
今週(23日から29日)は、実に移動の多い1週間でありました。
23日は故冬柴先生の「お別れの会」で尼崎へ行きました。
私が尼崎を訪れたのは、23年前に、先生の後援会の会合開催のために1度行って以来のことで、その折は第一秘書と私の二人は、当時のお住まいだった武庫之荘のご自宅に1泊させて頂きました。
冬柴家の家族は二男の大(ひろし)君と大学の同期でもあったので、良い家庭であることはある程度わかってはいましたが、奥様をはじめ、兄弟皆がお父さんを中心に思いやりのある明るい一家でありました。
久しぶりの再会が、先生の「お別れの会」となってしまったことが残念ではありましたが、2000人を超える会葬者が心から先生との別れを惜しんでいること、また、議員として弁護士として沢山の人から感謝される仕事をしてこられたことを、改めて感じることができました。
そして、私も冬柴先生のもとで僅かでも勤めさせて頂いた一人として、また、地方議員という立場に身を置く者として、人のために尽くす生き方を継承していきたいと思いました。
24日は四市議長会議員研修で津波についての勉強会に参加。
25日は党員さん方との議会報告会を開催。
26日・27日 木更津活性化特別委員会の視察で山口県(周南市)へ。
飛行機嫌いの渡辺的には1週間で4回も搭乗してしまい、ひいひい言いながらの移動でありました。
昨日は、娘の中学の24年度役員決めの話し合い。くじ運の悪い私は見事に「委員長」の責務をゲットしてしまい・・・。
本日は午前に県内の大学の同窓の集いで千葉へ。夕方は地元の区長会の新年会。というわけで、久方ぶりのブログはまとまりなく羅列しただけで終わってしまいそうですが、移動距離が長かった分だけ学ぶことも多かった1週間であったと感じています。
今日は娘の13回目の誕生日。私が自宅に居れる時間が少ないのは分かっていたので、前倒しでプレゼントやケーキやらは昨日までに終わっているのですが、娘が寝る前に彼女が誕生した日の様子とその日の私の思いを話しておきました。
時の経つのは、なんと速いことでしょうか・・・。
新年早々パソコンが壊れてしまい、すったもんだの末に新しいパソコンを購入致しました。
それでも、IE9では党のブログの更新がスムースにいかないことを知ったのがつい先日で、それまで何度打っても本文が更新されない状態が続いておりました。
というわけで、改めまして、本年もよろしくお願い申し上げます。
渡辺の2012年は、4日の新春駅頭挨拶からスタートしました。
それ以降は、市民相談・賀詞交換会・葬儀・消防団出初式・成人式・党行事等と続いております。
成人式では、元気の余った一部の男子成人達が、騒がしい場面がありましたが、新成人の表情は、気恥ずかしいやら、嬉しいやら、ウキウキした表情が印象的でした。
式典では、沢山の来賓方が挨拶するのですが、皆さんのスピーチを聞きながら、「自分だったらどんな言葉をおくるだろうか?」と考えてみました。
私の場合は、やはり「これからどんなことが有っても、だれも犯罪や事故の被害者にも加害者にもならないで欲しい」そして、「自分と周りの人の命を大切にして欲しい」という言葉になるだろうなと思うのでした。
昨年の3・11以来、色んな意味で社会の在りようや、人の生き方について深く思いを致す日本となりましたが、あれからもうすぐ1年が経とうとしています。
「復興元年」といわれる本年、心を新たにしながら、未来のために、少しでも良くなる結果を生み出せる仕事ができるように成長していきたいと切に思います。
私には4人の恩師がいます。
人生の師匠であります池田先生。
大学のゼミの教授 北先生。
高校のバスケ部顧問だった 故浜田先生。
そして、昨日逝去された 故冬柴先生。
冬柴先生は、かつての上司ですが、私が国政の一端に触れる機会を与えて下さった恩師であります。
20年以上も前のことですし、私設秘書としてお世話になったのは僅かな期間なのですが、当時のことは鮮明に憶えています。
冬柴先生は、当時はまだ衆議院議員としては1年生で、山口代表も弁護士出身同士とあって、議員会館の冬柴事務所には度々足を運んでみえていました。
私は、教職浪人中で働かせて頂きましたが、大してお役に立てず、ご迷惑ばかりおかけしたことと思います。
