県議会議員選挙の予定候補者(千葉市花見川選挙区)である田村こうさくさんがFBで紹介してくださった、本年3月25日(水)の千葉日報7面の記事を写真で引用します。
これは、現職市長の逮捕という異常事態に市長職務を代行した藤代副市長が、先日の退任あいさつの際に当時を振り返り、公明党千葉市議団幹事長である近藤ちず子市議の「思いやり」に支えられたとの話題です。
この記事には「近藤ちず子」という名前は載っていませんが、
「当時副議長だった公明の女性市議」「元看護師である市議」
は、どう考えても近藤市議しかいません(笑)そこで、二つの疑問が浮かんできます。その答えは、あくまでも私の勝手な推測です。
まず、なぜ、その支えてくれた市議の名前を出さないのか。
選挙前というデリケートな時期に、特定の候補予定者の宣伝になるような記事は出せないということ?
では、なぜ、そのような微妙な時期にも関わらず、すぐに「近藤市議だ」と特定できるような表記にしたのか。
一般論ではなく、また他の議員でもなく(後から美談に便乗する議員は普通に存在する印象です。)、「まぎれもなくこの人(だけ)」だということを、はっきり後世に残したい、市民に明示したいという強い意志の表れということ?
推測なので不明ですが、いずれにせよ、私はこの記事から、静かではありますが、妙に強いポジティブな意思を感じました。
28日(土)の公明新聞3面に選挙区情勢が掲載されていた近藤市議からは、常日頃から「議員になっても普通の感覚でいることの大切さ」を教えていただいております。
中道とは「単に極端な考えや行動を排することではなく、“道に中(あた)る”と読むように、自分の判断や行動が「人間としての道」に反していないかどうか、常に問い直しながら、自分の生きる証を社会に刻み続ける生き方に本義がある」
この写真は、撮っている私が立っている場所は稲毛区ですが、被写体は全て花見川区です。その近さを感じていただけたらと思い、掲載しました。
なぜ、花見川区を気にするのか。その選挙区の公明党予定候補者である田村こうさくさんへの個人的な心情については、以前、3回にもわたり(!)掲載しました。そして、議論はとことん尽くし、行動は上下左右関係なく一枚岩の、「公明党という生き方」がそうさせるのだと思いますが、その点は全国不変で、話も長くなるので略します。
今回は、稲毛区の地理的な特性から一言。
田村さんは花見川区の総合病院がない医療体制の整備、そして大規模団地のリノベーション、教育体制の整備等々を訴えておられますが、それは全て稲毛区の生活にも直結するということです。
例えば、かなり使い勝手のいい山王病院は四街道市との境、国立医療センターは中央区ですが稲毛区から500メートルの場所にあり、更に先には千葉大学付属病院も。このように稲毛区は一見、四方に有名総合病院に囲まれ、医療設備には恵まれていますが、花見川区と接している西側は・・・。学校についても、稲毛区の児童・生徒が区の境を越えて、花見川区の学校に当たり前のように通っています。稲毛区との境にある花見川区の大規模団地は空き部屋が大変目立ちますが、この再開発、リノベーションの成否により、地域の活性化のみならず、この付近一帯の治安にも多大な影響を与えると私は見ています。
つまり、他人事でなく、自分のこと。
選挙は行政の区割りで行われますが、その線引きに関係なく、ヒトやモノは日常的に行き来しています。行政の
縦割りならぬ、横割り意識は実生活上は弊害をもたらすことさえあります。
逆に、稲毛区内のことでも、他区に影響大のことについては、花見川区だけでなく、四街道市や若葉区、中央区、美浜区の市議と普通に話をしますし、こちらから話していく必要があります。
地方議員であれば、自分の街の代表であるからこそ、自分の街の中でなく、隣接地域への意識、アンテナが求められる気がします。
今月、第95回地域社会貢献者の受賞が千葉市役所で発表されました。
昨年、このホームページでも紹介させていただいた、JR都賀駅で人命救助をされた小中台南の大学生 鈴木雅也さんが受賞されました。
大変おめでとうございます!
青年のすがすがしい話題は街を明るくしてくれます。
昨年の秋に、たまたま鈴木さんから人命救助の時のお話を拝聴する機会があり、このホームページで紹介させていただきました。
御覧頂いていない方は、ページ左側のサイドメニューに掲載しておりますブログのバックナンバーで、「12月28日」付けの投稿か、カテゴリー「街で出会った稲毛区の宝」から是非ともご覧ください。(下のリンクからも可能です。)
https://www.komei.or.jp/km/chibacity-sakurai-hideo/2014/12/28/122833/
千葉が全国に誇る千葉大学。稲毛区にあります。
当方もここの現役の大学院生(後期課程なので回数的にはあまり行ってませんが…)として学ばせて頂いており、ご紹介したいことは山ほどある楽しい大学ですが、今日は食堂のみ。
しかも料理の写真はなく、HALAL(ハラール)の説明書きのみ(???)
