昨年の5月13日東京出張の折、40年ぶりに、当時、大分商業高校、野球部のエース、得能勝君と東京の浜松町で再会した、コーヒーショップで、懐かしい話に花が咲いたが、話が尽きず、夜も会おうという事になり、酒を酌み交わしながらの楽しい時間となったが、どうしても、最終的に出てくる話題が、昭和47年、甲子園をかけた、夏の大会の話になる。当時は、大分・熊本の2県で、中九州大会があり、大分から2校、熊本から2校で、最終的に、1校が出場するという制度だった、結局、大商と津久見が勝ち上がり、延長10回、3t対2で負けた試合、これまでも、当時、大商・津久見といえば、数々の甲子園をかけた、死闘を繰り返してきた歴史がある。
以下は平成15年6月付の大分合同新聞の記事にこうあった。昭和42年・春の選抜で全国優勝した津久見もその年の夏の大会は大商に敗れて春・夏連覇の夢は消えた、当時大商は、吉良のドロップを打たなければ甲子園はないと徹底して吉良対策をやった。同じように、今度は津久見が2階から落ちるといわれた得能のカーブを打たなければ津久見の甲子園はないと、徹底したカーブ打ちをやった。
最終的に津久見は甲子園で全国優勝を成しと遂げるが、当時の大商の松田監督も「勝てると思っていたが勝負は厳しい」と一言、津久見の関係者も「もし大商が出場していてもベスト4以上には入っていたと思う」と話していたという。ライバルは互いの力を磨かせ県全体のレベルも引き上げた。以上大分合同新聞より抜粋。
私も当時、大商応援部で太鼓をたたいていた、当時の大商応援部は、野球部と一体で、まさに、野球部のための応援部だった。久しぶりに高校生の気持ちに帰り、当時を振り返り楽しい時間だった。
肥厚性硬膜炎患者宅を訪問
3月5日、公明党参議院議員の秋野公造氏と日出町議会議員、池田淳子氏と私、また、紹介者の佐藤さんご夫妻で、難病「肥厚性硬膜炎」に苦しむ岩尾正人さんの自宅(日出町藤原)を訪ね、病状や日常生活の問題点、要望をお聞きしました。肥厚性硬膜炎は、頭痛や難聴、視力障がいなどの脳神経麻痺や、ふらつき、手足の麻痺、けいれん等を起こす難病、岩尾さんは「手足が冷たくなったり、頭がもやもやする」と深刻な症状をお聞かせいただきました。
秋野氏は、公明党が推進してきた難病予算の増額などによって、この難病の原因が新潟大学で解明されたことに触れ、「研究の成果を医療現場で提供できるように尽力していく」と適切なアドバイスをしておりました。希少だからと言って難病指定からもれる様なことがないようにしたいと語り岩尾ご夫妻を激励しておりました。