平成23年の4月当時、国中が3・11の傷痕と戦っていました。
楽しいことをするのも、考えるのも禁じられたかのような、「自粛ムード」に覆い尽くされていたように記憶しています。
しかし、東北をはじめ、日本の底力は、「復興」を目指して、あらゆる困難に立ち向かおうと強い絆を結び始めました。
私が、木更津市議会議員選挙に挑戦し、初当選した頃を振り返るとき、
そうした「絆」の力を再確認した思いが蘇ります。
公明党公認の予定候補として出発したのが、4年前の11月5日でした。
普通の主婦が、市政に携わることになったものの、素人だからと甘えてはいられません。
渡辺あつこは何を目指すのか?
それは、 支えあうまち、誇れるまち「きさらづ」の構築 です!
公認発表の時には、そう心に決めていました。
奇しくも、3・11の大震災が起きたことで、
その思いは一層強くなりました。
以来、市議会議員として、議会質問を中心に、様々な場面を通して、思いを形にすべく活動してきました。
そして、本日、明春の統一地方選挙の予定候補として、公明党の公認発表を
頂きました。
「絆」は目には見えないけれど、ものすごい力をもって、人と人を、
そして社会を支えています。
この、目には見えない力をどれだけ強くしていくのか、その力が、しっかりと形になって顕われる社会を築いていくために、これからも「日々精進」の渡辺で在り続けたいと思います。
※ 明年より、HPをリニューアルして、心機一転スタート致しますが、
初心を忘れることなく、謙虚に前進していく決意です。
10月の快晴の空のもと、アクアラインマラソン2014開催!
前回の開催日が、台風一過の暑い日だったので、今日のコンディションがとても素晴らしいことが、朝から感じられました。
私が、スタート地点に着いたのは9時前でしたが、多くの役員の皆さんは
6時台には着任していて、頭が下がる思いでした。
開幕は、前回同様、千葉さんの高くて
可愛らしいコールで盛り上げられ、
先ずは、車椅子ランナーが颯爽とスタート。
続いて、川内選手をはじめ、全国各地(海外も含む)から参集したランナーの皆さんが怒涛のように流れだしました。
私は、着ぐるみたちの並ぶ中、ちーば君の横で応援していましたが、前を通過する多くの方々が、ちーば君の姿を見て大変喜んでいたので、「流石!千葉県の代表キャラクターだな」と感心しました。
(内心は「うちのきさポンが一番可愛いんだから!」と呟いておりましたが・・・)
なにしろ、私は、きさポンの着ぐるみが大好きで、前回の大会で、きさポンの中に入るというお役目を志願し、体験させて頂いたくらいなのです。(思いの外、頭が重くて、ビックリするくらい頭から汗が流れ落ちました)
全ランナーのスタートを見届けてから、フィニッシュエリアの市役所へ向かい、最初のゴールランナーを12時過ぎに迎える頃から、4時までは、ゴール手前でお疲れ様コールを張り上げました。
皆さん、本当に素晴らしい!
とにかく、走る喜びや、完走までの日々もが素晴らしかったであろうことが感じられるフィニッシュの姿でした。
フルマラソンを走り抜くなんて、自分には経験できないにちがいない(長距離苦手な渡辺には)道の世界を、こんなにも多くの人たちが勝ち取っているんだと、圧倒されました。
とにかく、ランナー、実行委員、ボランティアスタッフ、沿道応援の皆さんのお陰で、一大ビッグイベントが大成功したことに、感謝感謝の一日でした。
自分が、7月に防災士試験に臨むため、300ページにわたるテキストを勉強する中、日本の災害について様々なことを知りました。
勉強している時は、「ふ~ん、なるほど」「そういうことも有るんだ」等と、のんきに頷きながらみていました。
特に、集中豪雨や、火山災害、竜巻などは、自分にとって、あまり身近ではないものの、地域によっては深刻な課題であることは認識していました。
それが、この夏の集中豪雨による土砂災害や、御嶽山の火山噴火による甚大な被害を招くとは、よもや想像もしていなかった事態が起きています。
今9月議会における自分の質問は、1、認知症対策について。2、生きる力を身につけた児童生徒の育成について。というテーマで、将来のために、今から備えるべきこと等に絞った内容で行いました。
いうまでもなく、「備える」というのは、いずれ訪れるであろう危機や問題に対しての備えであり、それは、ある程度「想定」される事態をどうとらえるかによって自ずと変わってくるものだと思います。
しかし、自然災害だけでなく、子どもが被害に遭う事件も起こり、昨日には、市原市で自宅前から小6の男子児童が連れ去られてしまうという事件の報道もありました。
あまり触れたくはない悍ましい事件として、私の心に重苦しい刻印を残した「佐世保の女子高校生殺害事件」こそは、まさか・・・の極みであります。被害に遭った少女は、よもや友人によって命を奪われるなど、微塵も考えていなかったでしょうに・・・。
本当にどうなっているのでしょうか?