ハラールとは「許されたもの」という意味で、ハラール食とはイスラム教で禁忌とされている食材(豚肉やアルコール等々)を用いずに、調理された料理のようです。
千葉県や千葉市では、官民問わずイスラム市場への進出を目指し、昨年はこのハラール食の導入が話題になってましたが、過激派組織「イスラム国」による誘拐事件、続出するテロ事件関連の報道に押されてか、イスラム文化を尊重するこの話題が、余り取り上げられなくなった気がします…
千葉大学の学食ではいち早く導入され、食堂経営者と大学当局とイスラム教徒の留学生で協議しながら、継続しています。現代のいわゆる日本人の食文化だって、昔の人や他国の人から見れば、「なんでこんなの食べるんだ」「なんで食べないんだ」というのは当然ある。でも、誰だって自分の文化が配慮されていることを感じれば、おのずと距離感は縮まると思います。
いわゆる日本人のイスラム圏に対しての態度が複雑になっている、こんな時だからこそ、ハラール食を広めたいですね。
いわゆる日本が、(一部のテロ集団ではなく)多くのイスラム教徒やイスラム文化と敵対するどころか、尊重している姿勢の証しとして。
声高に資金援助の「人道性」を叫ぶのもいいのですが、地味でも私はこっちの路線です。
私は28年間、大手リベラル系新聞?を購読していますが、本日(3月21日)の朝刊に「自衛隊 海外活動拡大へ」という大きな見出しが出ました。
私がマスコミ情報に接する際には、以下のことを心がけてます。
①主語を意識して読む(要は、「誰の情報」「誰の意見」なのか)
②文節末尾の述語を意識して読む(要は、日本語は文節の先頭ではなく、改行前の、文節の最後の述語に結論があることが多い)
そんなの当たり前という声も聞こえてきそうですが、で、今朝の「1面」の「解説」の②は以下のとおりでした。
「安保政策の大転換に『つながる』」、
「(与党は?米国を)肩代わりする必要があると『考えているようだ。』」、
「自衛隊が相手からみて敵軍の一部と映る『懸念も増す。』」、
「本当に担保されるのか。その歯止めのかけ方が『なお問われている。』」
テーマがテーマだけに、慎重な議論を要するのは当たり前。
でも、私が付けたこの『』の言葉って、「1面の解説」で使える表現なのか?と思ってしまいました。述語としてはフワフワしすぎて、何も言ってないのでは?(その割には、各面の見出しだけは踊っていますが)
極端に言えば、今回の合意内容について「これはダメ」と言った具体的な問題が提示できず、執筆者が長年強く守ってきた考え方と異なることから生じる「不安」「焦り」で書いてしまったのでは?
…うがった見方かもしれませんが、これでは、内実のない集団的自衛権という言葉だけを盛り込もうと躍起になって、祖父の代からのトラウマを克服しようとした側と、政策上のベクトルは真逆でも、動因となった心的構造は同型ではないかと感じてしまいました。
私はこの解説から、逆に、今回の合意の枠組みをちゃんと守れば、問題はないという印象を持ちました。それを守るための国会の事前承認や国連決議ですが、それを法案に書き込む時にどうなるのか、私の関心はそこにあります。
今後もこの議論は「虚心坦懐」に接する必要がありそうです。
稲毛区長沼の街で出会ったクリーニング屋さん。外から見ると、普通のホワイト急便さんですが、店の中に入ると、写真のとおり、あらまぁ、小綺麗な畳の談話室が隣接されていること。お友達も自然体でくつろいでいて、快く撮影を受け入れてくれました。
高齢化社会ではこういう空間が大切になってくることは、誰しも気づいていること。実際、某コンビニがケアマネさんを常駐させて、町の拠点になる計画も、最近新聞で見ました。
その上で重要だと感じるのは、こういう「雰囲気」かと。この店の雰囲気を醸し出しているのは、このお店を営む大根さんの人柄によるところが大きい気がします。狙ってる感が全くなくて、本当にお友達のために。しかも小ざっぱりしていて綺麗好き。
あぁ~こういう畳に座って、茶ぁ飲むって、いいですね~
年度末の工事という古典的光景?
千葉県の公式PRキャラの「チーバ君」(赤色のキャラ)が、工事現場の立ち入り禁止区域を囲っていました。
工事用ヘルメットの男性が頭を下げる絵よりも、地元では知名度がかなり高いチーバ君の方が微笑ましい、そう感じる方も多いのでは。
ん?その手前にも何か絵が。こちらは千葉市の公式イメキャラの「ちはなちゃん」。ある意味、バッティング。
市民的には知名度の高いチーバ君だけでいいんじゃない?と思いたくなりますが、「千葉市ご当地キャラ」で検索すると最低8種類は出てきます。
そもそも、「「市」の発注工事なのに、なぜ「市」でなく「県」のキャラを使うのか?」という考えもあるかもしれません。そうです、チーバ君は「県」の公式キャラ。ちはなちゃんは「市」の公式キャラ。
公式キャラでさえも人気で淘汰できるような簡単な問題ではないようです。政令市行政と県行政との関係を想起させる光景でした。
ポイントは「何のため」にキャラを使うのか、利用者・市民・県民の立場に立って、「現場主義」で考える。その軸がちゃんとあれば、あとはアイドル的な総選挙でもやって、生き残りを賭けちゃってもいい気がします。
そう考えると、今回の軸は「工事現場の安全」。特に私が気になるのは「子どもにとっての安全」。そう考えると、チーバ君でも、ちはなちゃんでもない、第三の別の選択肢が見えてきます。
答えは議会で…
「「バカって言う人」がバカだよ!」
ある日、忘れ物をした妻に私が思わず、「バッカだな〜」と口走ったところ、奥の部屋にいた娘が血相を変えて走ってきました。
で、怖い顔で私にこの上記の言葉だけを言い放って、またテレビを見に去って行きました。
おぉこわ。
幼稚園で教わった言葉なのか?そんなことも聞けないくらい怒ってる…しかも、このパターンは2ヶ月前にもあった。なぜ、「バカ」という言葉にここまで反応…いや反発するのか。いずれにせよ、彼女なりの凄まじい正義感が伝わってくる。
格言的に言い直すと、
他者を愚かなりと見下す者こそ、他者から見下されるべき、真に愚かなる者なり
娘さん、こんな感じで、よろしいでしょうか?あ、自家製の四つ葉のクローバー、ありがとう。