しかし、冬柴先生の最も素晴らしい姿勢であります(と私が感じている)誰に対しても笑顔で接すること。そして、人の悪口を言わないことで、どれ程職場環境が良かったことか。感謝の思いでいっぱいです。
若い頃に苦労をされ、苦学して弁護士となられた先生ですが、奥様(飾り気のない庶民的な奥様)や4人のお子さんたちに恵まれ、本当に素敵なご家族に支えられながら、最後まで使命を果たしきって逝かれたのだと思います。
私が今、このような立場になるとは、当時の私を知る先生には全くの想定外であったと思いますが、「全てに意味がある」と思えば、昨日逝いた先生に、一時でもお世話になった者として、その御恩に報いるには、とりもなおさず、「一人を大切に」「一人の声を形に」すべく、地方議員の使命をまっとうしていくことだと強く感じています。
昨夜0時のニュースで訃報を知ってから、20数年前のあの頃のことが頭から離れず、心穏やかではありませんでしたが、ブログに書くことで、自分の心が整理されてきたように感じます。
冬柴先生のご冥福を祈りながら、渡辺はまた決意を新たに前進して参ります。
11月後半は様々なセミナーや行事に参加しましたので
その間、本当に得るものが多く、お伝えしたいことはいっぱいあるのですが、
今日は、それらから共通して私が感じた、タイトルの「一生懸命の力」について書きたいと思います。
児童虐待防止のための講演会 講師の有馬先生
党女性局教育文化PTの講演会 認知行動療法センター長大野先生、池坊議員、古屋議員
党千葉県女性党員大会 講師の松あきら議員
木更津食材まつり 和太鼓、よさこい演舞、吹奏楽、運営役員
そして、今日の海まつり 木更津総合高校和太鼓部
(残念ながら、都合により自衛隊音楽隊の演奏は聞けずに退席となりましたが)
皆さん輝いておりました。有馬先生や大野先生や池坊議員は、穏やかな人柄がにじみ出るよう
な語り口ながら、その道のエキスパートとして道を切り開いてきた深さを感じました。
松さんや古屋さんは細身の体からほとばしる闘志を感じる迫力が有りました。
そして、イベントで演技を披露して下さった方々は本当に盛り上げてくれましたし、
特に総合高校の和太鼓部は食材まつりの演奏も素晴らしかったのですが、
今日の海まつりの冒頭の演奏は、始まってから30秒で泣けてきました。
高校生の一生懸命な姿と、渾身の鼓動が、私にはビンビンと響くものがありました。
「一生懸命」という言葉をよく使いますが、本当に一生懸命に徹してきた人の放つものは
他者の心に強く響くのだとつくづく感じました。
12月議会がスタートしました。
私は9日に個人質問をするため、最終調整中です。
私なりに、目指すべき目標に向けて一生懸命に進みたいです。
久しぶりの書き込みとなりました。
今月はひっきりなしに行事が続き、一つ一つを報告するのは難技でありまして、本日あらあらまとめさせて頂きます。
各地域では、秋の公民館文化祭。数箇所に参加させて頂きましたが、どの会場にも素晴らしい作品の展示が有り、日頃のサークル活動の質の高さを感じました。
7日の議員会主催勉強会では税について学習。
9日は木更津の活性化を目指すべく、「まちづくりの縁を考える」というテーマで講演会。活性化特別委員会所属の私としては関心があり、担当課が案内に来て下さる前から参加したいと思っていたので、とても勉強になりました。講師の方のまとめ方や進め方が良かったので、時間が短く感じられました。講師の先生の声も聴きやすく素敵でした。
11日は県南12市の議長会議員会研修会でいすみ市の会場にて地域ブランドづくりについての講演会。こちらの講師の先生は、時間当たりの言葉数が多いというか、ものすごい勢いで全国各地の成功例を紹介して下さり、パワー全開の講演でした。
そして本日は、第6回市民会館フェスティバル(生涯学習フェスティバル、木更津消防60周年式典、リサイクルフェア等も併催)。
市民会館全施設内で沢山の催し物を展開。晴天のもと大賑わいで大成功だったと思います。中でも、少年少女の主張大会では、素晴らしい発表を聴きました。 (ちーば君に会えなくてとても残念でしたが)
明日は児童虐待防止に関する講演会。
19日は子ども祭りと木更津バル(西口の協賛飲食店でクーポン券の範囲で飲食が楽しめる企画)。
26日福祉まつり。27日市場食材祭り。と、本当にイベントが目白押しであります。
その間に22日には12月定例議会の個人質問通告書提出があり、それに向けて例によって悪戦苦闘中の渡辺です。