いったい、何に対して備えればよいのでしょうか?
交通事故についても、つい先日、交差点で青信号を渡っていた車に、右方向から赤信号で侵入してきた車に衝突された事案に関する相談がありました。
ここ最近も、地域の危険箇所の改善を求める相談が寄せられています。本当に「ひやり!はっと!」する所が町中には沢山有ります。
自分にできることは、微々たるものなのですが、少しずつ、一歩一歩確実に改善していくしかありません。
今日で8月も終わりです。
今春東京の高校に進学し、下宿生活の始まった娘の夏季帰省も終わり、昼には発って行きました。
自分にとってのこの夏は、様々な研修と、地域の皆さんとの訪問対話月間となりました。
7月の初めに会派視察で那須塩原市(議会改革)と
ひたちなか市(元気アップ体操)常陸大宮市(すぐ対応課)へ。 →
7日・8日は防災士資格試験の研修。(無事、合格致しました!)
この研修は大変に有意義でした。
その後も、IT研修(7月26日)、
8月1日:里見会視察(市原のふるさと学舎)
6日・11日:党女性議員研修(予算と決算)
平木大作参議院議員の国政報告も有り
8日には、党千葉県本部として県内で海に面している自治体議員で、防災科学技術研究所(つくば市)へ視察に行きました。
9日の学校支援ボランティア交流会では、
ワールドカフェ形式で意見交換。
夏の定例行事としては、夏祭りと港祭りの後片付け清掃(16日)。終戦記念日を期しての街頭演説。
党県本部の夏季議員研修会(23日)では、
山口代表を迎えて、11月の結党50年を、議員力をアップして臨むことを誓い合いました!
研修や9月議会準備の合間に、ご無沙汰してしまっている支持者の方々を訪問し、「あつこ通信 夏号」をお届けしながら、地域課題や要望をお聞きして歩きました。
様々なお声を頂きましたので、解決・改善に向け取り組んでいる最中です。
いよいよ9月議会も始まりました。
個人質問や決算審査にしっかりと取り組んでまいります。
また、明日は「防災の日」。
災害の多い日本で生活する上で、いざという時の対策を確認しながら、安全・安心な街の構築に全力で取組んでいかなければなりません。
今日は、6月定例議会の最終日ということで、議案・請願・陳情などの採決があり、その後は、全議員協議会、議会だより編集委員会、庁舎防災訓練、港祭り資金部会、永年在職議員受賞者祝賀会と続き、長い一日でありました。
今議会では、個人質問もさることながら、請願(手話言語法の制定を求める意見書の提出を求める請願)の採択に向けた、これまでの取り組みが、全会一致の可決で終えることができたことが、今までとは違う議会となった、と実感しています。
手話言語法を求める意見書の運動は、ろうあ協会が昨年秋より展開してきましたが、千葉県では、3月議会の段階では、まだどこも提出されておらず、今議会から、各地で本格的に取り組んでいる案件でした。
自分は、1年半ほど前から手話の勉強を始め、手話サークルの方々と接する機会も有って、この運動が地元で進める場合は、何らかの協力をしたいと思っていました。
4月から関係者と連携をとりながら、紹介議員の依頼(自分は付託委員会所属のため紹介議員にはなれないルールだったので)や、審議の流れなど、手続き的なことをお伝えしたり、なるべくスムースに進められるように準備してきました。
紹介議員を受けてくれた先輩議員(住ノ江議員)をはじめ、担当課、委員長、議長など、この請願の意味を説明させて頂いた皆さんが応援して下さったお陰で、請願者の趣旨にそった形で意見書の提出が決まりました。
「手話」というコミュニケーションツールが、ろう者等の当事者だけのものではなく、人と人をつなぐ「言葉」であるという認識を、多くの人が持つことによって、「手話」を使いたいと思う人が誰でも学べ、使える環境になると思うのです。
私がこれまで学習した範囲は「手話」の初歩の初歩であって、全然使いこなせていないのですが、それでも、「手話」は優れたコミュニケーションツールであることを実感していますし、もっともっと、日常的に目にする機会が増えることを期待しています。
