発言(泣)ですが、私は意外にも素直に聞いていました。
 正直言って、自分でも、こんなに他人に対して「ささくれ立っている心境」や「優越に浸る心境」「変な高揚感」の波が交互に襲うのって、それ自体、全く平和じゃないよな…と、どこかで気付いていました。自分の内面と世界が別物ではなく、連動する平和観なので。

 それに比べて、彼らは、家族や地域、時には国家とか見据えて、自分の立ち位置にビジョンを持っていました。
 完敗?気持ちいいくらい。
 彼らが大人とかじゃなくて、学ぶ目的をちゃんと持ってるというか、自分に課していたというか。その幹があるから、他人の言葉や考えや、時には他人の努力にさえ便乗しちゃう、「それくらい当たり前でしょ、目的地に向かうには。」と言わんばかりに。

 それに比べたら、自分は「自分教」っていう感じでした。大事なのは自分の意見、自分の考え、それらから成る「自分の素晴らしさ」が大事。自分がとっても可愛い、もちろん間違いじゃない気もする。でも、別の美辞麗句で飾りながらも、自己愛が自己目的化すると見苦しい以上に、彼ら「当事者に迷惑だ」と気付かされました…。

 ほとぼりが冷め、しばらくすると、中国への交流団として訪中していた(日本の)先輩から話を聴きました。
 「すごい歓迎ぶりだった。中国も苦しかったんだ。天安門事件で心を痛めている人が多くいたと思う…。」
 私に話してくれた、あの二人の留学生の顔が浮かびました。彼らも苦しんでいたに違いない、きっと。苦しんでいたからこそ、あのような発言を私に浴びせたのでは…。

 それから15年くらい経った頃、今から10年も前でしょうか、天安門広場に行く機会がありました。
 天安門事件のとき、自分は抗議運動をしなかった。意気地なし?行動力がない?でも、中国の人といつもより少し深い友達になれた…、実は、それが国際問題を考える際には、すごく深いところで自分を支えていました。

 さらに、やはり青年時代に、北京にある抗日人民戦争記念館に行きました。少し緊張しました。

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 予想通り、日本人が(文字だけでなくビジュアルでも)かなり悪者で描かれていました。でも、思ったより、違和感なく、その場にいられました。もちろん、私がいわゆる日本人であることに気付いた入館者は、「あっ」という表情で反応しており、一瞬、緊張というか、気まずさが漂った気もしますが,少なくとも罵声もなかったですし(笑)浴びていても、中国語なので理解できなかっただけかもしれません。

 余談ですが、誤解を恐れずに言うと、沖縄に行った時より、よっぽど自分という存在の座りがいいというか…沖縄の方が、はるかに辛かった気がします。先の大戦に関する歴史観が重要であることは言うまでもありませんが、身体感覚として、沖縄に対する後ろめたさの方が、当事者感というか、現在進行形感があるのかもしれません。

 で、また別の話ですが、
 私が東京都練馬区に住んでいた頃、氷川台に行きつけの居酒屋「だいこん」という店がありました。
 そこの女将さんは上海から来た方でした。私も妻も友人も仲良くなりました。私は、隠れメニューの上海餃子をしょっちゅう頼んでました。

 あるとき、夫婦で中国に観光に行きたいという話題になり、上海に住んでいる女将さんの弟さんに会ってくる!などという変なノリになりました。
 で、本当に行ってしまいました。お姉さんが日本の居酒屋で頑張っている様子を、写真と言葉で上海の弟さんに伝えました。大変喜んでいただきましたが、結果的に、現地では申し訳ないくらい、大変お世話になってしまいました(^_^;)
 帰国して、女将さんに御礼するとともに、弟さんの話題で話に花が咲いたことは言うまでもありません。

 結局、私は学生時代に抗議行動をせずに、意見を替えた根性なし、行動力のない根性なしと言うべき男かもしれませんが、抗日人民戦争記念館に行ったり、上海出身の女将の家族に会いに行ったり、実は、そんな行動の方が、自分の平和観には合っていますし、すごくしっくりきています。

 もちろん、中国にだっていろんな人はいると思います。女将の弟さんみたいな人ばかりでなく、おそらく、ウマが合わない人も。
 そして、軍部の一部には、一般論として反日で好戦的な人もいるに違いない、というか、普通に考えればいますよね?いないと考える方が無理があるし、無理に理想的に想定する必要もなく、中国(政府)に自分たちの理想や願望を押し付ける必要もないと思います。

 でも、それは日本の政治にも似たような現象はあると思います。
 そして、時には、天安門事件のように「妙な裏切られた感」を、今後も「互いに」持つ可能性は否定できません。