日常的には、様々なご相談があり、調査や交渉等、時間の調整が思うようにできない自分に苛立ちつつ、議員活動が半年経った今も効率の悪さを反省しております。
今日(10/31)は里見会(市議会1年生議員8人の研修会)で地元にある陸・海・空の自衛隊基地の視察に行きました。
1日ですべての施設を視察したので、丸々1日かかってしまいましたが、とても充実した視察となりました。
というのも、敷地内に入るもは私は初めてでしたし、災害時の救援物資や、政府要人を乗せるヘリなどを間近に見学し、行き届いた整備の様子も拝見し、食堂での昼食も体験させて頂きました。
しかし、流石に、戦闘用のヘリを見たあたりで、自衛隊の本来の役割「自衛」が果たされる時が来ないことを改めて願うに至りました。
武器を搭載して飛び立つ操縦士が、あたかもゼロ戦と共に命を失った人たちのように、散ることがあってはならないとつくづく思うのです。
朝からびっちりのスケジュールで見学を終えて、帰宅すると、私を何ともやるせない気持ちに陥れるような事件を耳にしました。
市内の男性教諭による不祥事。児童がどんなに悲しい思いをしたのかと思うと、憤りもどんどん増し、教員がまたか・・・と。
今日(この記載中に日付が変わってしまい今は11月1日になってしまいましたが)は、ニュースではTPPや世田谷の放射能やタイの洪水や人口70億や様々ありましたが、「安心して暮らせる世の中」にするのはなんと難しいことなのかを思うと、本当にやるせない気持ちになってしまいます。
けれども、決して投げやりにはなりません。
今よりも少しでも良くなるように、改善できることに確実に着手しなければならないし、同じ失敗をしないようにするにはどうしたら良いのか、関係者をはじめ大人たちはきちんと考え、手をうたなければなりません。
5年後10年後、その先の未来のために、後を生きる世代のために。
中1の娘が、三日前から風邪の症状があり、金曜には熱も出てきたので夕方病院に行き薬を頂いてきました。
そうこうしているうちに、帰宅した主人も同じ症状を訴え、昨日病院に行きましたが、二人ともまだよくなっておらず、主人に至っては、普段は直ぐに治る人なのですが、今回はあまり回復力がなく(やはり彼も年をとったせいか・・・)、本人も不本意のよう。
さらに、東京で生活中の高2の息子も、部活(ピップホップダンス)の疲労からか、膝を痛めてしまい、昨日整形外科に行ったとのこと(こちらは世話役の私の母に任せておりますが)
今のところ私は元気なのですが、家族が病気になると、他の家族にもかなり影響するわけで、昨夜も会合があり、今日は市民会館で認知症についての講演会に参加することになっていたので、留守中の病人たちの食事やら様々準備をしつつ出かけました。
今日の講演会は、若くして認知症になった奥様の介護を続けてこられたご主人の体験と、保健師やケアマネもされ、自身の祖母やお母様も認知症であるという方の講演でした。
私は、先月も「認知症サポーター養成講座」に参加したばかりですが、今回改めて学んだことが沢山ありました。
今日のような講演は、既に家族が認知症になっている人だけではなく、特に、私のような、これから親が認知症になる確率が高くなる年代にいる子の世代(40代)が聞いておくことも望ましいように思います。
正しく理解することが大事ですし、自分や家族やご近所の人が関係する時がきても、皆がより負担を少なくできるようにするために。
冒頭に我が家のことを挙げましたが、家族が健康か否かは生活の全般にわたって影響するのですが、年齢を重ねていけば行くほど、全員が健康であることの方が少なくなっていくのでしょうし、家族の中で、さらには地域の中で、様々な病気やハンディのある人たちを、周りの人たちが支え合いやすい環境を築いていかなければならないと思います。
講演の最後に質疑応答の時間があり、ある女性が30年間親御さんの介護をしてきた中で、周りの心無い言動に傷ついたことが何度もあったとのお話をされていました。
家族を大事にしたくても、自身も体調を崩しながら、限界を超えそうな時に、しかるべきサポートが得られるようにしなければ共倒れになってしまいます。
私の目指す「支え合う街・誇れる街きさらづ」は、そうしたサポート体制の構築が必須であります。
もっともっと勉強せねばなりません。 現場に足を運ばねばなりません。