負託委員会(教育民生常任委員会)での、請願者からの説明の際も、本日の本会議においても、手話通訳者が派遣され、手話サークルの方々が何人も傍聴にみえていました。
全国各地の議会でも、この請願運動は6月・9月定例会で展開されることと思いますが、木更津市がしっかりと結果を出して、次のステップに進めることが、自分にとっては、今議会における最大の収穫であったと思っています。
4月は何かと慌ただしい月でして。
新年度がスタートし、早くも1カ月が経ちます。
我が家では、娘が東京の高校に進学し、下宿生活を始めることになったため、引っ越しの準備やら、友人達との思い出づくりイベントが過密な春休みであったり。
南房総市市議選(20日)の応援、様々な研修、党員さんとの勉強会、地域の各種行事などで毎日が走り去っていきました。
社会的には、韓国旅客船沈没事故がまだまだ悲しみを増し続ける中、
オバマ大統領の来日もありました。
気が付けば1年の3分の1が過ぎようとしています。
マスコミが大々的に報道する事象以外にも、大切な事柄や、気になる情報は、その都度メモっています。
最近は、忘れるはずのない人の名前や名称が思い出せないことが増えてきました。
時間をかけて、頭の引き出しからやっとこさ記憶を引っ張り出せた時の喜びは、むしろホットしたという安堵感であるような気もします。
年齢を重ねると、出来なくなることが増えるとも言われますが、そういう自分であっても、多少不自由であっても、つつがなく生きていけるように、「年の功」というか、「智慧」を身に着け、発揮できるようになりたいものです。
夕方の買い物で、下の棚の物(塩)を見るため、しゃがんでいると、突然3才位の小さな女の子が、「おはよう!」と声をかけてきました。
明らかに「おはよう」の時間ではなかったので、そばにいたお母さんが諭していましたが、私は彼女に「挨拶がはっきり言えて素晴らしい!」と返し、しばし会話を楽しみました。
最近、生活圏外に行った折にも、道を訪ねられることが多く(千葉や東京などで外国の人からも)、自分でもお店のレジや電車の中で、気軽に話かけることが日常的になりました。
若い時分なら恥ずかしがっていたコミュニケーションが気軽にできるようになったのも、年齢を重ね、「おばちゃん姿」がなじんできたからかもしれません。
年月の過ぎる速さを嘆くばかりではなく、穏やかに、小さな手ごたえを感じながら、過ごせたら良いなと思いつつ・・・。
明日からは、自分が好きな5月が始まります。
春は、年度がわりの季節。
木更津市では、本日、新・渡辺芳邦市長の初登庁日でした。
3期12年勤めてこられた前・水越市長が28日に退庁され、今日から新体制でスタートとなりました。
前市長は、私の母と同じ歳で、新市長は私より1年若い世代なので、新旧がまさに世代交代したというかんじです。
今日はまた年度最終日なので、退職される方や、明日から他部署へ異動する職員の〆の一日でもありました。
私は、市長初登庁式のあとは、会派の政務活動費の収支報告書の提出やら、市民相談やらでばたばたの1日でしたが、こうして、久しぶりにブログをさわるのは、年度末のけじめとして、新たな決意に立たなければならないような気がしたからです。
平成25年度は、「苦手なことへの挑戦」という意味では、「数字」と「IT」については、全然進歩がなく、猛反省しなければなりません。
「財政」については、つい先日(26日と27日)里見会(市会1期生)で講師を招いて集中研修をさせて頂きましたが、奥が深くて、まだまだ相当な研鑽が必要だと痛感しました。
「SNS」などの活用は、頑なにアナログキャラを堅持しており、スマホを拒み「絶滅危惧種になってもガラ携を使い続ける!」と豪語してきました。
しかし、こちらは、いよいよタブレット端末との併用も考え始めているところです。
明日からは、平成26年度が始動します。
新市長の施策目標の中には、これまで自分が議会で訴えてきたことや、会派として取り組んできた課題が幾つも盛り込まれています。
様々な課題に対して、市民・市長・職員・議員が一体となって、その解決のために力を合わせられたなら、ますます「誇れるまち木更津」の構築が進展すると思います。
大事な1年、しっかりと働かねば!
