4月は何かと慌ただしい月でして。
新年度がスタートし、早くも1カ月が経ちます。
我が家では、娘が東京の高校に進学し、下宿生活を始めることになったため、引っ越しの準備やら、友人達との思い出づくりイベントが過密な春休みであったり。
南房総市市議選(20日)の応援、様々な研修、党員さんとの勉強会、地域の各種行事などで毎日が走り去っていきました。
社会的には、韓国旅客船沈没事故がまだまだ悲しみを増し続ける中、
オバマ大統領の来日もありました。
気が付けば1年の3分の1が過ぎようとしています。
マスコミが大々的に報道する事象以外にも、大切な事柄や、気になる情報は、その都度メモっています。
最近は、忘れるはずのない人の名前や名称が思い出せないことが増えてきました。
時間をかけて、頭の引き出しからやっとこさ記憶を引っ張り出せた時の喜びは、むしろホットしたという安堵感であるような気もします。
年齢を重ねると、出来なくなることが増えるとも言われますが、そういう自分であっても、多少不自由であっても、つつがなく生きていけるように、「年の功」というか、「智慧」を身に着け、発揮できるようになりたいものです。
夕方の買い物で、下の棚の物(塩)を見るため、しゃがんでいると、突然3才位の小さな女の子が、「おはよう!」と声をかけてきました。
明らかに「おはよう」の時間ではなかったので、そばにいたお母さんが諭していましたが、私は彼女に「挨拶がはっきり言えて素晴らしい!」と返し、しばし会話を楽しみました。
最近、生活圏外に行った折にも、道を訪ねられることが多く(千葉や東京などで外国の人からも)、自分でもお店のレジや電車の中で、気軽に話かけることが日常的になりました。
若い時分なら恥ずかしがっていたコミュニケーションが気軽にできるようになったのも、年齢を重ね、「おばちゃん姿」がなじんできたからかもしれません。
年月の過ぎる速さを嘆くばかりではなく、穏やかに、小さな手ごたえを感じながら、過ごせたら良いなと思いつつ・・・。
明日からは、自分が好きな5月が始まります。