 それでも平和を追求しようと思います。迷いなく。

 本日、江東区役所に一人で視察に行って参りました。ということは…次の議会質問への作業でバタバタしている感じです。内容は、まさに大詰めの時期なので、月末に。
 
 出勤人員が少なくなる業務多忙の時期に、しかも新人の一人視察にも関わらず、丁寧かつ率直に対応していただいた江東区役所の方々に大変感謝申し上げます。ありがとうございました。
 実は、様々な視察に行かせていただいているにも関わらず、投稿が追い付かないことを、この場を借りてお詫び申し上げます。仕事で視察の成果を発揮できるように頑張ります。
 それにしても、江東区役所のトイレに置いてあった白いゴキブリホイホイに、「調査中 手をふれないで下さい」って、活字で書いてあることに心から感銘しました。
 私のツボです。

 30代までは旅行好きでした。しかも、不謹慎と思われるかもしれませんが、いわゆるダークツーリズムと言われる、戦争被害の跡地をめぐる「観光」も含まれます。
 自分が行った先は、最近渦中の広島原爆ドーム,長崎平和公園,海外ではポーランドのアウシュヴィッツやワルシャワ,北京の抗日人民戦争記念館等々です。(行かせてくれた?練馬区の同志に感謝。)
 私自身は「大人の社会見学」と呼んでいますが、どう呼ぶにせよ、悪趣味で生理的に受けつけないという方もいるかもしれません。なので、写真は変哲のない空き缶の山を選びましたが、この写真はナチスによる大量殺戮で有名なアウシュヴィッツで撮ったものです。
 ナチスが殺戮に使用したとされる写真のガス缶(あえて、ねつ造論争のあるガス缶にしました)だけでなく、殺戮された死者の金歯やメガネ、髪の毛、靴等、ここの展示の独特な手法は、それら物品について、その圧倒的な量を巨大なケースに無造作にぶち込んで見せるやり方であることは、以前、投稿させていただいたとおりです。この写真の髪の毛バージョンは結構キツイので、載せませんでした。
 
 ダークツーリズムにより、戦争への嫌悪感や恐怖心が身体に刻まれる効果があるかもしれませんし、「ここまで人間は残虐になってしまうのか」と間違いなく学べます。
 でも、別にダークツーリズムに行ったから平和や反戦が進むとは言い切れません。人間や特定の国家に対する憎悪や不信、落胆を引き起こす可能性もあり、ダークツーリズムにより個人の意識が必ず「反戦」の方向に向くなどというのは、根拠のない話です。
 
 何が言いたいのか。
 要は、「反戦」とは戦争に反対することのみで成立するのではなく、「平和への思想」、「人間を信じる人間観(あえてトートロジックな表現にしました)」によって成立すると考えます。
 当たり前のことと思われるかもしれませんが、このような残虐なことをしたナチスも人間であり、大量虐殺ジェノサイドは「同じ人間」の所業です。
 ダークツーリズムは、
 「人間はこんなにも残虐な行動をとれてしまう。それでも人間を信じますか。」と私に問いかけます。
 私は答えたいと思います。
 「人類の歴史を見れば、無防備に信じることは到底できません。私にも守るべき友人、家族、御近所さん等々いますから。
 でも、両サイドの理想主義者は私を咎めるかもしれませんが、
 
 最低限の自らの安全を確保したうえで、
 守るべき安全を確保したことにより、可能な限り、じっくりと腰を据えて、
 
 私は、「その人間」を信じ続けて、対話の行動を続けます。それが政治における平和への私の考え方です。」
 これは「人間」を「非行少年」と読み替えても同じです。
 悩みながらも、本気で、そのように実践してきたつもりです。
 (唐突ですが、話はここから急に前職での経験になります。すいません・・・)
 
 そういう意味では、かかわってきた子どもたちにも謝らなければいけないかもしれません。
 なぜなら、私が現場で責任職についてからは、どんなに荒れた状態の子どもとも、丸腰で、笑顔で向き合う勇敢な上司として私が映ったとしても、実は、常に「安全第一」の万全の態勢を敷いた上での行動でした。
 
 でも、だからこそ、反発したり暴れたりする子にも、可能な限りではありますが、それなりに向き合ってこれた気がしますし、それに同僚の協力もあって、子どもも、自分も、同僚もけがをせず、「無事故」でやってこれた気がします。だから、私は特段「大きな器の」人間でもありません。臆病で平凡な人間です。
 (余談ですが、アニメ「機動戦士ガンダム」でカイ・シデンという男性の登場人物が、ア・バオア・クーで突撃するときに述べた、「こんな時は臆病なくらいがちょうどいいのよね。」というセリフが、35年たっても忘れられず、好きです(^_^;))
 前の職場に就職した直後は、「信じた子どもに殴られても、自分は子どもを信じるんだ」という気持ちでしたが、現場で暴力性と教育、健全育成という一見矛盾した要素に揉まれ、わずかながらも考えたのか、「殴らせてはいけない」「危機管理できない状況を作ってはいけない」と考え、それが「子どもを信じること」と矛盾しない感覚を、現場で自分なりに掴んでいきました。
 そして危機管理できない状況は、周囲にも迷惑をかけ、そして何よりも、その子を追い詰める結果になることを経験的に学びました。