年の初めには、様々な行事が続くものですが、
5日の「ちびっこマラソン大会」といい、6日の駅頭挨拶といい、
9日の商工会議所賀詞交換会、10日の自衛隊賀詞交換会、そして、本日の消防出初式&成人式も、
お天気に恵まれて開催されたことが何より素晴らしいスタートだと実感しています。
なにしろ、どの行事においても、準備に携わる役員にとっては、雨天・雪・強風等の場合の対応は大変なわけで、駐車場整備から、後片付けに至るまで、
人が集まる場所の配慮といったらそれはそれは・・・。
世の中の出来事に目を向ければ、
事件や事故が連日報道され、著名人の訃報も続いています。
日々の営みの中では、自分の全く知らないところで、数多の出来事が起きていて、
自分はそれらのほんの一部でしかないような気がしますが、
そうした、自分の身近なささやかな日常を大事にする以外にないのだとも思います。
ともすると、周りへの不平や不満を言いたくなりがちですが、それは、自分が怠惰になっているか傲慢になっている場合の心の有様なのだと思っています。
「感謝する心」があれば、後ろではなく前を見て進むことができます。
昨年の秋に参加した「西アフリカフェスティバルIN木更津」で聴いた
ベナン共和国の特命全権大使ゾマホン氏の講演の中で、氏が「長年の日本との交流の中で、自分が一番好きな日本の言葉は、『お陰様』という言葉だ」とおっしゃっていました。
各種行事に参加する場合、議員という立場になってからは、「来賓」としてご案内頂くことが多くなりましたが、どの会に参加する時も、主催者や沢山の運営役員の尽力に感謝することを忘れずにいたいものです。
2013年最後の一日となりました。
毎年毎年、時の過ぎる早さに嘆きながら、この日を迎えておりますが、
今年は、中三の娘が、先月あたりから、三日に一度は口にしています。
「一年て早いねェ・・・」と。
大晦日には、それなりの過ごし方があるのですが、
今朝も、市民相談の電話が一件入り、年明けに訪問することになりました。
議員としての活動は多岐にわたり、二年八カ月が過ぎた今日も、日々精進の決意で取り組んでいますが、よく言えば「リズムができてきた」、悪く言えば「自分なりに収まってしまいがち」な面もあるのではないかと思います。
年の瀬に、気を引き締めるために、棚から例のもの(新聞広告)を取り出して、読み直してみました。
「例のもの」というのは、2003年1月16日付けの新聞に載っていたY養蜂場の全面広告です。
善きことは、カタツムリの速度で動く。
というタイトルで、紙面中央に、目を閉じ、思慮深く佇むガンジーの顔のデッサンが描かれていて、
右端に、彼の人生が記されているものです。
私が、10年前からこの広告ページを大事にしてきたのは、彼が狂信者の凶弾に倒れた後のことが書かれた文章に深く感銘を受けたからです。
最後の言葉は、「その彼を許せ」であったという。
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荼毘にふされたラージガートに、ガンジーの碑文が刻まれている。
『七つの社会的罪』
1、理念なき政治
2、労働なき富
3、良心なき快楽
4、人格なき学識
5、道徳なき商業
6、人間性なき科学
7、献身なき信仰
マハトマ・ガンジーのこの魂の箴言は
人類への
普遍的な問いかけである。
「子どもたちの 子どもたちの 子どもたちのために」
10年前にこの広告を見た時は、子育て中の専業主婦だった自分が、
今の立場で市政に携わるとは、全く想像もしないことでしたが、
こうして、この黄ばんだ新聞広告を捨てられずにいたことが、
何か意味があったのかな、と思うことがあります。
明年は、我が公明党の結党50周年の年となります。
そして、その立党精神
「大衆とともに語り、大衆と共に戦い、大衆の中に死んでいく」
こそが、私たち公明党議員の「不変の誓い」として
受け継がれてきた理念です。
自分にとっても、1期目の総仕上げとして、
4年目の活動を如何にすべきか。
大切な1年をスタートする前に、これまでの結果と反省点(課題)を整理して、この1年、お世話になった沢山の方々に深く感謝しながら、
除夜の鐘を聴きたいと思います。