 そういう意味でも、かかわってきた子どもたちや元同僚には、現在、大変感謝しています。
 私なりには、人間に対して性善説や性悪説に偏ることなく、両面を併せ持った複雑な実相として、自らの理想を押し付けずに、ありのままの現実を直視し、その上で根底に信ずる(敬う)気持と具体的行動を継続すること、これが自らが心掛けてきたことであり、政治の世界でも目指していきたい人間観です。
 しかしながら、まだまだ勉強中です。でも、試用期間はありません。
 常に勉強、常に向上、常に本番です。今後も御指導お願いいたします。
 
(追伸)今回の投稿は、明らかに、昨今の安保法制法案に係る議論に刺激を受けて書いてますが、自衛隊の運用に関する本法案の内容に限られたものではないので、本法案の具体的な内容に即して公明党の考え方を知りたいという方には、以下のサイトをお勧めします。
https://www.komei.or.jp/more/understand/shudanjiei.html
 法案に対しての私の詳細な考えは、街頭、学習会、家庭訪問でもやっていきますし、一部で既に行っているので、ここで載せるか不明です。それこそ大部です(泣笑)

 布団に入っている娘の後ろ姿に声を掛けようと近づいたら、サルのぬいぐるみ(通称ウッキー)だった(汗)
 かなり焦った。この取り違えは言い訳け不可能。もう少し、娘との接点を増やそうか…
 バタバタしながらも、娘のままごとに関心を持つように心がけると、ついつい、またもや質問したくなる。
 「なんで、このベビーカーは赤ちゃんだけなの?ベビーカーを押してる人がいるんじゃないの?」
 「自動ベビーカーなの!!」
 「えっ自動?? じゃあ、どうやって動くの?」
 「コンピューター!!コンピューターで、ぶつからないようになってんの!」
 やるじゃないか、ウッキー…じゃない、わが娘よ。言ってくれるね。
 どこで仕入れた知識か知らないが、恐ろしいことに、君は近未来を予言したかもしれない。
 でも、できることと、やっていいこととは別だ、それがテクノロジーの基本だ。うん、親らしい威厳のあるコトバだ。
 え?サルのぬいぐるみと見間違える親の言うことは聞けない?ウキッ、失礼しました…

 現在行われている千葉市のモノレールとアニメ番組とのコラボを、先日紹介しましたが、普通に通勤で利用しているせいか、車内でもいろいろ出くわします。これは8日(土)に投稿すべきでしたが、遅れてすいません。
 内容を見て、「へーっ、本当?」という感じですが、当たり前だったら、ごめんなさい…
 

ネットやSNSでの言葉の難しさを、この一週間再認識させられました。
 
 ちょうど一週間前に私は、「仙台での耳の痛い御意見」について触れました。
 それは「一言で言えば、様々な次元での「安全神話」への懐疑であり、それは、どうやって「人間を守る」のかという視点」と書きましたが、「耳が痛い」と書いたことにより、単に安保法案への賛否に関する声であると、読んだ方に思いこませてしまったようです(その思い込みを生むこと自体が、今回の議論をめぐる最大の問題点に感じます。)。
 より意図的に表現すると、この法案に賛成すれば「平和」がもたらされるという「安全神話」に対しても、この法案を廃案にすれば「反戦」になり、戦争から遠ざかるという「安全神話」に対しても、いずれにも懐疑の視線が向けられていたという実感です。(こう書くと、また誤解を招きかねないので明示すると、私は法案に賛成ですが、「平和」や「反戦」って、無関係とは言いませんが、こういう次元ではないと思っています。)
 それは、大震災や原発事故に直面し、「安全地帯」からの無責任な安全神話にはもうウンザリだ、という生々しいコトバ。
 それを、東北を過度に美化せず、謙抑的に表現したかったのですが、私が上手く表現できなかったようです。申し訳ありませんでした。
 そんな稚拙な私のホームページへのアクセス「人数」が、先日1万人を超えました。(アクセス「件数」は当然もっと多く戴いています。)
 一介の新人市議会議員、そんな素人が開設して8か月も経っていないサイトなのに、本当に感謝です。ありがとうございます(泣)
 言葉の難しさと向き合いながら、少しずつでも、確実に前に進んでいきます。今後もどうぞ宜しくお願い致します。

桜井拝

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稲毛区 櫻井秀夫